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〜 雪月花 戦国恋語り 信玄の娘 松姫 編 〜
〜 文紡ぎ 夾鐘 梅の花今盛りなり 〜
登場人物
松姫[武田信玄の五女]、織田信忠(幼名:奇妙丸)[織田信長の嫡男](文だけの登場)、
菊姫[武田信玄の四女]、
「梅の花 今盛りなり 百鳥の 声の恋しき 春来るらし」
「万葉集 第五巻 八三四番」より
作者:小令史田氏肥人(しょうりょうしでんじのこまひ)
松姫と奇妙丸の縁談が調ってから、七十六の月になっている。
暦は二月になっている。
季節は仲春になる。
昨年の四月、菊姫と松姫の父の武田信玄が亡くなった。
武田信玄の遺言により、武田信玄の死は三年隠すと決まった。
様々な思惑が複雑に絡まる中の仲春になる。
ここは、甲斐の国。
天気の良い日中は、僅かに寒さが和らぐようになった。
早春に咲く花を見る時がある。
僅かだが春の気配の分かる時がある。
ここは、菊姫と松姫の住む屋敷。
松姫の部屋。
松姫は普通に居る。
菊姫が部屋を普通に訪ねた。
松姫は菊姫を微笑んで見た。
菊姫は松姫に心配して話し出す。
「お松。縁談の話を直ぐに断ったそうね。」
松姫は菊姫に申し訳なく話し出す。
「私には、父上の決めた許婚が居ます。父上は、私に破談の話をしていません。私には、今も心に決めた許婚が居ます。今の気持ちのまま、別な殿方に嫁げません。」
菊姫は松姫に困惑して小さい声で話し出す。
「お松。気持ちは分かるけれど、お松の今の立場で断る返事を即答すれば、立場が悪くなるわ。分かるわよね。」
松姫は菊姫に困惑して小さい声で話し出す。
「はい。」
菊姫は松姫に困惑して小さい声で話し出す。
「少し時間を置いてから、返事をする方法が良いと思うの。」
松姫は菊姫に申し訳なく小さい声で話し出す。
「断る気持ちなのに、断る返事に時間を掛ける。縁談の相手に失礼です。父上に失礼です。」
菊姫は松姫を心配して見た。
松姫は菊姫に困惑して小さい声で話し出す。
「姉上。申し訳有りません。」
菊姫は松姫を抱くと、松姫に心配して話し出す。
「私は大丈夫。私に謝らないで。」
松姫は菊姫を申し訳なく見た。
菊姫は松姫を抱いて、松姫を心配して見た。
数日後の事。
ここは、松姫の乳母の家。
一室。
部屋の中には、商品が広げてある。
菊姫は微笑んで居る。
松姫は考えながら居る。
商人は普通に居る。
松姫は商人に心配して小さい声で話し出す。
「信忠様は武田家が相手の戦の援軍に向かった話を聞きました。」
商人は松姫に普通の表情で軽く礼をした。
菊姫は松姫を心配して見た。
松姫は商人に心配して小さい声で話し出す。
「信忠様は無事ですか?」
商人は松姫に普通の表情で軽く礼をした。
松姫は商人を安心した表情で見た。
菊姫は松姫を安心した表情で見た。
商人は菊姫と松姫を普通の表情で見た。
菊姫は松姫に微笑んで話し出す。
「お松。素敵な商品がたくさんあるわね。」
松姫は菊姫を見ると、菊姫に微笑んで話し出す。
「はい。」
商人は菊姫に普通の表情で軽く礼をした。
菊姫は商人に微笑んで頷いた。
商人は菊姫と松姫に普通の表情で軽く礼をした。
松姫は商人を微笑んで見た。
菊姫は松姫と商人を微笑んで見た。
商人は懐から小さい紙を取り出すと、松姫に普通に渡した。
松姫は商人から小さい紙を微笑んで受け取った。
菊姫は松姫を微笑んで見た。
松姫は小さい紙を持ち、紙を丁寧に広げた。
菊姫は松姫を微笑んで見た。
紙には、織田信忠の筆跡で歌が書いてある。
「梅の花 今盛りなり 百鳥の 声の恋しき 春来るらし」
松姫は小さい紙を持ち、商人を微笑んで見た。
菊姫は商人を微笑んで見た。
商人は菊姫と松姫に普通の表情で小さい声で話し出す。
「警戒は今も強いです。奇妙殿が頼んだ状況を信じて頂くために、奇妙殿が自筆で歌を書きました。奇妙殿から伝言を預かっています。」
松姫は小さい紙を持ち、商人に微笑んで小さい声で話し出す。
「伝言を教えてください。お願いします。」
商人は松姫に普通の表情で静かに話し出す。
「お松。季節は春だが、寒さを感じる日が続くと思う。元気で過ごしているだろうか。西洋の暦の二月十四日に、“ばれんたいんでー”、の名前の行事がある。私達の使用する暦に合わせると、過去の日付になる。今回は、私達の使用する暦の、二月十四日に合わせたいと思った。“ばれんたいんでー”について簡単になるが説明する。兵士の自由な祝言を挙げる行為を禁止する政策に反対した司教がいた。時の皇帝の迫害により、司教が処刑された。処刑された日が、司教の記念日として西洋の行事に加わった。愛する者達の愛の誓いの日になった。“ばれんたいんでー”の日には、愛する者達が、花、文、菓子、などを贈るそうだ。私は“ばれんたいんでー”の説明を聞いて直ぐに、お松に贈り物を用意したいと思った。今の状況は、花や菓子を贈る状況が、かなり難しい。お松のために歌を贈る。受け取ってくれると嬉しい。私は元気に過ごしている。安心してくれ。寒さを感じる日が続くと思う。寒さに気を付けて過ごしてくれ。」
松姫は文を持ち、商人に微笑んで小さい声で話し出す。
「今回の伝言。説明があるので、更に長いです。覚える行為が、更に大変だと思います。私への気遣いも含めて、ありがとうございます。」
菊姫は商人に微笑んで小さい声で話し出す。
「気遣い感謝しています。」
商人は菊姫と松姫に普通の表情で小さい声で話し出す。
「奇妙様からはたくさんの恩を受けています。姫様は奇妙殿にとって大切な女性です。私に出来る内容で感謝の気持ちを伝えています。」
菊姫は商人を微笑んで見た。
松姫も商人を微笑んで見た。
商人は松姫と菊姫に普通の表情で軽く礼をした。
松姫は文を持ち、商人に微笑んで小さい声で話し出す。
「私からの返事を奇妙様に伝えてください。願いします。」
商人は松姫に普通の表情で軽く礼をした。
松姫は文を持ち、商人に微笑んで小さい声で話し出す。
「元気に過ごされているのですね。安心しました。私も元気に過ごしています。安心してください。西洋の行事の“ばれんたいんでー”の説明。ありがとうございます。奇妙様のお話は、何時も勉強になります。今回の歌の贈り物は、“ばれんたいんでー”にちなんだ歌、今の季節に合う歌、今の季節に咲く梅の花を詠んだ歌、です。幾つもの想いを重ねた歌の贈り物。ありがとうございます。奇妙様の気持ちが伝わります。奇妙様の気遣いが伝わります。嬉しいです。私も体調に気を付けて元気に過ごします。奇妙様。体調に気を付けてお過ごしください。命を大切にお過ごしください。愛する者から、愛する者への、お返事です。松より。」
商人は松姫に普通の表情で軽く礼をした。
松姫は文を持ち、菊姫と商人を恥ずかしく見た。
菊姫は松姫に微笑んで小さい声で話し出す。
「お松。想いが伝わる伝言よ。照れないで。」
松姫は文を持ち、菊姫に恥ずかしく小さい声で話し出す。
「はい。」
菊姫は松姫を微笑んで見た。
商人は菊姫と松姫を普通の表情で見た。
菊姫は商品を持つと、商人に微笑んで話し出す。
「素敵な商品ね。購入するわ。」
商人は菊姫に普通の表情で軽く礼をした。
松姫は文を懐に微笑んで仕舞った。
菊姫は商品を持ち、松姫を微笑んで見た。
松姫は商品を持つと、商人に微笑んで話し出す。
「素敵な商品です。購入します。お願いします。」
商人は松姫に普通の表情で軽く礼をした。
菊姫は商品を持ち、松姫と商人を微笑んで見た。
松姫も商品を持ち、菊姫と商人を微笑んで見た。
商人は菊姫と松姫に普通の表情で軽く礼をした。
翌日の事。
ここは、躑躅ヶ崎館。
一室。
部屋の中から、一人の男性の声と菊姫の声が聞こえる。
「お菊。お松が縁談の話を即答で断った。」
「お松は父上を慕っています。父上からお松に伝えた縁談です。父上はお松に縁談の破棄を伝えていません。父上は、縁談の相手を想い続ける気持ちが、武田家のためになる、と話しました。お松にとって、新たな縁談の話を受けられない気持ちが続いています。」
「お菊。お松が早く心変わりをするように接してくれ。」
「分かりました。」
「お菊。報告は終わりか?」
「はい。」
「今後も報告を頼む。」
「はい。」
少し後の事。
ここは、菊姫と松姫の住む屋敷。
松姫の部屋。
松姫は不安な様子で居る。
菊姫が部屋の中に微笑んで入ってきた。
松姫は菊姫を不安な様子で見た。
菊姫は松姫を抱くと、松姫に微笑んで囁いた。
「お松。無難な内容で報告したわ。安心して。」
松姫は菊姫に不安な様子で囁いた。
「姉上。迷惑を掛けます。申し訳ありません。」
菊姫は松姫を抱いて、松姫に微笑んで囁いた。
「私はお松の姉よ。迷惑に思わないで。安心して。」
松姫は菊姫に微笑んで囁いた。
「姉上。ありがとうございます。」
菊姫は松姫を抱いて、松姫に微笑んで頷いた。
松姫は菊姫を微笑んで見た。
「梅の花 今盛りなり 百鳥の 声の恋しき 春来るらし」
今は、二月になる。
季節は、春になる。
様々な思惑の中で、戦いが続く。
様々な思惑の中で、攻略が続く。
松姫と織田信忠は、様々な思惑の中でも、想いを紡いでいる。
二月の日々も、強い想いの中で、様々な思惑の中で、ゆっくりと過ぎていく。
* * * * * *
ここからは後書きになります。
この物語に登場する歌は「万葉集 第五巻 八三四番」
「梅の花 今盛りなり 百鳥の 声の恋しき 春来るらし」
ひらがなの読み方は「うめのはな いまさかりなり ももとりの こゑのこほしき はるきたるらし」
作者は「小令史田氏肥人(しょうりょうしでんじのこまひ)」
歌の意味は「梅の花が今を盛りと咲いています。たくさんの鳥の声を聞きたくなる春が来たのですね。」となるそうです。
原文は「烏梅能波奈 伊麻佐加利奈利 毛々等利能 己恵能古保志枳 波流岐多流良斬」
天平二年(780年)一月十三日、大伴旅人(おおとものたびと)の邸宅で催された宴会のときに詠まれた歌の一つです。
武田家についての補足です。
油川夫人は、元亀二年(1571年)(※月日は不明)に亡くなったそうです。
武田信玄は、元亀四年四月十二日(1573年5月13日)に信濃の駒場で亡くなります。
享年は、五十三歳と伝わっています。
武田信玄の死因は、肺結核、胃癌、食道癌、などの説が有力です。
武田信玄の他の死因には、武田信玄は敵が籠城中の野田城から聞こえる笛の音に惹かれて本陣から出て行き、本陣の外に居る時に鉄砲で撃たれて、その傷がもとで亡くなる、があります。(掲載日現在は、この説は俗説として考えられています。)
更に武田信玄の他の死因には、織田家の毒殺、もあります。(掲載日現在は、この説も俗説として考えられています。)
武田信玄は、武田勝頼と重臣に遺言を残したと伝わっています。
三つの遺言の内容が広く知られています。
800枚の白紙に武田信玄の花押を書いたから返礼などの時に使うように。
武田信玄の死を三年隠すように。
三年後に、武田信玄の死体に甲冑を着せて諏訪湖に沈めるように。
遺言の内容が事実だとすると、武田信玄は以前から亡くなる事を分かっていて、甲斐の国を守るために前から考えていた事が分かります。
武田信玄の葬儀は、天正四年(1576年)四月に行われたそうです。
武田信玄の死が三年隠せたかについてですが、三年より前に人数等は不明ですが、気付かれた形跡があるようです。
当時は忍者などを使った情報戦が激しかった事があり、武田信玄の死が知られてしまった可能性はあります。
後の出来事になりますが、松姫は織田信忠と婚約している経過などから、辛い立場になっていったようです。
天正元年(1573年)の秋に、武田盛信が松姫を引き取って暮らすようになります。
「雪月花 戦国恋語り 信玄の娘 松姫 編」では、物語の展開から、秋より後の季節では、武田盛信が松姫を引き取って暮らす設定にします。
ご了承ください。
松姫と織田信忠の縁談が、破談なのか、続いているのか、分からなくなってしまった理由の一つに、「西上作戦(さいじょうさくせん)」があります。
西上作戦は、甲斐武田家が、元亀三年(1572年)九月から元亀四年(1573年)四月に掛けて行った遠征をいいます。
西上作戦は、武田信玄の体調と武田信玄の死によって終わった状況になります。
武田軍の関連についてです。
天正二年(1574年)一月〜二月の動きです。
武田勝頼は一万五千の兵で明知城を攻めます。
明知城は、美濃、尾張、三河、遠江、駿河、攻略の拠点になります。
明知城主の遠山一行、叔父の遠山利景は、五百の兵で防ぎます。
織田信長は、明知城を助けるために、織田信忠、明知光秀、と共に、三万の兵で西方の城に布陣します。
武田軍は織田信長軍の退路を断ちます。
織田信長軍は撤退する状況になります。
明知城主の遠山一行、叔父の遠山利景は、援軍を失った状態で篭城して奮戦します。
しかし、明知城は、落城する事になります。
明知城主の遠山一行、叔父の遠山利景は、城を脱出します。
武田軍は、明知城を攻略します。
織田家関連について簡単に説明します。
織田信忠(幼名“奇妙丸”)の元服は、元亀三年(1572年)と伝わっています。
織田信忠は、実弟の「茶筅丸(ちゃせんまる)(織田信雄[おだのぶかつ])」、実弟の「三七丸(神戸三七郎信孝[かんべさんしちろうのぶたか]、織田信孝[おだのぶたか])」、と共に元服したと伝わっています。
元亀三年(1572年)一月に元服した説があります。
織田信忠が元服時に改名した名前は「織田勘九郎信重(おだかんくろうのぶしげ)」です。
「織田信忠」と改名するのは後の出来事になりますが、名前が幾度も変わると分かり難くなるため、元服後の名前は「織田信忠」で統一します。
ご了承ください。
織田信忠の初陣は、元亀三年(1572年)と伝わっています。
織田信忠の「具足初め(ぐそくはじめ)の儀」が、元亀三年七月十九日(1572年8月27日)に執り行われたと伝わっています。
織田信忠の初陣は、元亀三年七月十九日(1572年8月27日)、または、直ぐ後の日付になるようです。
織田信忠の初陣の相手は「北近江」の「浅井家」の「浅井長政」です。
浅井長政の継室は、織田信長の妹の「お市の方」です。
織田信忠の初陣の相手は、父親(織田信長)の妹(お市の方)の嫁ぎ先になります。
織田信忠にとって、初陣の次の大きな戦は、元亀三年(1572年)十二月頃の遠江の二俣城の戦いや三方ヶ原の戦いになります。
天正二年(1574年)二月の織田家の動きを簡単に説明します。
天正二年二月三日(1574年2月24日)の朝、岐阜城で、「津田宗及(つだそうぎゅう)」を招いた茶会を開きます。
数日後に、明知城を助けるために岐阜城を出立します。
数日後に、撤退をします。
天正二年二月二十四日(1574年3月17日)、岐阜城に帰陣します。
武田軍の説明の一部も参照願います。
「バレンタイン」についてです。
西暦二六九年に、兵士の自由結婚禁止政策に反対したバレンタイン司教が、時のローマ皇帝の迫害により処刑されました。
それから、この日がバレンタイン司教の記念日としてキリスト教の行事に加えられ、恋人達の愛の誓いの日になりました。
ヨーロッパでは、この日を「愛の日」として花やケーキ、カード等を贈る風習があります。
女性が男性にチョコレートを贈る習慣は日本独自のものです。
1958年(昭和33年)に、東京に本社の在る会社が、新宿に在るデパートで行ったチョコレートセールが始まりです。
最初の年は、3日間で3枚しか売れなかったそうです。
この物語の補足です。
天正二年二月一十四日は、「1574年3月7日」です。
現在の暦に合わせた「2月14日」は、天正二年一月に有ります。
「夾鐘(きようしょう)」についてです。
二つの意味が有ります。
一つの意味は、「中国音楽の十二律の一。基音の黄鐘(こうしょう)より三律高い音。日本音楽の十二律の勝絶(しょうぜつ)にあたる。」です。
一つの意味は、「陰暦二月の異称」です。
楽しんで頂けると嬉しいです。
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