このページは、2019年3月に保存されたアーカイブです。最新の内容ではない場合がありますのでご注意ください

〜 雪月花 新撰組異聞 編 〜


〜 雪消え月 うつつには逢ふよしもなし 〜


〜 後書き 〜


ここまで読んで頂いてありがとうございます。

ここからは後書きになります。

山南敬助さんが切腹をしたのは、「元治二年二月二十三日」または、「慶応元年二月二十三日」と伝えられています。

西暦に直すと「1865年」の事になります。

二つの元号で表記されている事があるのは、1865年に「元治」から「慶応」に元号が変わった事が原因だと思います。

この物語では、「元治二年二月二十三日」として物語を書きます。

「元治二年二月二十三日」を現在の暦に直すと、「三月二十日」頃になるそうです。

山南敬助さんは、元治二年二月に新撰組を脱走します。

脱走をした理由は、はっきりとは分かっていません。

今までのいろいろな出来事が重なった結果とも言われています。

沖田総司さんが山南敬助さんの追手を務める事になります。

沖田総司さんと山南敬助さんは、一緒に戻ってきます。

戻ってきた山南敬助さんは幽閉されます。

たくさんの人達が近藤勇さんなどに助命を願い出ますが、結果的には切腹の沙汰が下ります。

介錯は沖田総司さんが務める事になります。

山南敬助さんが幽閉されている最中の出来事として、明里さんと逢う場面がドラマや小説などに登場します。

後々の事になりますが、永倉新八さんが、山南敬助さんの幽閉中に明里さんと会わせたと話しをした事が基になっているようです。

ただし、山南敬助さんと明里さんの会った話しをしているのは、永倉新八さんだけだそうです。

事実だとした場合、状況から考えると、永倉新八さん以外にも知っている人はいると思います。

ただし、武士の時代が続いている間は、他の人に話したり記録に残したりする事は出来なかったと思います。

話しが出来る状況が来た時には、新撰組の人達は、戦の中で次々に行方不明になったり亡くなったりしています。

新撰組の関係者も世情の事もあり、気軽に話を出来る状況ではなかったと思います。

そういう事もあって、新しい資料が出てこない限りは、肯定も否定もどちらも出来る状況になっていると思います。

明里さんは実在の人物だという確認が取れていないそうです。

当時の人は名前を変える事があるので、僅かな間だけ「明里」と名乗っていた可能性もあります。

名前が間違って伝わっている可能性もあります。

そのために明里さんの確認が取れないのかも知れません。

明里さんが実在の人物でなかったとしても、山南敬助さんにとって「明里」さんに該当する人はいたと思います。

ある意味、謎の出来事だと思います。

この物語に登場する歌は、「万葉集 第十一巻 二五四四番」です。

「うつつには 逢ふよしもなし 夢にだに 間なく見え君 恋ひに死ぬべし」

ひらがなでの読み方は、「うつつには あふよしもなし いめにだに まなくみえきみ こひにしぬべし」です。

作者は「詠み人知らず」です。

原文は「寤者 相縁毛無 夢谷 間無見君 戀尓可死」です。

意味は「現実にはとても逢うすべがありません。(ですから)せめて夢の中だけでも逢ってください。でないと恋に苦しんで死んでしまいそうです。」となるそうです。

「雪消え月」は「ゆきぎえづき」と読みます。

「陰暦二月の異称」です。

楽しんで頂けると嬉しいです。





はじめに       本編

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