このページは、2019年3月に保存されたアーカイブです。最新の内容ではない場合がありますのでご注意ください

浪江森林鉄道 三程支線 1

 三程支線の基礎知識

開設 大正2年(1913年)

廃止 昭和41年(1966年)

全長 3.2km

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

ここが本線と三程支線との分岐点である。高瀬川発電所(左)に行くのが本線、右に曲がるのが三程支線である。

 

現在の県道253号線は数十mの間、三程支線をなぞる。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

走り出して20mも行かないうちに廃屋が右手に現れた。

 

窓や扉など所々欠損しているものの、建物としての体裁はまだ保っている。

 

これは「浪江町立大堀中学校三程分校」だった建物である。

 

その筋のマニアにはたまらない物件だろう。

 

 

 

 

 

 

 

 

傍らには門柱と階段が残されていた。

 

右側の門柱には銘版が埋め込まれており、辛うじて学校名が読み取れる。

 

学校は軌道(三程支線)のすぐ脇に存在していた。学生がトロッコに乗る機会があったのかもしれない。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

校舎の脇には広場があった。いまは消防団が使用しているようだが、かつてここには「大堀小学校 三程分校」が存在していた。

 

ここから浪江町中心部までは優に15kmはある。この地区付近では道路の集合するこの辺りが学校を開設するのに都合がよかったのだろう。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

学校跡から僅かも行かない内に、右手には石垣が現れた。

 

支線はごく小さい沢を橋で越えていたようだ。

 

石垣は驚くほど精密に組まれている。橋本体を載せていた部分は石一個分低く積まれている。

 

橋本体は恐らく木製だったであろう。戦後に鉄製の橋に架け替えられたのかもしれない。

 

これ程堅牢な作りならば、トロッコの重量など平気で耐えただろう。

 

 

 

 

 

 

橋は間をおかず連続するように2つ存在していた。

 

見事な石垣である。明治末期から大正初期にかけての建造と思われるこの石垣だが、どのようにして石を加工したのだろう?恐るべき目地の細さだ。

目地材は何を使用したのだろうか?

 

建造時から約95年(!!)経ってなお、一つとして石の欠損は見られない。重機などを用いて破壊しなければこの石垣は未来永劫この地に存在し続けるだろう。

 

これはもはや産業遺構と言っても良いものである。

 

 

 

 

軌道とは直接関係はないが、石垣の橋から数十m先には石積みで出来ている古い砂防ダムがあった。

 

山肌の流出から軌道を守るために設置されたのかもしれない。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

軌道は高瀬川の支流、三程川に沿い、地形に従うようにカーブして行く。

 

三程支線には機関車が導入されていなかったようだが、ちょっと勾配はきついようだ。牛や馬を使って空車を引き上げていたのだろう。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

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