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〜 雪月花 戦国恋語り 信玄の娘 松姫 編 〜


〜 文紡ぎ 黄鐘 我が見し人を 〜


登場人物

松姫[武田信玄の五女]、織田信忠(幼名:奇妙丸)[織田信長の嫡男](文だけの登場)、

菊姫[武田信玄の四女]、



「たまさかに 我が見し人を いかならむ よしをもちてか また一目見む」

「万葉集 第十一巻 二三九六番」より

作者:柿本人麻呂(かきのもとのひとまろ)歌集より



松姫と奇妙丸の縁談が調ってから、七十三の月になっている。

暦は十一月になっている。



季節は仲冬になる。



今年の四月、菊姫と松姫の父の武田信玄が亡くなった。

武田信玄の遺言により、武田信玄の死は三年隠すと決まった。

様々な思惑が複雑に絡まる中の仲冬になる。



ここは、甲斐の国。



一日を通して寒さを感じる日が増えてきた。



ここは、菊姫と松姫の住む屋敷。



菊姫の部屋。



菊姫は微笑んで居る。

松姫は普通の表情で居る。



菊姫は松姫に微笑んで小さい声で話し出す。

「お松。私の部屋の中に居る人達は、信頼の出来る人達よ。安心して過ごして大丈夫よ。」

松姫は菊姫を微笑んで見た。

菊姫は松姫に微笑んで頷いた。

松姫は菊姫を微笑んで見ている。

菊姫は松姫の耳元で微笑んで囁いた。

「お松。行くわよ。」

松姫は菊姫の耳元で微笑んで囁いた。

「はい。」

菊姫は松姫を微笑んで見た。

松姫も菊姫を微笑んで見た。



菊姫は部屋を微笑んで出て行った。

松姫も部屋を微笑んで出て行った。



暫く後の事。



ここは、松姫の乳母の家。



一室。



部屋の中には、商品が広げてある。



菊姫は微笑んで居る。

松姫も微笑んで居る。

商人は普通に居る。



菊姫は松姫に微笑んで話し出す。

「お松。素敵な商品がたくさんあるわね。」

松姫は菊姫に微笑んで話し出す。

「はい。」

菊姫は商人に微笑んで頷いた。

商人は菊姫と松姫に普通の表情で軽く礼をした。

松姫は商人を微笑んで見た。

菊姫は松姫と商人を微笑んで見た。

商人は懐から小さい紙を取り出すと、松姫に普通に渡した。

松姫は商人から小さい紙を微笑んで受け取った。

菊姫は松姫を微笑んで見た。

松姫は小さい紙を持ち、紙を丁寧に広げた。

菊姫は松姫を微笑んで見た。



紙には、織田信忠の筆跡で歌が書いてある。



「たまさかに 我が見し人を いかならむ よしをもちてか また一目見む」



松姫は小さい紙を持ち、商人を微笑んで見た。

菊姫は商人を微笑んで見た。

商人は菊姫と松姫に普通の表情で小さい声で話し出す。

「警戒は今も強いです。奇妙殿が頼んだ状況を信じて頂くために、奇妙殿が自筆で歌を書きました。奇妙殿から伝言を預かっています。」

松姫は小さい紙を持ち、商人に微笑んで小さい声で話し出す。

「伝言を教えてください。お願いします。」

商人は松姫に普通の表情で静かに話し出す。

「お松。元気に過ごしているだろうか。私は元気に過ごしている。安心してくれ。西洋の暦の十二月二十五日は、西洋の神様の誕生日になる。西洋の神様の誕生日は、“くりすます”、と呼ぶそうだ。西洋の暦の今年の十二月二十五日は、私達の住む暦では、今年の十二月二日になる。西洋では、西洋の神様の誕生日までに、親しい人達の間で文を贈る行為がある。お松に私の気持ちを伝える文と歌を贈りたいと思った。お松が私からの歌の贈り物を受け取る姿を幾度も想像している。お松が私からの伝言を聞く姿を幾度も想像している。お松。寒さを感じる日が続くと思う。体調に気を付けて過ごしてくれ。命を大切にして過ごしてくれ。」

松姫は文を持ち、商人微笑んで小さい声で話し出す。

「長い伝言です。覚える行為は大変ですよね。ありがとうございます。」

菊姫は商人に微笑んで小さい声で話し出す。

「凄い記憶力です。何時も感心しています。」

商人は菊姫と松姫に普通の表情で小さい声で話し出す。

「奇妙様から、たくさんの恩を受けています。私に出来る内容で感謝の気持ちを伝えています。」

菊姫は商人に微笑んで小さい声で話し出す。

「私達の住む暦に、異国の暦を合わせると、異国の暦の十二月に該当するのでしょうか?」

商人は菊姫に普通の表情で小さい声で話し出す。

「はい。」

菊姫は松姫に微笑んで小さい声で話し出す。

「お松。歌の返事は無理だけど、返事は出来るわ。」

松姫は文を持ち、菊姫に微笑んで小さい声で話し出す。

「はい。」

商人は松姫と菊姫に普通の表情で軽く礼をした。

松姫は文を持ち、商人に微笑んで小さい声で話し出す。

「私からの返事を奇妙様に伝えてください。願いします。」

商人は松姫に普通の表情で軽く礼をした。

松姫は文を持ち、商人に微笑んで小さい声で話し出す。

「元気に過ごされていると分かりました。安心しました。私は元気に過ごしています。安心してお過ごしください。“たまさかに 我が見し人を いかならむ よしをもちてか また一目見む”。歌の贈り物。ありがとうございます。西洋の神様の誕生日の前に親しい人達の間で文を交わす。素敵な行為です。来年は私も歌を用意したいと思いました。今回は返事のみになります。再び逢う日を信じて過ごします。体調に気を付けてお過ごしください。命を大切にお過ごしください。」

商人はお松に普通の表情で軽く礼をした。

松姫は文を持ち、菊姫と商人を微笑んで見た。

菊姫は商品を持つと、商人に微笑んで話し出す。

「素敵な商品ね。気に入ったわ。購入するわ。」

商人は菊姫に普通の表情で軽く礼をした。

松姫は文を懐に微笑んでしまった。

菊姫は商品を持ち、松姫に微笑んで話し出す。

「お松。購入する商品。決まった?」

松姫は菊姫に微笑んで話し出す。

「はい。」

菊姫は商品を持ち、松姫を微笑んで見た。

松姫は商品を持つと、商人に微笑んで話し出す。

「素敵な商品です。購入します。お願いします。」

商人は松姫に普通の表情で軽く礼をした。

菊姫は商品を持ち、松姫と商人を微笑んで見た。

松姫も商品を持ち、菊姫と商人を微笑んで見た。

商人は菊姫と松姫に普通の表情で軽く礼をした。



翌日の事。



ここは、躑躅ヶ崎館。



一室の中から、一人の男性の声と菊姫の声が聞こえる。

「昨日、お松と共に出掛けたのか。」

「私がお松の傍に居ました。お松が長い時間を一人で居る状況にしていません。」

「昨日の出掛けた理由は何だ?」

「お松が監視されていないか不安になる時があります。不安な気持ちが強くなれば、体調を悪くする時があります。適度に気晴らしをさせたいと思っています。お松の乳母の家に出掛けて買い物をしました。お松は不安になる時間が少ない状態で過ごしています。」

「分かった。今後も報告を頼む。」

「はい。」



少し後の事。



ここは、菊姫と松姫の住む屋敷。



松姫の部屋。



松姫は不安な様子で居る。



菊姫が部屋の中に微笑んで入ってきた。



松姫は菊姫を不安な様子で見た。

菊姫は松姫を抱くと、松姫に微笑んで囁いた。

「お松。無難な内容で報告したわ。大丈夫。安心して。」

松姫は菊姫に不安な様子で囁いた。

「姉上。迷惑を掛けます。申し訳ありません。」

菊姫は松姫を抱いて、松姫に微笑んで囁いた。

「私はお松の姉よ。迷惑に思わないで。安心して。」

松姫は菊姫に微笑んで囁いた。

「姉上。ありがとうございます。」

菊姫は松姫を抱いて、松姫に微笑んで頷いた。

松姫は菊姫を微笑んで見た。



「たまさかに 我が見し人を いかならむ よしをもちてか また一目見む」

寒さを感じる時間の増える頃。

松姫と織田信忠は、様々な思惑の乱れる中でも、想いを紡いでいる。

仲冬の時間は、様々な想いの中でも、様々思惑の中でも、同じ時間の中で過ぎていく。




*      *      *      *      *      *




ここからは後書きになります。

この物語に登場する歌は「万葉集 第十一巻 二三九六番」

「たまさかに 我が見し人を いかならむ よしをもちてか また一目見む」

ひらがなの読み方は「たまさかに わがみしひとを いかならむ よしをもちてか またひとめみむ」

作者は「柿本人麻呂(かきのもとのひとまろ)歌集より」

歌の意味は「偶然にも私が見た人を、どんなきっかけをつくって、また一目見ることができるのでしょう・・・」となるそうです。

原文は「玉坂 吾見人 何有 依以 亦一目見」

「たまさか」は、偶然にであうことをいいます。

どのような偶然だったのでしょうか。

武田家についての補足です。

油川夫人は、元亀二年(1571年)(※月日は不明)に亡くなったそうです。

武田信玄は、元亀四年四月十二日(1573年5月13日)に信濃の駒場で亡くなります。

享年は、五十三歳と伝わっています。

武田信玄の死因は、肺結核、胃癌、食道癌、などの説が有力です。

武田信玄の他の死因には、武田信玄は敵が籠城中の野田城から聞こえる笛の音に惹かれて本陣から出て行き、本陣の外に居る時に鉄砲で撃たれて、その傷がもとで亡くなる、があります。(掲載日現在は、この説は俗説として考えられています。)

更に武田信玄の他の死因には、織田家の毒殺、もあります。(掲載日現在は、この説も俗説として考えられています。)

武田信玄は、武田勝頼と重臣に遺言を残したと伝わっています。

三つの遺言の内容が広く知られています。

800枚の白紙に武田信玄の花押を書いたから返礼などの時に使うように。

武田信玄の死を三年隠すように。

三年後に、武田信玄の死体に甲冑を着せて諏訪湖に沈めるように。

遺言の内容が事実だとすると、武田信玄は以前から亡くなる事を分かっていて、甲斐の国を守るために前から考えていた事が分かります。

武田信玄の葬儀は、天正四年(1576年)四月に行われたそうです。

武田信玄の死が三年隠せたかについてですが、三年より前に人数等は不明ですが、気付かれた形跡があるようです。

当時は忍者などを使った情報戦が激しかった事があり、武田信玄の死が知られてしまった可能性はあります。

後の出来事になりますが、松姫は織田信忠と婚約している経過などから、辛い立場になっていったようです。

天正元年(1573年)の秋に、武田盛信が松姫を引き取って暮らすようになります。

「雪月花 戦国恋語り 信玄の娘 松姫 編」では、物語の展開から、秋より後の季節では、武田盛信が松姫を引き取って暮らす設定にします。

ご了承ください。

松姫と織田信忠の縁談が、破談なのか、続いているのか、分からなくなってしまった理由の一つに、「西上作戦(さいじょうさくせん)」があります。

西上作戦は、甲斐武田家が、元亀三年(1572年)九月から元亀四年(1573年)四月に掛けて行った遠征をいいます。

西上作戦は、武田信玄の体調と武田信玄の死によって終わった状況になります。

武田軍の関連についてです。

天正元年(1573年)十一月の動きです。

大きな動きはありません。

織田家関連について簡単に説明します。

織田信忠(幼名“奇妙丸”)の元服は、元亀三年(1572年)と伝わっています。

織田信忠は、実弟の「茶筅丸(ちゃせんまる)(織田信雄[おだのぶかつ])」、実弟の「三七丸(神戸三七郎信孝[かんべさんしちろうのぶたか]、織田信孝[おだのぶたか])」、と共に元服したと伝わっています。

元亀三年(1572年)一月に元服した説があります。

織田信忠が元服時に改名した名前は「織田勘九郎信重(おだかんくろうのぶしげ)」です。

「織田信忠」と改名するのは後の出来事になりますが、名前が幾度も変わると分かり難くなるため、元服後の名前は「織田信忠」で統一します。

ご了承ください。

織田信忠の初陣は、元亀三年(1572年)と伝わっています。

織田信忠の「具足初め(ぐそくはじめ)の儀」が、元亀三年七月十九日(1572年8月27日)に執り行われたと伝わっています。

織田信忠の初陣は、元亀三年七月十九日(1572年8月27日)、または、直ぐ後の日付になるようです。

織田信忠の初陣の相手は「北近江」の「浅井家」の「浅井長政」です。

浅井長政の継室は、織田信長の妹の「お市の方」です。

織田信忠の初陣の相手は、父親(織田信長)の妹(お市の方)の嫁ぎ先になります。

織田信忠にとって、初陣の次の大きな戦は、元亀三年(1572年)十二月頃の遠江の二俣城の戦いや三方ヶ原の戦いになります。

天正元年(1573年)十一月の織田家の動きを簡単に説明します。

天正元年十一月四日(1573年11月28日)、岐阜を出立して上洛します。

暦についての補足です。

「元亀四年七月二十八日(1573年8月25日)」に、「天正元年(1573)」に改元しました。

物語の設定時期は、陰暦です。

現在の暦の「12月25日」を天正元年(1573年)に当てはめると「十二月二日」です。

現在の暦の「12月1日」を天正元年(1573年)に当てはめると「十一月七日」です。

この物語についての補足です。

松姫と織田信忠が逢う場面が小説などに登場します。

松姫と織田信忠が逢った可能性のある記録があるそうです。

その記録を基にして、松姫と織田信忠が逢う場面が登場していると思います。

松姫と織田信忠が、七月に逢う場面を書きたいと思ったので、七月に逢う話が登場します。

以上、ご了承ください。

「聖誕祭(せいたんさい)」についてです。

「クリスマス」です。

冬の季語です。

「聖夜(せいや)」についてです。

「クリスマスの前夜。12月24日の夜。クリスマス・イブ。」です。

冬の季語です。

「仲冬(ちゆうとう)」についてです。

「(冬の三ヶ月の真ん中の意味)陰暦十一月の異称。」の意味です。

冬の季語です。

「黄鐘(こうしょう)」についてです。

「中国音楽の十二律の一。音律の基本となる音。日本の十二律の壱越(いちこつ)にあたる。」

「陰暦十一月の異称」

以上の二つの意味が有ります。

楽しんで頂けると嬉しいです。





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