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常磐炭鉱専用鉄道 小野田線 1
〜湯本駅→宝海隧道〜
JR東日本 常磐線
常磐湯本温泉の地元として全国的にも有名であるが、映画「フラガール」の公開によりその知名度を格段に増したのは喜ばしい限りである。
映画の舞台となった「常磐ハワイアンセンター」(スパリゾートハワイアンズ)も炭鉱に由来する物件ではあるが、今回は湯本温泉の喧騒から離れ、昔の喧騒の跡を探しに行く。
11月11日午後1時。ちょうど1並び。ちょっとお目出度い。
JR
足湯でくつろぐ人。スパリゾートハワイアンズのレトロ送迎バスに乗車する観光客。郊外の閑散とした駅とは一線
駅前には新たに「みゆきの湯」と言う銭湯ができ、そこを訪れる人が駅前を通る。
「常磐地方の鉱山鉄道」による湯本駅の構内配線図を見ると、小野田線の分岐は構内のいわき側(北)で分岐していたようだ。
当然ながらこの画像からは小野田線の存在を示すものは見つからない。(高萩側)
画面右側、枯れ草に埋まる2本の側線。その更に右側に品川白煉瓦㈱(しながわしろれんが)湯本工場があり、その工場のための専用側線(軌道)が存在していた。
品川白煉瓦㈱湯本工場専用軌道は明治38年(1905)年から昭和44年(1969)7月まで稼動し、入換にはもっぱら蒸気機関車がその任に当たっていた。
明治38年(1905)から明治43年(1910)まで、磐城炭鉱軌道を利用し、小野田地区から産出される粘土を湯本工場に搬入していた。
上の画像を撮影した地点からそのまま反転していわき駅方向を撮影する。
小野田線は画面中央よりやや右、常磐線下り本線の脇の草に埋もれた地点あたりから緩やかに分岐していた。日渡線もこの部分では小野田線と線路を共用していた。
一方、上り本線からは常磐炭鉱専用鉄道 向田線
(大正7年(1918)〜昭和51年(1976)湯本駅〜湯本辰ノ口 全長 0.9km)が分岐していた。
向田線は分岐後急カーブを切り、国道6号を踏み切りで抜け、現在の石炭化石館の辺りまで伸びていた。
小野田坑を湯本地区の常磐炭鉱鉄道輸送発祥の地とするならば、この向田線(常磐炭鉱磐城鉱業所)は常磐炭鉱鉄道輸送の終焉地である。 (常磐炭鉱の採掘の終焉は茨城県の常磐炭鉱茨城鉱業所の「中郷露天鉱(昭和60年採掘終了)」である)
下に降りて常磐線と並行する細道に入る。
私の立っている地点あたりではもう小野田線が分岐していた。
小野田線跡を進むと常磐線を渡る踏切が見えた。
「湯本陸前浜街道踏切」という立派な名前の踏切だ。
正面を横切る道がかつての街道→国道であった事を知る事ができる。
小野田線(日渡線)はまだ直進を続けるはずだが、一軒の商店により現在は先を見通せない。
迂回する。
小野田線跡に復帰する。道は幾分広くなり普通乗用車ならば支障無く通行できる。
画面右側に見えるトンネルは常磐線の「新傾城トンネル」である。
道は左に緩やかなカーブを切る。いよいよ小野田線が本格的に始まったのか?
小野田線が左にカーブする辺りで、日渡線が分岐する。
閑静な通りにはいささか不似合いなノボリが道を賑す。
小野田線は尚も半径の大きなカーブでゆっくり常磐線から離れて行く。
画面中央で道が分岐し、そこに青看が立っている。
何であろうか?
青看を見るとこの先(すなわち小野田線跡)は車両の通行が出来ない事を警告している。
お車の方は右折して宝海地区を通り6号線に抜けて下さい…との事だ。
この看板をよく見ると「車両通行」の方向を規制しているのであって「一方通行」の規制ではない。
更に言うならば2輪車(オートバイ、自転車)の通行は規制していない。
今回は徒歩による探索なので青看の規制対象外だ。罷り通らせていただく。
墨が消えてよく読めないが、「大山衹神社」(おおやまつみじんじゃ)と書いてあるようだ。
大山衹神社は炭山の守り神とされている大山津見の神を祀る神社である。
神社の本尊はこの鳥居をくぐり、階段を上がっていった先の小山の上にあるようだ。
神社の脇には…
!!
宝海(ほうかい)隧道が唐突に出現した。
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