このページは、2019年3月に保存されたアーカイブです。最新の内容ではない場合がありますのでご注意ください |
古河好間炭鉱専用鉄道 3
〜鬼越第一隧道とその周辺〜
築堤の先に半円形の空間が見える。
その空間の手前には柵のようなものも見える。
藪が上部に覆い被さり、人を近寄せない雰囲気を放つ。
民家の方から見えないように自転車を止め、徒歩で接近する。
昨今の「ヘリテージツーリズム」によって訪れる人が増えた為か、枯れ草が脇に寄せられている。踏み跡もある。
とはいえ、足元に十分な注意を払いつつ更に進む。
全体像が見えた。
これが「鬼越第一隧道」だ。長さは80mと言われている。
先程見た「御台境鉄橋跡」にも劣らない素晴らしい煉瓦積みの坑口に圧倒される。
これほど立派なものとは思わなかった。
しばらくこのまま隧道を見つめる。
隧道の上部には扁額や社紋のような物は取り付けられていない。いたってシンプルだ。
地山との境にはヨーロッパの城壁の如く煉瓦が前にせり出して、デザイン上の良いアクセントとなっている。
隧道のアーチ部分は3重に煉瓦が積まれている。その緻密な積まれ方に感嘆する。直線状の物体を組み合わせて曲線を作るのは考える以上に面倒で難しい。
アーチ部と本体の摺り合わせも見事と言う他無い。
これが100年前の施工と言うのだから恐れ入る。
坑門左側の門柱を見る。
本来この門柱は無くても構わないのだろうが、流石は明治時代の建築物。アクセントを作るのがうまい。
煉瓦は山に吸い込まれるようにごく自然に積まれている。コンクリート製のトンネルではこうはいかないだろう。
右側の門柱も見る。
こちらも左側と同じデザインである。
山の斜面の被りが多く、優雅な煉瓦積みが見られないのが惜しい所ではある。
隧道の足元は大変に状況が悪い。探訪日の前日まで3日も振り続いた雨が一層状況を悪化させていた。
隧道内からは止めども無く水が流れ出し、小さな川を作り出している。
スニーカーなどでこの隧道を訪れた私は準備不足と言える。
隧道内部にも煉瓦はみっしりと積まれていた。
総煉瓦造りの隧道にはあまりお目に掛かれない。貴重な産業遺構として長く残されるべきものであろう。
長年の侵食により煉瓦の色は変化しているが、脱落した煉瓦は見られない。
明治の煉瓦職人の仕事に感嘆するばかりだ。
隧道の向こう側は大変な激藪のようだ。
フラッシュを焚いて隧道内を見てみたのだが、煉瓦が崩れているような場所は見受けられなかった。
専用鉄道廃止後しばらくの間は車道、もしくは歩道として使用されていたのかもしれない。
取り敢えず鬼越第一隧道の裏側に廻ってみる。
長年放置されていた築堤は大変凄い状況になっていた。
地面が盛り上がっている所が築堤と判断できるのだが、その様子は一目で通行を断念するには充分であった。
下の平地から接近して坑口にアプローチする…などと言うことはしない。すぐに諦めた。
先は長い。専用鉄道の行く先を探訪することにしよう。
築堤は急な変化を見せる。
凄い急坂だ。専用鉄道のオリジナルの勾配では勿論無いだろう。
この先は国道49号平バイパスになっている。かつてはこの地点にも隧道があった。
バイパス工事の際に、「鬼越第二隧道」(全長88m)は開削されてしまったと言う。
昭和50年頃にはまだ隧道は存在していたようだが…
隧道だった道を登り、国道49号バイパスとの合流地点に向かう。
国道49号平バイパスに出ると、
先程までの隧道付近の静けさが嘘だったかのように車がひっきりなしに通り、現実の世界に引き戻される。
次頁では古河好間炭鉱(跡)付近を探訪する。
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