このページは、2019年3月に保存されたアーカイブです。最新の内容ではない場合がありますのでご注意ください

〜 雪月花 新撰組異聞 編 〜


〜 春宵の夢物語 桃の花のみ咲きてならざらめやも 〜


〜 後書き 〜


ここまでお読み頂いてありがとうございます。

ここからは後書きになります。

「雛祭り」の前から当日の夜の物語です。

そして、夜の国の物語です。

現在に近い雛祭りになったのは、江戸時代後期の頃からだそうです。

「雛祭り」は、もともとは「上巳(じょうし)の節句」と言われていて、中国の思想と日本の風習が一緒になったものだそうです。

「上巳の節句」は、五節句の一つです。

「上巳の節句」が三月三日に固定されたのは、室町時代の頃からとされているそうです。

そして、桃が咲く時期の頃ということもあり「桃の節句」と言われるようになったそうです。

「雛祭り」は、女の子の健やかな成長を願う伝統行事です。

上巳の日には、人形に穢れを移して川や海に流していたそうです。

その人形が次第に精巧なものになって、流さずに飾っておくようになり、雛祭りとして発展していったそうです。

初めの頃は、宮中や貴族の間で行われていそうですが、やがて武家社会でも行われるようになり、江戸時代になると庶民も行うようになったそうです

もともとは、五月五日の端午の節句とともに男女の別なく行われていたそうですが、江戸時代頃から、男女を別にして行うようになったそうです。

以前は、雛人形を高い場所に置かずにそのまま置いて雛祭りを行っていたそうです。

そのため大きな雛人形が作られました。

50cm前後ある雛人形を見た事があります。

実際に見ると大きくて驚きました。

江戸時代の後期あたりに、現在のような「雛人形」の形がほぼ完成したようです。

七段飾りもこの頃に登場したようです。

雛人形の道具ですが、本物の材料を使った道具をたくさん見ました。

「雛あられ」ですが、明治時代になってから出来た物のようです。

新撰組の人達の時代にはなかったお菓子になります。

新撰組の人達の時代には、現在のひな祭りと同じ様な事をしていたことになります。

ただ、当時は、男性の人達が雛祭りに参加している事はあまりなかったようです。

仮に、男性が参加していたとしても、沖田総司さんが鈴ちゃんの雛祭りに参加するとかいうと、しない可能性の方が大きいと思いました。

この物語に登場する歌は、「万葉集 第七巻 一三五八番の歌」の歌です。

「はしきやし 吾家の毛桃 本しげみ 花のみ咲きて ならざらめやも」

ひらがなの読み方は、「はしきやし わぎへのけもも もとしげみ はなのみさきて ならざらめやも」となります。

作者は、「詠み人知らず」です。

意味は、「私の家の桃はこんなに繁っているのですから、花だけが咲いて実がならないなんて、そんな事はないでしょうね。」となるそうです。

原文は、「波之吉也思 吾家乃毛桃 本繁 花耳開而 不成在目八方」です。

この歌は、恋が実る事を願った歌ではないかといわれています。

歌の内容からするとそうかもしれないなと思いました。

万葉集の中で「毛桃」と詠まれている時には、女性のことを意識していると思われているそうです。

「春宵」ですが、「しゅんしょう」と読みます。

「春の夜。春の宵。」という意味です。

「夢物語」ですが、「ゆめものがたり」と読みます。

「見た夢の話し。夢語り。」という意味です。

楽しんで頂けると嬉しいです。





はじめに       本編  

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