このページは、2019年3月に保存されたアーカイブです。最新の内容ではない場合がありますのでご注意ください

K2形蒸気機関車 134号を見る

 

ここは千葉県習志野市津田沼一丁目

 

常磐線の松戸駅から新京成電鉄(新京成電鉄は元の鉄道聯隊演習線である)に乗り換え、新津田沼駅で下車する。新津田沼駅に隣接するイトーヨーカドーの横に「津田沼一丁目公園」が存在する。そこに今回の目的である「K2形蒸気機関車」が静態保存されている。

 

もう既に機関車の後部が見えている。

 

 

 

 

 

 

 

当時の日本陸軍によって発注されたK2形は、まごうかたなき「戦術兵器」である筈なのだが、「機関車」と言うその使用用途、更に言えば戦地において全く活躍できなかったと言う(総生産47両中戦地に送られたのは10両ほどと言われる)その歴史、そして何よりもその外見の大人しさ、ユーモラスさから、殺伐とした空気は微塵も感じられない。

 

まず機関車の後部を観察する。

非常に単純な線で構成された何とも言えない造形である。上部に開けられた窓もシンプルだ。窓の内側には蝶番があり、開閉が可能となっている。こちら側を先頭にして運行するのも簡単であっただろう。

 

中央部には無骨なステーのような物が付けられている。この場所には勿来鉱のK2形の場合「増設炭庫」が設置されていた。その炭庫に石炭を入れ、内部の開口部から焚口へ石炭を投入したものと思われる。

 

 

 

 

次は機関車の正面を見てみる。

 

可愛らしく整ったデザインである。戦時設計であり、極力無駄を省いた設計だったのだろうが、それがかえって機関車本来の美しいラインを際立たせる結果になっている。煙突のデザインは特に素晴らしい。

 

機関車の要である台枠はいかにも鉄と言った感じの重厚感がある。

ボイラーは軽便規格の蒸気機関車としては大型だったそうだ。比較する機関車が思い浮かばないのは仕方が無い。

 

 

 

 

 

 

側面(右側)を見る。

こちら側も無駄を省いた機能に徹したラインでデザインされている事が分かる。

 

K2形の特徴であるサイドタンクやボイラー、デッキ部分、コミカルな印象を与える車輪…それらがうまい具合にまとまっている。

 

このK2形の特徴である車輪周りは後でじっくりと観察する事にして、外見から気付いた部分を見ていこう。

 

 

 

 

 

 

 

連結器部分は不思議な形をしている。森林鉄道などで使われている物と似ているようだ。

 

この連結器と貨車の連結器を「連結環」というリング状の部品で接続していた。

 

当時の軽便規格の貨車には空気ブレーキなどは当然装備されていないので、加減速の衝撃は連結器部分が全て受ける事になる。

 

連結器の奥にスプリングが仕込まれているのがお分かりいただけるだろう。

 

 

 

 

 

 

デッキのデザインもいたってシンプルだが、何故か可愛らしい印象を受ける。

 

勿来鉱専用軌道に放出されたK2形には、デッキ前方に誇らしげにプレートが取り付けてあった。

 

当然この134号機にも同様のプレートが取り付けてあったのだろうが、今では現存しないようだ。

 

プレートの設置位置は画像のあたりだったのだろう。(画像加工が拙くて申し訳ない)

 

「134」はK2形の通し番号(34機目?)。「K2E」のK2は形式名(川崎2)を指し、Eは蒸気機関車の形式(E型)を示す。

 

 

 

 

反対側に廻ってみる。(左側)

 

全体を収めようとすると、公園の敷地から出てしまう。歩道から撮影する。

 

特に右側と変わる所は無いようだが、細かく見ると色々面白い。

 

 

 

 

 

 

 

 

デッキ後部にネジを切ったパイプが見える。

 

これがホースの接続口であろう。これに携行したホースを繋ぎ、河川などから給水したのだろう。実践的な装備だ。

 

パイプは機体前方に導かれ、揚水ポンプと接続されているのだろう。

 

 

 

 

 

 

 

 

揚水ポンプで汲み上げられた水はタンクに送られた。

 

走行時など使用しない時のホースは画像下に見える3個のステーに巻き付けられていた。

 

もっとも勿来鉱専用軌道では給水場が駅と炭鉱にあったので使用されなかったそうだが。

 

蛭田川から水を汲み上げるK2形…などというのも絵的に面白かったかもしれない。

 

 

 

 

 

 

次は車輪廻りだ。

 

一見すると普通の蒸気機関車の足回りであるのだが、ここにK2形の特徴である機構が仕込まれている。

 

1輪ごとに見ていこう。

 

 

 

 

 

 

 

 

車輪を動かす要であるシリンダーと、第一動輪を見る。

 

2つのピストンが交互に伸縮し、前後運動を回転運動に変換する蒸気機関車の基本的なシステムが良く分かる。

 

第一動輪もカウンターウェイト付のごく普通の動輪のようだが、K2形はこの第一動輪の内部に複雑なシステムが組み込まれている。

 

※「BRASS SOLDER鉄道趣味生活」のBrass_solder氏によると1067㎜に改軌されたK2形には後述の「クリン・リントナー式」は仕込まれていないとの事。また600㎜軌間(オリジナル)のK2形の車輪は台枠の内側にあり、クランクと車輪は別々に存在していた。1067㎜のK2形の車輪は画像のようにクランクと車輪を一体化し、カウンターウェイト付の車輪となっている。

 

 

 

 

 

 

ピストンからまず第2動輪に動力が伝達されるのだが、普通の機関車とは違い第一動輪には「クリン・リントナー式」という

複雑かつ精密なギヤ駆動システムを用いて動力を伝えている。(600㎜仕様の場合)

 

詳しくは別のページで解説するが(実は私もよく理解できていない)

前輪駆動の自動車の動力伝達と似たようなものではないだろうか。

 

ギヤにより駆動された第1動輪の車輪中央には半円状のボールジョイントのような物が仕込まれ、動輪の前後方向(画像で見ると左右方向)への僅かな移動を許容して急カーブの通過を容易にさせたという。

 

 

 

 

 

こちらは一番後ろの第5動輪である。

 

こちらも前の第4動輪との間にクリン・リントナー式ギヤ駆動システムを仕込み、第4動輪から動力を伝達される。(600㎜使用の場合)

 

しかし、「急カーブの通過」と言う事に気を囚われすぎ、メンテナンスを複雑化させ戦場などの現場でトラブルの元になったであろう事は想像に難くない。設計が先行しすぎたのだ。

 

事実、勿来鉱専用軌道には7機が放出されたが、そのうちの1機は部品取り用に使われていて実際には稼働していなかったそうだ。

 

 

 

 

 

複雑なメカを仕込んだ第1、第5動輪と違い、この第3動輪は目に見えるシステムを仕込んである。

 

現代の機関車や電車を見慣れた人には奇異に見えるはずだ。

 

何とこの第3動輪には車輪にフランジ(つば)が付いていないのである。

 

上の画像の第5動輪と見比べてみれば一目瞭然であろう。

 

 

 

 

 

 

この角度から見れば第3動輪の特異な姿がお分かりいただけるかと思う。

 

前後の第2、第4動輪が見慣れた鉄道車両の車輪の形態を取っているのに対し、第3動輪は切り分ける前のチーズのような円筒形をしている。

 

「急カーブ通過時にはこの第3動輪は線路を逸脱(!!)して浮遊する。第1、第5動輪の首振り機構と合わせて絶大な効果を発揮する」

 

…と言うが、それ程の急カーブが存在しなかった勿来鉱専用軌道にとっては必要のない機構だ。

 

 

 

 

 

戦時中のいくつかの兵器がそうであったように、期待していた成果を残せなかったと言う一面ではこのK2形も同様であろう。

 

しかし、他の兵器とは違い戦後全国各地に散っていったK2形はそれぞれの持ち場で戦後の復興の為、黙々と機関車としての役目を果たしていた。

 

勤めを終えた仲間の行方はほとんどが知れない…幸運な一機が子供たちの見守る公園の中で静かに今日も佇んでいる。

 

 

 

 

 

 

 

単語解説、K2形消息

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