このページは、2019年3月に保存されたアーカイブです。最新の内容ではない場合がありますのでご注意ください |
大日本炭鉱新鉱専用軌道 3
呉羽化学の外周を廻り、専用軌道跡との再開を果たした。
この道を進んでいけば大日本炭鉱新鉱跡に行けるだろう。
その前に呉羽化学の方を見てみる。
あー…これは駄目だ。
上の画像の真後ろの方向を向いて撮影したのだが、軌道を思わせるものは無い。
用水路が工場内に向かっているだけだ。
何か「鉄分」は無いだろうか…?
上の画像からやや右手方向を見ると、謎の土管2つと橋の様なものが目に入った。
橋の様なものは手摺が付いているが、肝心の本体…恐らく鉄板だろう…が無くなっているのでもはや橋としての機能を果たしていない。
???ちょっと待て?この橋は何で作ってある?レールに見えないか?
思わぬ所に「鉄分」が見えた。
橋に近付いてみる。
橋は3本の鋼材を通し、その上に鉄板か何かの渡し板を引いていたものと思われる。
見た目は思いっきり華奢で、人間以外の通行を許さなかったと思われる。
両端の鋼材に丸パイプを直に溶接して手摺としている。
更に橋に近づく。
豪快な固定方法。鋼材…レールの周りにコンクリートを流し込み固定している。
3本のレールとも同じ固定方法だ。
レールはかなり細い物だ。
私の人間巻尺(笑)で測ると、人差し指の長さと一致した。
9kgレールであると思われる。9kgレールは軽便軌道などに使われていたレールだ。
このレールが新鉱専用軌道の忘れ形見と言う可能性も否定できない。
橋の中央には3本のレールを繋ぐように直角にもう1本のレールが渡されている。
そのレールには驚くべき事に継手(ジョイント)が付いたままになっていた。
9kgレールのジョイントを見るのは始めてだ。ジョイントは2枚重ねになっているが、只の穴の開いた鉄板のようにも見える。
締結しているボルトは長年の錆によってでかいリベットのようになっている。
思わぬ場所で思わぬ発見に驚く。良い物を見させて頂いた。
本題に戻ろう。
専用軌道跡は小柳ペイントさんを過ぎたあたりですぐに砂利道に変わる。
前方に停車しているユニック車と比べると道幅が分かるだろう。
舗装路と砂利道の境目あたりで右手を見ると、電気施設があった。
「東北電力 錦変電所」である。
大小様々な変圧器が林立する様は壮観だ。
変電所を過ぎると、田園風景が拡がっていた。
1車線ほどの畦道が軌道跡である。
傍らに流れる水路は「四時川用水路」(しどきがわようすいろ)である。
この先しばらく軌道跡と用水路は並行して進む。
軌道は田園の中を右にカーブを切りながら炭鉱へと進む。
四時川用水路は軌道時代から存在していた。
軌道時代の用水路は木材を四角に組んだ簡素なもので、軌道より高い所に通されていた。
降雨時などはその用水路から水が溢れ出し、軌道面を濡らし、枕木やレールにダメージを与えたそうである。(資料 黒ダイヤの記憶より)
軌道廃止から今年で52年も経つ。
その間に田圃は整理が行なわれ、四時川用水路も掘り下げられて田園風景は変わった。
今私が進むこの道も軌道跡をおおむね踏襲しているとは言え、当時そのままの軌道跡ではないようだ。
上の画像にも見えるこのカーブも現役時代はもっと緩やかなものだったようだ。
画像中央をショートカットするような軌道だったと思われる。
カーブを抜けると視界が開けた。
軌道跡は砂利道に変わった。
ほとんど車は通らないらしく、轍は見えない。自転車のスピードが上がる。
奥には常磐自動車道が見えてきた。
砂利道の快走路はすぐに畦道に戻る。探訪前日に降った雨のせいで足元はぬかるみ、前進パワーが奪われる。
いつしか左側に移った用水路と共に、常磐自動車道の下を潜るべく軌道跡は進む。
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