このページは、2019年3月に保存されたアーカイブです。最新の内容ではない場合がありますのでご注意ください |
重内炭鉱専用側線 2 山口炭鉱専用軌道 3
豊田地区→木皿地区
並走した2つの軌道は画像の地点でやっと二手に分かれる。
並走していた事が功を奏して、専用側線敷設の際はごく自然に重内炭鉱専用軌道から山口炭鉱専用軌道の軌道敷にスイッチする事が出来た。
上の航空写真を見ても線形的に無理が無い。
画像中央、民家と民家に挟まれた一段低い畦道のようなものが見える。
これが専用側線の跡だ。
夏に訪問した際は何故かここを華麗にスルーしてしまった。
今回はこの道(航空写真 切り通し1)に突っ込んでみようと思う。
天気も良いし自転車でも支障ないだろう。出発進行。
急制動、急停止。
画像ではお分かりにならないと思うが、自転車で進むには最悪のコンディションだった。
前日(すなわち元旦)の雨でぬかるみ、更にそれが凍って、又溶けた専用側線跡は水分を多く含み、自転車の前進力を全て奪った。
自転車を降りたら降りたで靴の中にまで水が染み込んでくる。
正月に泥遊びをする馬鹿中年がひとり…
専用側線跡は切り通しと言うにはいささか低めの所を緩くカーブしながら通っていた。
現在の県道と平行する専用側線跡は、廃止後特別な使い道が無かったのだろう。4輪車が通る事は無いようだ。
今では両脇の民家の庭の延長のようにして使われている。
生ゴミ…ミニ焼却炉…謎の木材…椰子の木…
それらを巧みに避けながら側線跡を進む。
枕木発見。
障害物を避けながら進む私の前に木材が現れた。
良く見ると枕木のようだ。
端の方には犬釘らしき物が付いていた跡が見受けられる。
枕木は少し先にもう一本存在していた。
あららら…
これ以上は進む気がしない。
足元は更にぬかるみ、枯れススキが行く手を阻む。
自転車同伴で切り通しの上にエスケープするのも無理そうだ。
ここまでくれば良いだろう。引き返してこの切り通しの顛末を見る。
これは良い鉄道情景。
昭和44(1969)年まではここをC50や8620型に率いられた運炭列車が通っていたのだ。
画像の場所は上り勾配になっている。
白煙を噴き、スチームを噴出するSLを思い浮かべる。
切り通しは両側から迫ってきた舗装道路に挟まれ、曖昧な終わりを見せる。
専用側線跡は舗装道路となってなおも邁進する所存だ。
奥に見える高架はお馴染み常盤自動車道である。
専用側線は真っ直ぐな舗装道路となって木皿地区に続いていた。
自転車は規制対象外なのでこのまま木皿地区へ向かう。
常盤自動車道の高架下から木皿地区方面を見る。
山口炭鉱専用軌道時代からこれ程までに真っ直ぐな鉄路だったのだろうか?
元々の軌道敷きがあったとはいえ、508mmの軽便軌道敷から1067mmの狭軌(しかも60t弱のSL+積載8tの貨車)に改軌するのは想像以上に大変な工事だったに違いない。
田んぼ2枚を隔てた向こうに先ほど分かれた県道 北茨城太子線(重内炭鉱専用軌道)が見える。
距離にして100m弱位あるだろうか。
これ程離れれば2度と交わるまいと思うのだが…
市道2296線を走っていくと右手に学校が見えてきた。
「
眼下に線路跡が存在する…なかなか羨ましい。
市道 2296線は正面を横切る県道 日立いわき線と交差し終わる。
側線跡はなおも砂利道となって続く。(航空写真 切り通し2)
安全を確かめ出発進行。
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