このページは、2019年3月に保存されたアーカイブです。最新の内容ではない場合がありますのでご注意ください |
ファイルナンバー007:木戸川森林鉄道の欠片 1
〜謎の隧道と橋台〜
(福島県双葉郡楢葉町)
ここは常磐線
木戸駅は明治31年8月23日に、当時の木戸村の玄関口として開業した。
お隣の竜田駅と同じ様な昔ながらの佇まいの駅舎だ。
駅の北西には舗装された少々大きな空間が残る。
木戸川森林鉄道があった頃、ここは貯木場だったという。
駅前には森林鉄道の他にも、昭和31年頃まで石炭輸送用の架空索道が通じていたと言う。
木戸川森林鉄道
丘の袂を進んでいくシチュエーションは
浪江森林鉄道
のコピーを見るようだ。
場所は変わって、ここは楢葉町の女平。随分山深くまで来たような気がする。
近くには女平発電所がある。
発電所の手前にトンネルがぽっかりと口を開けている。
断面は森林鉄道由来のトンネルを思わせる。
これだけ立派な坑口なのだが、どこを探しても銘板や扁額の類は見つからなかった。
限られた人しか訪れないので名前は要らないと判断されたのだろうか。可哀想な事だ。
入口のすぐ脇に白ペンキで「総延長 67.27m」と書き記されていた。
私が知りえた情報はこれだけだった。
70m足らずの隧道を通り、反対側の坑口を見る。
こちらにも隧道の歴史を知る物は何一つとしてなかった。
坑口脇に残された石垣が歴史ある隧道であったことを伺わせる。
再び隧道を通り、元の場所に戻る。
隧道を抜けるとこのような景色が見える。
橋台と橋脚が見える。
橋台の先は深い森に吸い込まれて行く。
木戸川の水中には横倒しになった橋台が無残な姿を晒している。
木戸川は幾度もの氾濫を起こす暴れ川であった。
数え切れないほどの激流が橋台を洗い、そして倒したのだろう。
…私が今回見た橋と隧道の由来ははっきりしない。
ある資料では木戸川森林鉄道の支線であると言い、またある資料は発電所建設用の資材運搬道路(または軌道)とも言われている。
木戸川森林鉄道の歴史について
木戸川森林鉄道は大正3(1914)年2月、西岡重好氏(現 いわき市鮫川)沼田吉雄氏(現 茨城県高萩市)石川俊氏(現 茨城県日立市)
の3人の材木商が共同し設立した 丸三製材所の手により女平〜木戸駅間が敷設されたのが始まりである。
丸三製材所は下川内村(現 双葉郡川内村下川内)の良質な木材を買い上げ、下川内〜女平間は木材を川流し式で運び、
女平に設けた工場で製材、製版した後、木戸川森林鉄道(当時は木戸川軌道と呼ばれていた)によって木戸駅まで運搬していたと言う。
丸三製材所の進出によって下川内村は大正前期にたいそう賑わったと言う。
しかし、大正11(1921)年2月に起こった木戸川の氾濫と山崩れにより甚大な被害を蒙り、製材所は全滅したという。
昭和になって木戸川軌道は双葉軌道会社と言う会社に管理され整備されていた。
昭和8(1933)年に木戸川軌道は富岡営林署木戸担当区に管理が移管され、「木戸川森林鉄道」となって更なる整備が加えられた。
昭和23(1948)年には、女平から上小川村まで軌道が延長された。
しかし、木材運搬の主力がトラックなどに移行した事などにより、昭和36(1961)年頃に木戸川森林鉄道は廃止された。
このページは、2019年3月に保存されたアーカイブです。最新の内容ではない場合がありますのでご注意ください |