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品川白煉瓦専用軌道 3
〜最後の馬車運炭軌道〜
日曹赤井炭鉱専用線と日曹常磐炭鉱専用鉄道が放射状に分岐するこの地点。
その中央を割るようにして品川白煉瓦専用軌道が通じていた。
軌道跡は民家が建ち並び、痕跡は見出せない。
県道133号 赤井停車場線は品川白煉瓦専用軌道の線形を踏襲するように作られている。
軌道廃止後、専用軌道跡がいつのまにか(…)県道に組み入れられ、県と品川白煉瓦の間で一悶着あったと言う。
「専用軌道」は県道の右側、
「専用鉄道」は県道の左側にそれぞれ並行して敷設されていた。
2つの鉄道が並行する様はどのような物だったろうか。
常住(じょうじゅう)地区に、2つの目的を同じくする鉄道が敷設されていた。
後発の専用鉄道建設の際(大正6年頃)、(当時)赤井軌道との間には5間(約9m)の間隔をおいて敷設するように命令が下ったと言う。
今の県道133号線は品川白煉瓦専用軌道と日曹常磐専用鉄道の鉄道敷きの間の土地を使用したと思われる。
…画像の右側に北に分岐する道がある。これはかつて品川白煉瓦専用軌道の分岐線であった「粘土運搬線」(開設、廃止時期不明)跡である。
ちょっと寄り道してみる。
(粘土運搬線)
粘土運搬線の跡は比良地区の境界に沿うように続いていた。
画像右側に分かれる道が粘土運搬線跡である。
道の両側には新しい住宅が建ち並んでいる。
ある一時期、この場所を馬に牽かれた貨車がゆっくりと通っていたのだ。
住宅地が終わり、道は滑らかな砂利道になる。
資料(常磐地方の鉱山鉄道)ではこの地点に粘土運搬線の粘土積込場があったようである。
粘土をどこから採掘していたのかは判然としない。
(品川白煉瓦専用軌道本線に戻る。)
(本線)
比良地区から常住地区に入ると、どこかノスタルジックな風景が広がる。
県道の右側を品川白煉瓦専用軌道が通っていた。
品川白煉瓦赤井炭鉱から採炭された石炭や粘土は、ほぼ自社内で消費されていた為、機関車導入や専用鉄道化などの近代化を図る必要が無かった。会社(品川白煉瓦㈱)の一施設である為、採算は度外視されていた。
戦後に存在した運炭鉄道としては、全国的にも稀な馬車軌道であった。
ノスタルジィな雰囲気は続く。
鉄道に由来する道だけあり、勾配はこの地点までほとんど無い。
集落を抜けると、山が迫ってきた。
県道133号線はこのまま山中に進み、閼伽井嶽薬師(あかいだけやくし)の前を通り、閼伽井嶽(標高605m)の中腹を通り、磐越自動車道三和ICのすぐ横の合戸と言う地区で国道49号線に合流する。機会があれば通しで走ってみたい。
画像中央に品川白煉瓦専用軌道の終点が見えてきた。もう一息だ。
ここが品川白煉瓦専用軌道の終点だった所だ。
いまは「品川グランド」専用駐車場になっている。
品川白煉瓦赤井炭鉱はここから小山一つ越えた所にあり、坑口からトロッコに乗せてこの場所まで運搬してきた。トロッコ線も残っているのだろうか?いずれ機会があれば検証してみたい。
53年前までこの場所で馬と御者、そして石炭(粘土)を積んだ貨車が赤井駅に向けて出発していったのだ。
駐車場の向かいには「品川グランド」がある。
駐車場とグランドは今でも品川白煉瓦㈱が所有しており、探訪当日も野球の練習に勤しむ人の姿が見られた。
品川グランドにはかつて「品川白煉瓦赤井分工場」が建っていた。工場側にも専用軌道の引込線があった。こちらも終点として考えて良いだろう。
この工場では、品川白煉瓦赤井炭鉱から採掘された石炭と粘土を選り分け、(品川白煉瓦赤井炭鉱は石炭と粘土の並存層がある)粘土は耐火煉瓦の原料に精製して、赤井駅に運び、国鉄の貨車に積替えて湯本駅まで輸送され、湯本駅に隣接した
品川白煉瓦湯本工場
で耐火煉瓦にされた。
石炭は湯本工場の発電用など関連事業に使用され、余剰分は売却されたという。
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