このページは、2019年3月に保存されたアーカイブです。最新の内容ではない場合がありますのでご注意ください

松永軌道と四ツ花軌道 1

〜戦前に存在した2つの軌道〜

 

 

松永軌道は大正5(1916)年に、相馬出身の松永と言う山師(この場合は立ち木の売買をする人物)が川前や滝根の豊富な森林資源を神俣駅に輸送する目的で敷設された。

 

特筆すべき事柄として、松永軌道のレールが「木製」であった事が挙げられる。木製レールの上面には鉄板が貼り付けられ、強度を確保していたと言う。

 

「木線」(もくせん)と呼ばれた松永軌道は昭和の初期に廃止されたと伝えられる。

今回のレポートは終点推定地から始まる。

 

    今回のレポートは相互リンク「街道Web」内「廃線Web」の「松永軌道」と「四ツ花軌道」を参考にさせて頂きました。

 

 

平成21年6月14日、午前10時。ここはいわき市川前字芋島。

 

双葉郡富岡町と田村郡小野町を結ぶ県道36号小野富岡線は、いわき市川前地区に入ると山間部を蛇行するいわゆる「険道」区間に入る。

狭隘区間もようやく終わりを迎えようとする山間に、松永軌道の終点があったと言う。

 

見たところ、何の変哲も無いような場所である。

 

 

 

 

 

 

 

松永軌道は廃止後、人車の通行が可能な道路として整備され、現在では県道36号線の一部として組み込まれている。

 

ここ芋島から旧滝根町の磐越東線 神俣駅まで松永軌道が敷設されていたのだ。

 

県道には小さな川が寄り添う。「小白井川」(おじろいがわ)と呼ばれる。

小白井川と山に挟まれた平坦な地形が見える。

松永軌道があった頃、土場(木材集積場)として使われていたのかもしれない。

 

松永軌道は沿線各所にこうした土場を設け、土場から木材を集めつつ神俣駅に向かったのだろう。

 

 

 

 

芋島を出発した松永軌道は、すぐに驚くべき急坂に差し掛かる。

現代の4輪車ならばギアを一段下げれば済むだけの坂ではあるのだが、馬車軌道として考えてみるとこの勾配はあり得ないと思う。

 

本当にこんな急坂を馬車が登って行ったのだろうか。何かアシスト(馬の頭数が増える、人が後ろから押す…など?)があったのかもしれない。

 

また芋島地区からしばらくの間、松永軌道とは別の軌道がこの道に敷設されていた。

「新町林用軌道」(にいまちりんようきどう)(開設年不明〜昭和9年)である。

新町林用軌道は新町軌道㈱の運営により、木材などを磐越東線 小野新町駅(おのにいまち)まで運んでいた。

 

 

 

 

傍らに流れる小白井川は、地図を見ると富岡町の富岡川に流れている。

 

富岡川の源流たる小白井川はご覧のような蛇行振りだ。

 

松永軌道や新町林用軌道が存在していた頃から流れは変わっていないのだろうか。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

いわき市川前地区の県道36号線狭隘区間はようやく終わりを告げた。

 

2つの軌道が築いた人や物の交流は、この様な立派な2車線道路として花開いたのだ。

 

先人がこの地区の開発に先鞭をつけた事を感謝しなければならないだろう。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

快走県道を進むと、信号機の設置されていない交差点に行き当たった。

一見、何の変哲も無い交差点ではあるが、ここは3本の県道が集まる交通の要衝なのだ。

 

松永軌道を元とする県道36号小野富岡線は右折する。神俣駅に通じる。

新町林用軌道を元とする県道145号吉間田滝根線は直進だ。小野新町駅付近に通じる。

 

左折する道は県道359号神俣停車場川前線だ。川前駅付近に通じる。

 

 

 

 

 

 

 

交差点を右折し、県道36号線を進む。

 

行く手には大きな2つの山が構えている。

 

この先はどのようになっているのであろうか。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

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