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ファイルナンバー004:魔法のコトバ〜バッカメキ〜

(福島県南相馬市原町区馬場横川)

 

 

双葉郡浪江町昼曽根(ひるそね)と南相馬市原町区馬場を結ぶ、県道49号線原町浪江線。

 

原浪トンネルの開通により、格段に利便性が増した49号線。

 

その原浪トンネルの原町(南相馬)側出口には、このような看板が設置されている。

 

「バッカメキ休猟区」…はじめてこの看板を見た時、私は困惑した。

 

「バッカメキ」とは如何なる意味を持つ言葉なのか?

 

生き物(笑)?猟師の合言葉?そもそも日本語なのか?

 

 

  バッカメキと原町森林鉄道

結論から言えば、バッカメキとは地名だったのだ。アイヌ語を由来とするらしい。地元の馬場や石神地区の人に話を伺うと、

発音的には「バッカミキ」の方が良いらしい。

 

バッカメキと言う言葉を検索すると、「原町森林鉄道」に行き当たる。

浪江町にかつて存在した「浪江森林鉄道」(明治35年〜昭和34年)から遅れる事6年の明治41年に、

馬場〜バッカメキ間が敷設されたのが始まりである。

その後、路線は拡大を続け、福島県内最大規模を誇る一大森林鉄道網が形成された。

 

原町森林鉄道の廃止は浪江森林鉄道の廃止とほぼ同時期の昭和34年と記録されている。

 

森林鉄道の初代終点であるバッカメキには「バッカメキ事業所」が設けられ、

林業関係の施設の他、住宅、学校(!)なども存在していたと言う。

 

今現在もバッカメキ事業所跡は存在していると言う。

バッカメキ事業所に行く為には「道しるべ」を辿って行く。

「道しるべ」とは…?

 

 

上のバッカメキ休猟区の看板から数km原町方面に進んだ県道上に、ご覧のような距離標が一本ポツンと経っている。

 

「道しるべ」とは距離標の事だったのだ。

 

距離表には「五五〇〇」の文字が読み取れる。

 

これを辿っていけばバッカメキ事業所に辿り着ける筈…だが…

 

距離標の続きを見る為、「馬場林道」へと足を踏み入れる。

 

 

 

 

「馬場林道」(原町森林鉄道の馬場本線跡)に進むとすぐに、「六〇〇〇」の距離標ガ出迎えてくれた。

 

500m刻みとは律儀な事である。

 

ご覧のように、鉄道ライクな形状と書体から、「いつ設置されたのか?」と相互リンク「街道Web」掲示板上で議論されたこの距離標であるが、結論としては「林道化後に設置された」とされている。

 

 

 

 

 

 

「六〇〇〇」の次は「六五〇〇」。

 

「五五〇〇」より少ない数字の距離標は発見されていない。これは森林鉄道跡が湖底(横川ダム湖)に没している事や県道の改良工事によって撤去されたものと考えられている。

 

この付近まではハイキング気分でも訪れる事は楽勝であろう。

 

 

 

 

 

 

 

 

太田川を渡る「じゅっけんばし」の傍らには森林鉄道時代の橋台跡が残る。

 

その強固な作りは「本線」の名前に恥じない堂々としたものだ。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

森林鉄道 馬場本線からはいくつかの支線が分岐していたとされる。

 

その中の一つが「タコウ支線」である。

 

「タコウ」とはまた聴きなれない言葉だが、これもアイヌ語に由来するものらしい。

 

分岐点が存在した付近には「タコウ橋」が架かり、当時を少しだけ偲ばせる。

 

 

 

 

 

 

 

いきなり数字が飛んで「八五〇〇」。

 

実のところ、林道からコースアウトしないように運転するのが精一杯だったので、存在した(かもしれない)距離標「七〇〇〇」「七五〇〇」「八〇〇〇」は撮影できなかった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

途中にはご覧のような太田川の華麗な景色を見ることが出来た。

 

昔、森林鉄道や付近で林業に携わっていた人はどのような景色を見たのであろうか。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「九〇〇〇」…もう勘弁してくれ。

 

軽い気持ちで林道へ分け入ったことを激しく後悔していた。

 

引き返そうにも車を転回出来るスペースなどほとんど無い。バッカメキ事業所跡へ行くしか無いのだ。

 

 

 

 

 

 

 

 

距離標の数字は遂に大台の「一〇〇〇〇」になった。

 

県道で見た「五五〇〇」の距離標から4.5km林道を上がってきた事になる。

 

短い距離だったが、私にとっては永遠に続くかとも思われた恐ろしい道であった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

一〇〇〇〇の距離標の先に、不意に空間が開けていた。

 

これが「バッカメキ事業所跡」であろう。

 

ダートの林道を必死の思いで上ってきたのだが、不思議な事に事業所跡の道路と思しき部分はアスファルトによる舗装が成されていた。

 

恐らく、森林鉄道廃止後も事業所は存続し、この付近の拠点として利用されていた事の名残と考えている。

 

 

 

 

 

事業所は思いのほか小規模な空間であった。

 

20m×50m程であろうか。

 

辺り数kmには一軒の民家すら存在しない。

 

陸の孤島ともいうべきこの場所で、林業に携わった人の生活が確かに存在していたのだ。

 

頼るべき交通手段は森林鉄道のみ。生活物資などは鉄道によって運ばれていたのだろう。

 

 

 

 

 

事業所前を通る森林鉄道はまだまだ続く。

 

この先は遥か 飯舘村長泥 まで鉄道が延びていたと言う。

 

原町と飯舘、そして津島村(現浪江町津島)を結んだ鉄道は今はもう無い。

 

僅かばかりの石垣が往時を偲ばせていた。

 

 

 

 

 

 

 

この項終わり

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