このページは、2019年3月に保存されたアーカイブです。最新の内容ではない場合がありますのでご注意ください

鳳城炭鉱専用軌道(支線)

 

 

 

 

鳳城炭鉱専用軌道(支線)の基礎知識

開設 明治43(1910)年11月

廃止 昭和16(1941)年7

植田駅〜鮫川村辰ノ口〜(支線)〜山田村小山田大谷

全長 4.77km(分岐点〜喜久多坑まで)

 

 

山田村の採炭事情

石城郡山田村(現 いわき市山田)では明治中期まで、まとまった規模の石炭の採掘は行なわれていなかった。

明治後期になり、磐城採炭(株)(後の鳳城炭鉱)は大谷地区に喜久多坑を開削し、

明治43(1910)年、既に開設されていた本線(明治40(1907)年開設)から分岐する全長4.77km 軌間610mmの馬車軌道を開設した。

 

大正8(1919)年には軌間を762mmに改軌し、同時に蒸気機関車の導入を図った。

喜久多坑のその後ははっきりとしないが、大正後期頃より休山状態であったと思われる。

 

一方山田村の井上(法田)地区で採炭していた太平炭鉱(株)は大正9(1920)年、専用軌道より炭鉱口まで400mほどの分岐線を敷設した。

太平炭鉱は大正12(1923)年に閉山する。

昭和6(1931)年、同地での採炭を始めた吉村炭鉱はガソリン機関車を導入して運炭を開始したが、昭和9(1934)年に閉山する。

 

吉村炭鉱に隣接した細倉地区で昭和12(1937)年から採炭の開始準備をしていた鳳城(ほうじょう)炭鉱上平坑は

専用軌道からの分岐線(400m)を敷設したものの、昭和13(1938)年の出水事故などにより採炭できず、昭和16(1941)年7月に閉山する。

同時に鳳城炭鉱専用軌道(支線)も廃止された。

 

戦後、中小の炭鉱会社が同地での採炭を行なっていたが、専用軌道が復活することはなかった。

 

 

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