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北海道旅行記・2004年9月21日


6日目の行程
5日目根室→(バス)→納沙布岬→(バス)→根室→(快速はなさき)→釧路→(特急スーパーおおぞら8号)→池田→(鈍行)→帯広→(特急とかち10号)→新夕張→(鈍行)→夕張7日目

1.納沙布岬

8時前に旅館を出た。バスターミナルで納沙布岬への往復乗車券を購入。普通に買うより300円ぐらい安くなる。8時20分発のバスで納沙布岬へ向かった。根室駅を出てしばらくは降りる客もいたが、途中から納沙布岬までノンストップ。岬の近くはとても日本とは思えない光景が広がっていた。

9時前に納沙布岬到着。小雨が降っていて少し肌寒い。まずは四島のかけ橋というモニュメントとそこに灯っている聖火を見た。次いで北方館という資料館を見学。ここには北方領土に関する古文書や四島の戦前の写真などが展示されていた。あと、資料も色々とおいてあり、北方領土復帰期成同盟(決して右翼団体ではなく、外務大臣許可の公益法人)の資料には「1945年、太平洋戦争が終了した後、ソ連により北方四島が次々と占領されました。その結果、今はロシア人だけが住んでいるのです。このようなやり方は法と正義からいって許すことはできません。」と書いてある。また、北海道が発行している「北方領土ガイド」には、「現在、北方領土はロシアの不法占拠下にあります。我々日本国民が、ロシアのビザを取得して北方領土へ渡航することは、ロシアの領土であることを認めること隣、今後の領土交渉に重大な影響を及ぼす可能性もあることから、認められるものではありません。」と書いてある。また、北方領土視察証明書というものもこの北方館でくれた。

北方館を出てからは外にある石碑や木の碑などを見た。右翼団体のものもけっこう多く、「返せ 全千島 樺太 北の防人」という碑が印象深かった。そしてお土産屋をいくつか見た。そのうちの1店で絵葉書を購入。別の店では店内に入るとおばさんが鉄砲汁を飲んでいけと言い、ただで飲ませてもらった。このように周りをうろうろしているうちに帰りのバスの時間が近づいたのでバス停に向かった。9時47分頃にバス出発。定時より若干遅れて10時20分頃に根室駅に帰ってきた。

2.根室→釧路→池田

駅近くのスーパーでパンとサンドイッチを買い、11時5分発の快速はなさきに乗車。固定クロスのキハ54形単行だった。席はけっこう埋まっていた。釧路−根室間はあまりバスが便利ではなく、列車の需要も高い。特にこの快速はなさきは釧路まで途中4駅にしか停まらず、鈍行より数十分所要時間が短いから客が多いのだろう。厚岸まではずっと寝ていた。

1時過ぎに釧路駅5番線到着。地下道を通ると、5月にステーションデパートが閉店になったことにより地下改札が閉鎖になっていた。昨日釧路駅を訪れた時、やたらとでかい駅ビルだなと思ったのだが、その理由が分かった。

金を下ろす必要があったので駅のATMで金を下ろし、すぐに改札に戻った。13時25分発の特急スーパーおおぞら8号に乗車。列車はキハ283系で平時は6連なのだが今日は9連だった。普段は釧路側から1号車・2号車の順なのにこの列車は札幌側が1号車。何か理由があるのかな…。9連もつないでいるのにけっこう乗車率はよかった。定時に釧路発車。新しい列車なので気動車なのに静かだった。この列車は振り子式なのでカーブではかなり傾く。白糠到着前に車内検札が来た。道内での車内検札は稚内から旭川に向かう特急サロベツ以来。白糠駅発車後に白糠線の跡らしき道路が少し見えた。

車窓からは牛が時々見える。これは別に道内ではいたるところで見られるので珍しくないのだが、鹿を見ることもできた。車内販売のメニュー表を見るとかき弁当があるということなので、車内販売のワゴンが来た時に聞いたらすでに売り切れとのこと…。9号車から順番に回ってきたんだから私の乗っていた2号車までに売り切れるのも仕方ないな…。このキハ283系は新しい列車なので、車端部のLEDに列車の現在位置が表示される。

釧路から白糠、そして音別のあたりまでは海沿いを走るので太平洋がよく見える。そして音別を過ぎて十勝支庁に入って池田が近づいてくると黒い火山灰土の畑が広がる十勝平野に入る。北海道は広いので地域によって景色がどんどん変わるのが面白い。

3.池田→帯広

釧路から1時間強で池田に到着。ここで途中下車。この駅は北海道唯一の第3セクター、ちほく高原鉄道ふるさと銀河線の南端の駅。池田駅の発車番線表示器には「帯広・札幌方面」と「釧路・根室方面」と並んで「足寄・北見方面」を表示してある。ちほく高原鉄道が池北線だった頃から使っているのだろう。池田駅前を少し歩いたが特に面白いものはなかった。

池田15時11分始発の新得行き2552Dに乗車。キハ40系の2連。車内はガラガラでなぜ2連つないでいるのだろうと思ったら2つ先の幕別で大量に高校生が乗り込んできて納得。池田から終点の新得までこの列車で行ってもよかったのだが、やかましい高校生と一緒に乗るのが耐えられず、帯広で下車。私の乗っていた後ろの方の車両が帯広で切り離されるというのもあるが…。

帯広付近は高架線となっており、駅も非常にきれい。かつて士幌線と広尾線(「愛国から幸福へ」の路線)が分岐していた名残は全くない。みどりの窓口では愛国から幸福へのオレンジカードを売っていた。次に乗る特急の車内で食べようと思い、帯広名物の駅弁、豚丼を購入。特急とかちの改札が始まるという放送が入ったのでにホームに上がると特急とかち10号が入ってきた。キハ183系の8連。これも平常は5連なのでかなり増結している。自由席車は前の2連だったので特急サロベツの時と同じようにかぶりつき乗車をしてみる。

4.帯広→新夕張

列車発車の少し前に豚丼の下についている紐を引いて弁当を温めた。16時22分に特急発車。かぶりつきをしながらの駅弁は最高。今回のかぶりつきの見所は何といっても石勝線。地図を見てもらえば分かるが、かつて札幌から帯広・釧路・根室へ行くには夕張山地を迂回した根室本線(滝川−富良野−新得と抜けていく)しかなかった。そこで1981年に夕張山地をぶち抜く石勝線が開業し、従来のルートより50キロ近く短縮された。北海道でも有数の高規格路線で、それまで通ってきた路線のようなローカル感がないが、鉄オタ的には面白い。

新得を過ぎたところに廃線らしき跡があったが、これは根室本線の旧線跡のようだ。トンネルをいくつか過ぎると日高山脈をぶちぬく新狩勝トンネルに入る。このトンネルの末端部が複線区間になっていて、先端が二股になっていて滝川へ向かう根室本線と石勝線に分かれる。かぶりつきをしていたのにどこで根室本線と分岐したのか分からなかったのはこのためだった。新得と隣のトマム駅までは33.8キロもあり、かつては全国一の駅間距離であった。札幌−道東の時間短縮のために山の中をぶちぬいて作った路線だからこういうことになる。ちなみに行き違いができるようにトマム−新得間に信号所は5つあり、複線となるポイント部分は屋根がつけられて雪の影響を受けないようになっている。

トマム−占冠(しむかっぷ)間で道内3回目の車内検札がきた。この石勝線は開業当時から特急しか走っていない路線で、特急しか走らない新夕張−新得間は普通乗車券のみで特急の自由席に乗れる区間として有名である。石勝線は新しい路線なので高架区間が多く、線路は比較的まっすぐに作ってある。周りは山ばっかりで踏み切りもないので列車はかなり飛ばす。北海道内でも有数の山奥なのに、かつては入植者がかなり石勝線沿線にはいたようだ。一体どのような思いで暮らしていたのだろうかと思いながら、夕暮れの沿線を眺めていた。今年春に廃止された楓駅(現在は楓信号所)らしきところも見えたが、暗かったのではっきりは分からなかった。

5.新夕張→夕張

定時の18時ちょうどに新夕張駅に着いた。降りたのは私を含め3人。私以外の2人は恐らく普通切符での旅をしているのであろう、千歳方面へ向かう鈍行のホームへと行ったが、私は夕張支線に乗り換えるので改札の外に出てみた。駅員は事務所内にはいるが、改札は夕方で閉まったようだ。キオスクも閉まっている。乗車駅証明書発行機がおいてあったので証明書(といっても小さな紙切れ)をもらった。駅は私以外いなくて少し怖い感じもしたが、駅を降りて少し歩いたところに国道が走っていて車の往来も多く、コンビニもけっこう人がいた。

コンビニで買い物をしてホームに戻ると、警報音が鳴り、「列車が来ます」というランプが光った。すると特急スーパーおおぞらがものすごいスピードで通過していった。やはり線形のいい石勝線だからこれほどのスピードが出せるのだろう。新夕張駅の駅名表は楓廃止後に取り替えたのか、字体が新しかった。夕張行きの列車がやってくる時間になるとどこからやってきたのか、小さな待合室には5人ほどの人が現れた。18時50分発の夕張行き2643Dに乗車。もう完全に日没して真っ暗なのであたかも夜中のような感じを受けるが、時間は決して遅くないので、車内にはいくらか人がいた。

新夕張から30分弱で夕張駅到着。駅で今夜の宿を紹介してもらおうと思っていたのだが、夕張駅は無人駅で駅前に観光案内所もない。駅前にでかいホテルがあるのだが明らかに高そうなので駅前のコンビニにある雑誌で旅館の電話番号を調べようと思ったが載っていなかった。結局、JTBの時刻表の旅館電話帳で駅前のホテルでない方のホテルに電話をして、そこに泊まることにした。駅前のでかいホテルの前にタクシーが停まっていたのでそれに乗ってホテルへ。

こちらもけっこうでかいホテル。部屋に荷物をおいてから夕食と酒を調達しようと思い、フロントで近くのコンビニの場所を尋ねたら駅前のコンビにしかないと言われたのでそこに行こうとした。だがホテルを出た直後にさびれた酒屋があり、そこで酒を調達することができた。ホテルのある付近が夕張の中心街のようだが、かつて炭鉱があって賑やかだったころの名残がちらほらあるだけで非常に寂れいていた。街のいたるところに昔の映画の看板があったが、夕張では映画で町おこしをしようとしていて、その一環のようだ。古くさい街に古臭い映画の看板はマッチしていた。

結局酒を調達した後も街を少し散策し、ホテルに戻ってきた。大浴場(温泉だった)に入ってから酒を飲み、10時半ごろ就寝。

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