このページは、2019年3月に保存されたアーカイブです。最新の内容ではない場合がありますのでご注意ください |
松永軌道と四ツ花軌道 2
〜市境にて〜
県道36号小野富岡線はご覧のような立派な県道である。
90年ほど前、この道を切り開いて木製の軌道を通し、木材を運搬した人物がいることをどれだけの人が知っているであろうか。
沿線
沿線のある場所に「キャラボク」という名の萌える緑の葉が特徴的な大樹が鎮座していた。
松永軌道が現役だった頃もこの木はあったのだろうか。
比較的高地に育つキャラボクの木は私のような平地に住むものが見る事は少ない。
キャラボクは赤い実を付け、果肉は食べられるが、種は有毒であると言う。
画像のキャラボクの木はいわき市の保存樹木に指定されている。
緩やかなカーブの先に一見の農家が見えた。
今では目にする事がほとんど無くなった藁葺き屋根の家である。
折しも屋根の補修の最中であった。
しばらく足を止め作業を見つめた。
県道36号は松永軌道が切り開いた道をベースとしているが、軌道廃止後幾多の改良工事が行われた結果、軌道の遺構は全く無くなってしまったものと考える。
それでもなお、このように取り残されたような道が散見される。
松永軌道の忘れ形見として考えてみるのも良いだろう。
程無く進むと市境に出た。
この標識の向こうは田村市滝根町神俣だ。
ここまでの県道もアップダウンが多かった。馬車軌道として考えると、急勾配の連続ということになる。
荷物を軽くして馬の負担を減らして運行したのだろうか。
馬を沢山所有して運行回数を多くしたのだろうか。
山間部の馬車軌道の運行に関する興味は尽きない。
田村市滝根町(旧田村郡滝根町)に入ると、それまでに稼いだ高度を吐き出すように一気に下り道に転じる。
その中でも特徴的なのが「Z字カーブ区間」だ。
おおよそ軌道が通じていたとは思えない線形をご覧頂こう。
鉄道カーブの範疇をはるかに越えた強烈な左カーブ。
2車線の雄大な道幅のままダイナミックに曲がっていく。軌道時代はかなり狭かったのだろうか。
軋む木製レール、傾く荷物、ふんばる馬…ここは松永軌道の最難所だ。
松永軌道の馬車はどのようにしてこの先の区間をクリアして行ったのだろうか。
下り坂だから楽…などと言うレベルでは到底無い。
カーブの先はすぐに強烈な右カーブになっていた。
勾配も並みの角度ではない。
馬車はどのようにして下って行ったのか。
普通に牽引したのでは荷に押されてしまい、人馬共に大変な危険が生じたのではないだろうか。
馬車にブレーキはあったのか?
やっとの事でZ字カーブ区間をクリアして下まで来た。
馬車軌道では有り得ない高低差がお分かり頂けるだろうか。
画像中央に小さく見える警告標識の更に上、青い壁の建物から転がり落ちるように下ってきたのだ。
公営の鉄道ならば迷わずに索道(インクライン)にご登場願う他無い強烈な勾配だ。
「街道Web」のTUKA氏によれば、この区間を登る(…)時は荷と馬を別々にして(!)、空荷で登って行ったのだという。
松永軌道沿線には、各所に土場(集積所)が設けられていたが、その中でも最大規模の土場が滝根町神俣字入新田(いりしんでん)に存在したと言う。
土場には川内村方面から架空索道(ケーブル)が通じていたという。その土場は「中継」と呼ばれたと言う。「中継場所」と言う意味なのだろうか。
またこの「中継」から神俣駅まで松永軌道とは別の軌道が並行して敷設されていた。
その名を四ツ花軌道(よつはな:よつばなきどう)と言う。
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