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鳳城(大昭)炭鉱専用軌道 本線 1

鳳城炭鉱専用軌道 支線 1

 

〜植田駅から本線を辿る〜

 

 

 

平成20年5月6日、午前10時30分。

 

私は初めて植田駅前に来た。最近改装工事を受けたのだろうか、外壁は白くキレイだ。

 

バックの青空とのコンビネーションも完璧だ。

 

今回は戦前存在した鳳城(ほうじょう)炭鉱専用軌道の支線跡を探訪する予定である。

 

それにしても…

 

 

 

 

 

駅舎の後ろで圧倒的な存在感を放つこの建物。

 

こちらが植田駅西口…ではなく、「ウェディングパーク八幡台 やまたまや」という。

 

かつてはこの「やまたまや」の立っている土地に、鳳城炭鉱など植田駅を利用する各炭鉱の石炭積替え所が存在していたのだ。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

西口に廻る前にふと見た「新常磐交通」のバス。

 

そこには経由地として「鳳城」の文字が見えた。

 

炭鉱亡き後も地域の通り名として「鳳城」の名は生き続ける。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

植田駅の西口に来た。

 

昭和37(1962)年の大昭(だいしょう)炭鉱(鳳城炭鉱の後継会社)閉山時まで、この道は専用軌道が通っていて、常磐線線路との落差を利用して石炭を貨車に積み替えていたのだと言う。

 

今、その斜面には散りかけのツツジや、いわき市の温暖な気候を生かした植物が植えられ駅に彩りを添えている。

 

 

 

 

 

 

 

 

道路は右カーブを切りつつ下って植田の街中に入る。

 

専用軌道はやや下った後、盛土帯の上を通っていたそうである。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「八幡神社下に市道を跨ぐ高い鉄橋」(資料 「常磐地方の鉱山鉄道」より)

 

…があったと言うが、今ではその痕跡は全く無いようである。

 

地元の古い住民の方の記憶に残るのみだ。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

植田市街の細い路地に入る。

 

この地域では鉄道の痕跡は全て消えてしまったようだ。

 

正面に見える丘陵地の裏手に廻ってみる。

 

そこには鉄道の痕跡がある筈だ。

 

 

 

 

 

 

 

丘の裏側に来た。

 

丘の法面には碁盤状の覆工が成され、崩落の危険から住民を防いでいる。

 

しかし、画面中央の場所だけが何故か法面に施工が成されていない。

 

あの部分はどうなっているのであろうか?

 

 

 

 

 

 

 

何じゃこりゃ…

 

半円形の穴にコンクリート壁が突っ込んで止まっている。

 

これが専用軌道の隧道跡と言うのだから驚きだ。埋め戻して法面施工で塞いでしまう訳には行かない事情があるのだろうか?

 

相互リンク「 街道Web 」のTUKA氏はこの隧道に接近を試み、内部の撮影に成功している。その行動力には敬服するばかりだ。

 

私も行ってみようと思ったのだが…えー、その、何と言うか…色々な度胸が足りなかった。ここまでで勘弁して欲しい。

 

 

 

 

 

更に引いて隧道を遠くから見る。

 

今私が立っている地上より隧道はかなり高い位置に穿たれている。

 

専用軌道は「駅手前の急坂」が難所で、石炭を満載した時には一度に登りきれなかったので何回かに分けて運んだ事もあると言う。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

専用軌道は急激に高度を下げ、北西に進路を向ける頃には今私が立っている地上程の高さまで降りてきたものと思われる。

 

鉄道跡は現在では県道20号 上三坂小野線(かみみさか おの)の一部となっている。

 

当時の地図を見ると、道路と並行して専用軌道が敷かれていたようだ。

 

いわゆる「併用軌道」という扱いだったのだろう。

 

 

 

 

 

 

 

県道がもう一つの県道10号 日立いわき線と交差する200mほど手前で、専用軌道跡は右側に逸れる。

 

県道から緩やかにカーブを描いて別れる道がそれである。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

軌道跡の道路は県道と比較するとかなりの細さだ。

 

手前に停車している軽トラックと比べればだいたいの道幅がわかるだろう。

 

一定の曲率で曲がるカーブがいかにも鉄道跡である。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

残念な事にカーブを曲がってすぐに軌道跡は行き止まりになっていた。どうやら小川があるようだ。

 

小川には橋台などの痕跡は見当たらなかった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

幸いな事に、小川を越えてすぐ軌道跡が復活していた。

 

住宅地を縫うように762mmの鉄道が走り抜ける様はどのようなものであったのだろうか。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

軌道跡を横切る道路は県道10号 日立いわき線である。

 

北茨城市内の専用側線「 重内炭鉱、山口炭鉱専用側線 」や「 中郷鉱専用側線 」などでも登場するお馴染みの県道である。

 

軌道跡はなおも続く。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

右手には立派な民家が見える。

 

恐らくは専用軌道現役当時にもこの民家は存在していたのだろう。

 

分岐した時と同じような緩やかなカーブで軌道跡は県道20号線に再度合流する。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

県道に合流した軌道跡であるが、すぐさま再度分岐する。

 

軌道廃止後に区画整理があったのであろうか、今度の分岐点は判断できなかった。

 

恐らく住宅地と丘の間を縫うように軌道が敷設されていたのだろう。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

県道と合流する地点は軌道跡の風情を良く残している。

 

右手には「旧家」と呼ぶにふさわしい民家が建つ。

 

民家の軒先をかすめて軌道跡は進む。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

合流地点からすぐにこのようなY字型の交差点に行き当たる。ここがかつての鳳城炭鉱専用軌道の分岐点だ。

 

真っ直ぐ進むのが県道20号 上三坂小野線、すなわち鳳城炭鉱専用軌道 本線である。

本線は遠く上遠野(かとうの)まで続く。植田駅からの全長は9.65kmをかぞえ、常磐炭田内の運炭鉄道でも随一の長さを誇る。

 

分岐する道路は県道105号 旅人勿来(たびうと なこそ)線である。

しかし、専用軌道 支線は県道とは違うルートを取り、西に進路を変え山田地区に進んで行く。

 

 

 

 

 

 

 

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