このページは、2019年3月に保存されたアーカイブです。最新の内容ではない場合がありますのでご注意ください

古河好間炭鉱専用鉄道 4

〜好間地区の変化〜

 

 

国道49号平バイパス脇に「スポットパーク好間」がある。

 

洒落た名前の施設だがトイレと駐車場、簡単な自販機がある程度だ。

 

ここから専用鉄道跡の探訪を続ける。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

スポットパーク好間の横あたりで専用鉄道は直進に転じていたようだ。

 

私の立っているこの地点は「鬼越第二隧道」があった所と推測する。

 

恐らく専用鉄道はもう少し低い所に敷設されていたのだろう。

 

平バイパス建築の際に大規模な盛土が行なわれ現在の姿になったのだろう。

 

49号バイパスを西に進む。

 

 

 

 

 

「ここに鉄道があったとは思うまい」…

 

そう思うと不思議な気持ちになる。

 

鉄道跡が国道に変わり、想像も付かないほどの激変振りを見せる。

 

それもまた時代の流れ、面白い。

 

 

 

 

 

 

 

「古河」という文字が見えた。

 

左手に見えるのが「好間第二工業団地」…古河好間炭鉱がかつて存在した所だ。

 

今では「古河機械金属㈱」「古河プラント建設㈱」など古河グループの建物が並ぶ。

 

古河機械金属㈱:明治8(1875)年、創業者 古河市兵衛によって創業された古河鉱業㈱を元とする。古河グループの中核企業であり、傘下には古河電気工業、富士電機、富士通、横浜ゴム、日本軽金属などがある。

 

 

 

 

 

 

古河プラント建設の敷地内には炭鉱時代を思わせるコンクリートの構造物が見える。

 

場所的には選炭場の端になるはずだが、詳しいことは良く分からない。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

古河好間炭鉱の南側の丘陵地には鉱員住宅が整然と建ち並び、その背後にはズリ山がそびえ立っていた。

 

湯本地区と内郷地区を主に展開していた常磐炭鉱㈱の各炭鉱は出水に悩まされたが、この古河好間炭鉱は湯本の各炭鉱とは断層によって遮られていた為、出水も少なく、坑内の温度も低かったという。

 

戦前の好間鉱には厳格な鉱員採用基準があり、そのレベルは兵隊検査の甲種合格に匹敵したと言う。その為、戦時中には多くの好間鉱の鉱員が戦場に刈り出され、帰ってこなかった者も多いと言う。

 

兵隊検査 甲種合格;戦前は満20歳になると徴兵検査を受けた。「身長152cm以上、身体屈強なる者」の中から更に選びぬかれた者が「甲種合格」とされた。

 

 

 

 

左の画像は昭和30年頃の古河好間炭鉱の全景である。

 

2つの竪坑櫓(やぐら)が誇らしげに建っている。

 

奥には炭鉱住宅などの諸施設が建ち並んでいるのが分かる。

 

 

 

 

 

 

 

 

炭鉱の北側の平地には炭鉱住宅(職員用)、忽滑(ぬかり)グラウンドなどがあったと言う。

 

何処の地区の炭鉱もそうだが、大手企業傘下の炭鉱の方が給料も良く、生活条件も良いので有能な鉱員が集まってきた。

 

大手炭鉱同士の鉱員引き抜き合戦などは良くあることだったそうだ。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

古河好間炭鉱を過ぎた専用鉄道は北好間の旧古河好間炭鉱(→小田炭鉱)を目指す。

 

内郷御台境地区で大規模な築堤と2つの隧道をこしらえて好間地区に入った専用鉄道だが、何故かここでは目前の小山を迂回する。

 

画像中央で舗装道路に合流するように見える砂利道が専用鉄道跡だ。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

専用鉄道跡は僅かに高度を下げながら稲荷下地区を進んでいく。

 

鉄道跡は水田に転用されている場所もあった。

 

畦道の脇は専用鉄道の築堤を流用したものと考えられる。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

水田によって一旦流れを絶たれた鉄道跡は程無くして舗装され市道として復活を遂げる。

 

道路の形が鉄道カーブなのが嬉しい所だ。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

鉄道跡は地名の由来でもある稲荷神社の鳥居の前を通る。

 

鉄道の現役当時はどのような光景だったのだろうか。

 

良く見ると川に参道橋が設置されているのが分かる。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

鉄道跡の北側には旧国道49号が走る。

 

この道は古河好間炭鉱専用鉄道の先代である「好間炭鉱専用軌道」(明治39年〜明治41年)が通っていた由緒ある道だ。

 

本筋とは外れるがちょっと覗いてみよう。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

旧国道の車の往来は日中絶えることは無い。

 

いわき駅から好間地区、いわき中央ICを結ぶ道としてその重要性は国道時代からもいささかの揺るぎも無い。

 

専用軌道の開設により好間地区の発展の端緒が開き、古河好間炭鉱の進出で好間地区は更なる発展を遂げた。

 

バス停は堂々「上好間」を名乗る。私の居るあたりが好間商店街の中心だろう。

 

 

 

 

 

 

 

いわき市茨城県北茨城市のバス路線には、今でも炭鉱時代のままの名称のバス停がある。

 

この道を通る新常磐交通のバス路線の行き先も「好間平坑」である。

 

隣の「隅田川」も炭鉱に由来するバス停の名前である。

 

隅田川炭鉱(すみだがわたんこう):明治36(1903)年〜昭和35(1960)年まで上好間地区で稼働していた炭鉱。

                炭鉱から古河好間炭鉱専用鉄道まで専用線を敷設し、馬力→ガソリンカーを用いて運炭した。

 

 

 

 

 

 

(余談)

専用鉄道と旧国道が最も接近する場所に「白土屋菓子店(しらどやかしてん)」がある。

 

白土屋菓子店は地元やその周辺では知られた存在で、売りは何と言っても「シュークリーム」である。

 

味は勿論のこと、驚くべきはその大きさである。

 

「小」「中」「大」「特大」と大きさが4種類あり、「特大」の大きさは必見である。

 

古河好間炭鉱専用鉄道跡を訪れた際には是非とも立ち寄ってもらいたいお店である。

 

 

 

 

専用鉄道跡に戻る。

 

…国道49号バイパスの築堤によって鉄道跡は分断されていた。

 

少々進んだ所に暗渠があるので築堤の向こうに行くのは簡単なのだが、いささか興を削がれてしまったのも事実である。

 

続きは次頁にしよう。

 

 

 

 

 

 

 

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