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ファイルナンバー005:誰も知らない木橋と潜水橋

(双葉郡楢葉町井出)

 

 

ここは常磐線の竜田(たつた)駅。

 

昔ながらの風情を残す駅舎が好ましい。

 

竜田駅は明治42年(1909)年3月25日に開業したと記録されている。

 

丁度開業100周年を迎える目出度き年に訪れる事が出来たのは、偶然とは言え嬉しい限りである。

 

 

 

 

 

 

竜田駅は常磐線 平(現 いわき)〜小高間の開業(明治31年)より10年後に開業している。

 

明治40年頃、龍田村(当時)上繁岡松ヶ丘に進出した城戸(きど)炭鉱は、明治41年に炭鉱より竜田駅付近まで4.58kmに軌間762mmの運炭鉄道を敷設し、同年8月頃より運送を開始した。

 

当初は石炭積替えの為の貨物駅として開業した竜田駅であったが、城戸炭鉱と龍田村議会の尽力により旅客駅として整備され、明治42年より晴れて旅客駅としての営業を開始した。

 

 

 

 

 

 

竜田駅前を起点とする県道250号線 下川内竜田停車場線。

 

運炭鉄道は大正中期には運行を停止してしまったが、鉄道跡は道路として整備され、現在のような県道として今もその形を残している。

 

もっとも鉄道跡=県道という訳では無いようだ。

 

長年に渡る道路としての改良工事は鉄道の痕跡をほぼ消し去ってしまった。県道沿いを探しても運炭鉄道の遺構は見つからなかった。

 

城戸炭鉱の位置も特定できなかった。

 

 

 

竜田駅が視界から消えたその瞬間、県道はご覧のように激烈に絞り込まれる。

 

鉄道由来も納得の完全1車線だ。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

県道250号線は国道6号線をアンダークロスする。

 

国道の交通量は相変わらずだ。

 

こちらの県道を通行する車両はほとんど無い。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

国道をくぐると、ご覧のような風景になる。

 

道が三手に分かれている。

 

真っ直ぐ進むのは県道250号線。

 

手前で分岐するのは県道250号と国道6号線を結ぶ短絡路。

 

今回の目的はその先の銀色の車(我が家の車だが)が停車している道の先にある。

 

 

 

 

 

道は未舗装のまま先に続いていた。

 

轍がしっかりと刻まれているので廃道という訳ではないようだ。

 

左手に見えるのは「双葉住コン」の生コン工場だ。平日は工場に出入りするミキサー車が行き交い、この道に入るのはちょっと憚られる様な雰囲気だ。休日に探訪して正解だった。

 

 

 

 

 

 

 

 

「この先車両通行止め 楢葉町」

 

たいへん簡素なバリケードが行く手を阻んでいた。

 

町が規制すると言う事は、今まで来た道は町道と言う解釈で良いのだろうか。

 

バリケードの先には目的の橋が見えてきた。

 

 

 

 

 

 

 

目的の木橋は大変簡素な作りだった。

 

木橋は補修が行なわれており、何枚かの木板は新しい物に取り替えられている。

 

人間や自転車は渡っても問題ないようだ。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

(2010年11月)

 

一年ほど経って再訪した木橋はすっかり寂れていた。

 

周辺の草は生えるに任せ、管理が行き届いていない様子が見て取れる。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

中にはご覧のように木が一部欠損している場所もある。

 

これは一体どうした事であろうか。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

木橋と上部に架かる国道6号線の「井出川橋」はこのような位置関係になっている。

 

これでは気づかない訳だ。これだけ近いのでは国道走行中に見えるわけが無い。

 

付近の住民の方や釣りで訪れる方しかこの木橋の存在は知られていないだろう。

 

しかしながら、国道の真下と言うシチュエーションがなんとも良い感じである。

 

 

 

 

 

 

 

木橋とは言うものの、橋脚は強固なコンクリートから生えている。

 

一体いつ架けられたのであろうか。

 

対岸の橋台の石積みも中々の出来だが、橋台の基部が堅牢なコンクリートで設えられている事に若干の違和感を覚える。

 

 

 

 

 

 

 

 

木橋は川の流れと平行に渡された下の木板の上に、上の板が直角に並べて組まれている。

 

よく出来た二重構造であり、渡っていても不安を感じる事は無かった。

 

ただ、この欄干の低さはどうした事だろうか。

 

しばらく思案してみたが、これは井出川特有の川底に理由があると思われる。

 

 

 

 

 

 

 

井出川の川底は普通の河川に見られるような砂利では無く、滑りやすく硬い地質で構成されている。そのため荒天時には瞬く間に水かさが増し、驚くべき急流へと変化をする。

 

欄干が高すぎると、増水時に橋そのものが抵抗となり、橋自体の崩壊の危険すら生じる。

欄干を低くする事によって増水時の抵抗を下げる狙いがあるものと(私は)考えている。

 

画像の国道6号線の井出川橋の橋台はご覧のように堅牢極まりない作りになっている。求められる役割の違いだろう。

 

 

 

 

 

 

 

 

(2010年11月)

 

2009年、国道6号線井出川橋に歩道が新設された。

 

道路用の橋脚に歩道用の橋脚が追加されている。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

木橋を渡りきった先はご覧のようなひなびた道が続いていた。

 

10m程先で舗装路が迎えに来ているものの、4輪車を通すレベルの道路ではない。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

井出川橋(歩道)から見た木橋はこのようにみえる。

 

(2010年11月)

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

木橋の全体像を撮影してみる。

 

通行量は極めて限定されているものの、今でも人の手によって整備されている。

 

これからも秘密の存在でいて欲しい謎の木橋だった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

木橋から300m程先、県道250号線から分岐する道が見える。

 

分岐路には真新しい舗装が施されている。

 

工事用の許可標識も設置されている。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

許可標識には必要な情報が漏らさず記載されていた。

 

この先の道が町道 鹿島下奥海線である事。

 

橋の名前が「苅集橋」である事。

 

その他、工事期間なども書かれているが、私はある1行に目が釘付けになった。

 

 

 

 

 

 

 

潜水橋!!

 

この町道の先には潜水橋があると言うのだ。

 

木橋の隣の橋が潜水橋…井出川とは何と素晴らしい河川なのであろうか。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「ご注意 この先の潜水橋は大雨洪水時の渡橋が大変危険ですので、充分ご注意下さい。 楢葉町建設課」

 

これはご丁寧にどうも…

 

大雨でもへっちゃらな潜水橋があったらお目に掛かりたいものだが、知らずに突っ込んで車が水没したり流されたりしたのでは大変なので、この看板の存在は有難いものだ。

 

 

 

 

 

 

 

シンプルの極みと言うべき苅集潜水橋。

 

橋自体はコンクリートの堅牢な作りのようだ。

 

相互リンク「山さ行がねか」主筆のヨッキれん氏の定義からすれば、これは潜水橋では無い。川底を衝き固めて車両の通行を可能にしたのが「潜水橋」という考えだ。

 

この苅集潜水橋は増水時に沈没するので「半潜水橋」と呼ぶのが正しいだろう。

 

 

 

 

 

 

橋の上に立ち、川面を見る。

 

橋から川面までは1mもない。

 

荒天時には水面下に没し、文字通りの潜水橋になるのだ。

 

勿論車両の通行は不可能になるので、迂回を余儀なくされる。

 

 

 

 

 

 

 

木橋と潜水橋…滅多に見られない2つの形態の橋が至近距離に架けられている井出川。

 

天気が良い日はこのように穏やかな流れを見せる。

 

みなさんも是非、井出川に訪れてこの2つの珍しい橋を堪能してはいかがだろうか。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

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