このページは、2019年3月に保存されたアーカイブです。最新の内容ではない場合がありますのでご注意ください |
大日本炭鉱新鉱専用軌道 4
今まで通ってきた道を振り返って撮影する。
画面の奥が勿来駅方面(クレハいわき工場)である。
勿来地区にせり出す低い山間を縫うように軌道が敷設された事が分かる。
勿来駅から画像の地点までは勾配は目に見える程のものではない。
荒天時や冬季の軌道状態や、蛭田川橋梁付近の勾配が運転士を悩ませたと言う。
軌道跡の畦道の行く先が怪しくなってきた。
行く先は休耕田になっている。休耕田の脇の畦道は枯れ草が伸び放題で入れそうにない。
仕方が無いので迂回して軌道跡を探る。
左側から軌道跡が舗装路と合流する。
この舗装路が軌道跡であるようだ。廃止後、市道として拡幅された。
常磐自動車道の高架下を潜る。
このようなアングルで撮影すると何か別の物のように見えてくる。
勿来ICまではわずか数百mの距離だ。
3月16日。天気 曇り。温度11℃。
山の斜面には立派な梅の木が満開の花を咲かせていた。
「ヘーっくしょい!!」…梅と桜の季節は花粉症の季節でもある。
4年ぶりに症状がでた花粉症は私を苦しめる。
不思議な事にこうして画像を撮影している時は花粉症の症状が治まる。
軌道跡から西手を見ると、常磐自動車道とは別の高架橋が見える。
酷道…もとい国道289号 三沢大橋である。
6号線バイパスから分岐する国道289号線は勿来市街を東西に横切り、四時ダムまでの快走路が完成している。
それ故に、勿来市街の高規格ぶりと、
軌道跡は一軒の民家の庭と化し、そのまま激烈な草薮に没する。
この付近には炭鉱住宅が存在していた。
今現在も数件の民家が建っているのどかな集落だ。
上の画像の地点から南に向かい「大日本炭鉱東海鉱専用軌道」が通じていた。
新鉱専用軌道の先代にあたる軌道だ。
大正時代はこの地点から炭鉱に向かい、三沢地区の石炭採掘を行なっていた。
大日本炭鉱東海鉱専用軌道へ
民家の軒先を抜けた軌道は藪道となり人間を寄せ付けない。
藪がかえって軌道跡の存在を浮き立たせる。
藪は更に激烈さを増し、もはや藪と休耕田の境すら判別できない。
画像中央の辺りに「大日本炭鉱新鉱新鉱専用軌道」と「三和三松炭鉱専用軌道」の分岐点が存在した筈なのだが…
これでは如何ともし難い。
軌道の先行きを見る事にする。
分岐後の新鉱専用軌道の跡はいまひとつはっきりしないが、資料(常磐地方の鉱山鉄道 おやけ こういち著)からするとこの盛土が往時を偲ぶようなカーブを見せている。
軌道跡は正面の小高い山に向かっていく。
そろそろ終点だ。
私の走る道路の方は二手に分かれる。
左手に向かう道は「大日本炭鉱新鉱」へ向かう。
直進する道は「三和三松(さんわみまつ)炭鉱」へ向かう。
新鉱へ向かう道は国道289号線を暗渠で通り抜ける。
暗渠には由来や製造年月を示すプレートの類は見つからなかった。
この向こうには果たしてどのような風景が広がっているのか。
…
…
…何これ。
大日本炭鉱新鉱専用軌道の終点付近はその痕跡を一切消していた。
荒涼とした景色からは炭鉱の雰囲気は感じられない。
道が僅かに広がったこの地点を万石(石炭積込所)の推定地とした。
昭和10年代後半、新鉱は栄華を極め、24時間人の途切れる事は無かったと言う。
画像の万石付近も炭車がひしめきあっていたことだろう。
だが今では、専用軌道の施設の一切は夢幻の如く消え去ってしまった。
ズリ山を均して作られたゴルフクラブが一層侘しさを感じさせた。
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