このページは、2019年3月に保存されたアーカイブです。最新の内容ではない場合がありますのでご注意ください

品川白煉瓦専用軌道 1

〜赤井駅とその周辺〜

 

 

 

 

平成20年3月30日、正午に磐越東線の赤井駅前に着いた。

 

赤井駅は昔ながらの佇まいを見せているが、昼間の駅周辺には人っ子一人いない。日曜なので尚更静かさが際立つ。

 

駅前には明確な駐車スペースが無い。取り敢えず適当な場所に車を停めさせて頂く。

 

今回はこの赤井にかつて存在した3つの運炭鉄道を探訪する計画だ。

 

 

 

 

 

 

 

当初この赤井駅にはいわき駅から列車で来る予定(赤井駅から徒歩で探索)だったのだが、事前調査の末、計画を変更していつも通り、車に自転車を積んできた。

 

これはひどい…このダイヤでは気楽に探索と言う訳にはいかない。

 

昼間に5時間も列車の来ない時間帯がある。郡山側(小野新町〜郡山間)なら多少利便性があるのだが…

 

 

 

 

 

 

 

 

赤井駅は無人駅である。となれば…ちょっとお邪魔させて頂く。

 

駅舎には券売機はおろか、乗車駅証明書発行機すらない。切符は車内で車掌から購入する仕組みだ。

 

無人駅と言うことで、心無い人の落書きやいたずらがあるのかと思ったのだが、そのような物は無かった。

 

地元の人が自発的に駅施設の手入れをしているのだろう。この待合室もよい状態だ。

丁度、70歳位の老婦人とすれ違った。駅構内の花壇の手入れをされていたのだろう。

利用の如何に関らず駅を大切にする心は素晴らしいと思う。

 

 

 

ホームの端まで行き、いわき方向を見る。

 

ローカル線の風情満点である。

 

磐越東線は特殊自動閉塞方式なので出発信号機が無いのが惜しいところだ。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

ホーム中央付近から今度は郡山方面を見る。

 

かつて広大な構内を誇った赤井駅も専用鉄道廃止後、貨物の取り扱いが無くなり作業用側線以外全部消えてしまった。

 

左側の住宅地も、右側の工場も昔は赤井駅の構内だったのだ。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

郡山側のホームの端から撮影する。

 

本線と並行するように線路1本分の土地が続いている。

 

この土地には赤井地区で最後まで残った「日曹赤井炭鉱専用線」が敷設されていたのだろう。

 

他の2線、「品川白煉瓦専用軌道」や「日曹常磐炭鉱専用鉄道」などはこの専用線の更に左(西)側から分岐していたものと思われる。

 

 

 

 

 

 

 

赤井駅から郡山方面に200mほど行った所に「新日渡(しんひわたし)踏切」がある。

 

赤井駅方面を見ると、先程ホームから見えた専用線の跡が草地となって残っているのが分かる。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

今度は郡山方面を見る。

 

専用線跡はしばらくの間磐越東線と並行して敷設されていた。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

踏切の傍らに「日曹炭鉱」と書かれた境界標が目に入った。

 

この境界標については、相互リンク「街道Web」のTUKA氏が既にレポートしているが、実際にこの目で見る事が出来て感激した。

 

常磐炭田内の廃線跡を探訪して始めて「炭鉱」と書かれた境界標を目にする事が出来たのだ。

 

日曹炭鉱:日本曹達㈱の子会社であった日曹鉱業㈱は、昭和21(1946)年に一旦日本曹達と合併するが、昭和24(1949)年にGHQから「財閥解体指令」が命令され、日本曹達㈱の石炭部門として日曹炭鉱㈱が独立した。

 

 

 

 

 

また別の場所では、コンクリートブロックに挟まれるようにして炭鉱の境界標があった。

 

いずれも鉄道の敷地との境に建てられている。

 

踏切付近では計3本の境界標を発見する事ができた。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

踏切から2〜30m程進むと、小さな沢を渡る橋が目に入った。

 

画像奥に見える線路は磐越東線だ。

 

手前に見える橋が日曹赤井炭鉱専用線が使用していた橋だろう。

 

橋本体はなかなか特徴的な形をしている。

 

 

 

 

 

 

 

磐越東線の西側を並行して走る市道 深田堀ノ内線から3つの運炭鉄道の位置を考察する。

 

笹薮になっている築堤上に「日曹赤井炭鉱専用線」(昭和16年〜昭和35年)

築堤の下に「品川白煉瓦専用軌道」(大正6年〜昭和30年)

少々間をあけて一番西側に「日曹常磐炭鉱専用鉄道」(大正7年〜昭和20年)

 

…というように鉄道が敷設されていたと考える。(資料:常磐地方の鉱山鉄道より)

 

 

 

 

 

 

 

更に100mほど先に進んだ地点で、3本の鉄道は放射状に分岐する。

 

築堤上をまっすぐ進む「日曹赤井炭鉱専用線」

正面の民家に突っ込むような線形をとっていた「品川白煉瓦専用軌道」

現在の市道にほぼ沿う形でカーブしていた「日曹常磐炭鉱専用鉄道」

 

昭和10年代後半のこの場所は「鉄道銀座」の様相を呈していた。

 

 

 

 

 

 

 

上の画像の場所の右手には小さな畑のような場所があった。

 

その畑の中に埋もれるようにして「日曹炭鉱」の境界標を再び見つけた。

 

日曹赤井炭鉱専用線廃止から(書類上で)36年、未だに現存しているのは何故だろうか?

 

 

 

 

 

 

 

 

 

畑には2本境界標が刺さっていた。

 

画像外の場所でも一本発見したので、先程の踏切の3本と合わせると境界標は合計で6本ある事になる。

 

「日曹炭鉱」の境界標があるのだから、「品川白煉瓦」の境界標もあるかも…と期待して付近を探したのだが、残念ながら見つからなかった。

 

日本曹達㈱と品川白煉瓦㈱という現在でもその名を世界に知られた企業の専用鉄道が並行して敷設されていたのだ。無用のトラブルなどが起きてはいけないので土地の境界を両社で厳密に決めたのだろう。

 

次のページでは日曹赤井炭鉱専用線と日曹常磐炭鉱専用鉄道のそれぞれの終点付近を探訪する。

 

 

 

品川白煉瓦専用軌道 2へ

トップに戻る

このページは、2019年3月に保存されたアーカイブです。最新の内容ではない場合がありますのでご注意ください