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江名鉄道 4〜そして江名へ〜
永崎海岸を離れた鉄道は現在の県道15号「小名浜四倉」線に沿いつつ「馬落前」(もうじまえ)駅に進む。
馬落前からは隧道を通り、「中之作」駅、そして終点の「江名」駅に到着する。
江名鉄道の前身たる「磐城海岸軌道」との関連も注目したい。
先ほどのコンビニから100mほど進むと海岸を訪れる人の為の駐車場があった。
サーフィンやボディボードを嗜む人や家族連れの人の車が多いのかワンボックス車やワゴン車が駐車している車の大半を占める。
今も昔も永崎海岸はいわきの人々に親しまれている。
海岸を訪れる人の交通手段は半世紀ですっかり公共交通機関(バス、鉄道)からマイカーにシフトされた。
もし江名鉄道が台風の被害に逢わずに存続していたとしても、昭和47年(福島臨海鉄道旅客輸送廃止の年)を迎えることは出来なかっただろう。
印象的な海沿い区間を過ぎ、道路は二股に分かれる。
線路は山の方を選択した。いよいよ江名地区に向かって頭を向けたのである。
私は何か江名鉄道の痕跡がないか、画像の端の周辺も丹念に見廻してみた…何も無かった。
橋を渡ると道路(県道15号線)は緩やかに右カーブを描く。カーブの途中では大平地区から伸びてきた道(この道も盤城海岸軌道に由来する)と合流する。
傾斜もきつくなり始めた。
カーブの先には郵便局。「中之作郵便局」。
ともすれば単調になってしまいがちな三角形の建物だが、窓の意匠やタイル張りに工夫を凝らしいい味わいのある建物に仕上がっている。
郵便局の前から道路を見渡す…が
これは…勾配がきつくないだろうか?車なら何とも思わずに通り過ぎるありふれた坂道だが、鉄道として考えるときつくはなかっただろうか?
江名鉄道の時代であればこの勾配は克服できたのだろうが、この道は江名鉄道の先代「磐城海岸軌道」も通っていた道である。
明治〜大正中期では馬車が、大正末期〜昭和16年ではガソリンカーがこの坂に勇躍挑んでいたのだ。
線路はこの道路の右側の高台を通っていたようだ。
坂を上った左手にはこじんまりとしているが、立派な佇まいの神社がある。
神社の本体の壁面は赤い色で彩られている。何十年毎に塗り替えたりするのだろうか。きっと立派できらびやかな姿を見せるだろう。
この神社は、江名鉄道の線路跡を探索するのに大いに役立った。
何故ならば、神社は少なくとも大正時代からここに建立されていたからだ。神社は江名の鉄道の盛衰を見ていた。神社の前を馬車、ガソリンカー、ディーゼルカーが駆けていったのだ。
神社のご本尊様とお話できたならば、どんな鉄道だったのか是非聞いてみたい。
お墓!
地図から馬落前(もうじまえ)駅の位置を推定すると、道路を挟んだ向かい側に存在していたようだ。
神社の向かい側…振り向いた私の目に写ったのは、まぎれもなくお墓、霊園であった。
霊園の前、若しくは少し手前に駅が存在していたと考える。
馬落前駅の少し先はY字の交差点になっている。
左側の道がこれから向かう江名鉄道跡である。鉄道廃止後に車道化(新県道)された。
右に別れ降りていく道がかつてのメイン道路(旧県道)であった。磐城海岸軌道は右の道を駆け下った先、中之作漁港前が終点であったと言う。
鉄道は旧県道を跨ぐように敷かれ、踏切があった。
交差点を左に進むと程無くしてトンネルが現れた。
中之作南トンネルという名前である。
江名鉄道時代は「中之作第一トンネル」と呼ばれていた。
全長は100m(ローカル私鉄廃線100線より)ある。
現在の中之作南トンネルの銘板を見てみると「延長90m」となっている。
10m違うが線路跡を車道に改修した際にいくらか切り崩したのであろう。
江名鉄道の廃止が1968年、トンネルの改修工事が1972年…鉄道廃止後しばらくの間は非公式に車道として使用されていたのかも知れない。
中之作南トンネルを抜けるとすぐに次のトンネルが見えてきた。
江名鉄道時代には中之作第一トンネルの次に「中之作第二トンネル」があったという。
第二トンネルは全長僅か5m(!)だったので車道化の際に切り崩されてしまったものと思われる。
「中之作」駅はこのトンネルに挟まれた区間に存在していた。地図から推定すると画面奥の軽自動車の辺りに存在したと思われる。
上の画像の奥に見えるトンネルは「中之作北トンネル」と呼ばれている。先ほどの南トンネルと抗口の形状が全く同じだ。
江名鉄道時代は「江名トンネル」と呼ばれていた。
全長は200m(ローカル私鉄廃線100線より)だったそうだ。
中之作北トンネルの銘板を見る。
全長は190m、江名トンネル時代と10m違うのは南トンネルと同じ事情からだろう。
改修年月が南トンネルより1年ずれている。
このトンネルを抜けるといよいよ終点のある江名地区に入る。
トンネルを抜け、いよいよ江名地区に足を踏み入れた。
集落は雑多な感じがするが、かえってそれがいい雰囲気を醸し出している。
江名駅はもうちょっと先か…
「安竜団地南入口」…この立派な看板から先が江名鉄道終着「江名」駅があった所だと言う。
奥の僅かな空き地に架空の線路を想像してみる…が
今では駅の存在を伺わせる遺構は何も無い。
「カザマ時計店」さんの少し先辺りまでが江名駅の構内であったと思われる。
江名駅は貨物(荷扱い)ホーム(片面式)が一つ、旅客ホーム(島式)が一つの構成の非常に効率的な構内配置であったようだ。
江名鉄道には果たせぬ野望があった。この江名駅から先も路線を延長する計画があったのだ。
予想外の収益と災害に阻まれ、野望は露と消えた…
かつてこの地に鉄道があった事を知っている人がいる、しかしもう鉄道は跡形も無い…夢幻の世界に行ってしまった列車はもうやってこない…
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