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浪江森林鉄道 古道川支線

 

古道川支線の基礎知識

開設 不明

廃止 不明

全長 不明

 

「街道Web」主宰のTUKA氏によれば昭和28(1953)年の浪江町の地図には古道川支線の記載がある。

JTBキャンブックス「全国森林鉄道」にはこの古道川支線は記載されていない。

「トワイライトゾーン MANUAL 6」には記載がある。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

いきなり謎満載の出だしで申し訳ないが、ともかくも古道川支線はこの遺構から始まる。

現在の橋の隣にご覧のようなどうにも草臥れた旧橋が存在する。

 

前後を枯れ草で覆われており、使用する人間や車は存在しないようだ。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

角度を変えて橋を撮影してみる。

橋脚はコンクリート製だ。下流の高瀬川発電所前の「畑川橋梁」の橋台もコンクリート製と思われるが、この橋の橋脚の構造

はより近代的なものだ、細いながらも力の逃げと掛かる荷重を考慮した設計がなされていたと思われる。

 

この橋の前後に更に古い橋が無いか観察してみたが、存在しないようだ。そう考えるとこの橋は古道川支線開設当初からの橋と

推測できる。

この橋の割り切った構造を考えると、古道川支線は戦後に開設されたのかもしれない。

 

上面のコンクリートは呆れるほど薄く、自動車の通行には耐えられないかもしれない。下手をすると人間の重量にも持ち堪えられないのではないかと思われるほどだ。実際私も渡ってみようと思ったのだが、このコンクリの薄さを見て断念した。中央付近でマンガの如く亀裂が入ってコンクリもろとも下の葛尾川に叩きつけられないとも限らない。

 

 

 

 

現橋より川を眺めると、ちょうど合流地点になっているようだ。

 

奥の太く色の濃い流れが高瀬川、手前の浅い流れが葛尾川だ。

浪江森林鉄道本線はこれから上流は葛尾川に沿い、古道川支線は高瀬川(ここでは古道川と記す)に

沿って進んでいく。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

さて、橋の観察も済んだことなので古道川支線に相対してみる。

 

そこには中丸木支線の途中に存在した上り坂をはるかに上回る傾斜の坂道が待ち受けていた。

 

幅員はあくまで広く、また路面もフラットで走りやすそうだ。私はインクラインの存在を疑ったが、古道川支線にインクラインが

存在したと言う明確な資料がなかった。

 

恐らくは開設当初から機関車が入線していたものと思われる。

 

左の建物は東北電力古道川発電所である。

 

 

 

 

 

上の画面の上り坂が一息付くと、いい形のS字カーブになっていた。中丸木支線のように突如として路面が荒れるということは無さそうだ。

 

浮き砂利も少なく、水溜りも存在しない。ガードレールも要所要所に設置されており、緊張感も少なく走れるよい道だ。

 

とは言え、私ごときの車ではあえぎながら上っていくのが精一杯である。もし、この道をランサーエボリュ−ションやインプレッサWRXなどのハイパワー4駆で走行したらどんなに気持ちいいだろうか?

 

ラリー競技のスペシャルステージとして使用しても全く不足は無いだろう。

 

 

 

 

 

 

カーブを抜けると石垣だ。丹念な積み方でやはりこの道は森林鉄道なのだと認識する。

 

しかし、次にみた標識で古道側支線の疑問が一気に噴出する。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「郡山営林署」

「浪江森林鉄道」の沿線に何故「郡山営林署」の看板が?

 

 

 地図をよく見ると最初の画像の橋こそギリギリ葛尾村に存在するのだが、橋を渡って古道川発電所の立地する場所は田村市都路町(旧 田村郡都路村 以下都路村と記する)であるのだ。

 

普通、森林鉄道はその管轄の境界(局界)をこえて鉄道は敷設されないのだが…古道川支線のみ特別な存在だったのだろうか?

 

以下、私の仮説である。かなり妄想が入っているので読み飛ばしてもらっても構わない。

 

 

    普通に森林鉄道だった

郡山営林署の特別な認可を得てこの古道川支線の沿線のみ伐採した木材を浪江森林鉄道で取り降ろしていた?

    都路村の方に搬出していた。

浪江森林鉄道とは便宜的に接続されていただけで、上り坂の区間は機関車しか往来しなかった。伐採した木材は都路村のほうに搬出し、郡山方面に運んだ?

    別の物を運んでいた

木材ではない他の何か(石材、鉱物等)を浪江森林鉄道の軌道を拝借して搬出していた?

    発電所の資材を運搬していた

古道川発電所の資材(建築資材、発電機本体)を運搬していた。林道(軌道)離れした幅員は資材運搬の為である?

 

以上私の仮説である。

    そもそも森林鉄道などは最初から無かった。

…と加えようとしたが、TUKA氏の資料により否定された。

 

 

 

話を本題に戻す。

林道の奥深く行くほど逆に路面は締まり、浮き砂利も少なくなり走りやすいことこの上なしである。

 

中丸木支線と違い、「抜け道」ではなく、れっきとした「生活道路」である。軌道時代から葛尾村都路村を結ぶ重要な使命を帯びていたのだろう。

 

この先、軌道跡は昭和51年に作られた調整池に水没する。詳しい分岐点は分からなかった。

 

 

 

 

 

 

 

おおよそ2kmほど走っただろうか、恐らくは画像の辺りで軌道跡と合流しているものと考えられる。

 

道は未舗装としてはとても気持ちのいい道路である。民家も点在し、麓より遅れて咲いた梅の花が山にアクセントを

添える。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

そして軌道は唐突に終わりを迎える。

僅かな距離の上りを駆け上がった先の右の急カーブ手前、画像の地点辺りが古道川支線の終点と推測した。

 

終点にしては木材の積替えも出来ない感じの場所である。

 

何よりも終点の位置が中途半端なのだ。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

終点の先はS時カーブになっている。地図上ではあと僅か数百メートル走ると国道288号線「都路大橋」の袂に着く。

 

800mも走ればそこは都路村の中心地「古道」地区に着く。

 

軌道が何故都路村の中心地まで行かなかったのか。今となってはその理由は分からない。

 

 

 

古道川支線は謎で始まり謎で終わる支線であった。

 

 

 

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