このページは、2019年3月に保存されたアーカイブです。最新の内容ではない場合がありますのでご注意ください |
導入編 1 〜浪江貯木場から始まる長き道程〜
さて、早速浪江森林鉄道の旅に出発!…と言いたいところだが、ちょっと寄り道して浪江駅前(東口)に…
画像は浪江駅前に建立された町出身の作曲家佐々木俊一先生の代表作「高原の駅よさようなら」の歌碑である。
「高原の駅」とは昔日の浪江駅のことであると言われているが…今現在の浪江駅を見ると微妙な感じがする。イメージが沸かない。
さて、いよいよ西口の貯木場に行くのだが…
「トワイライトゾーンマニュアルⅥ」(ネコ・パブリッシング社刊)では貯木場の正門の写真と元の機関庫(車庫)の写真があった。
しかし大変残念なことに、貯木場は既に存在しない。
確かに1996年時点では木材は無くとも貯木場として存在していた。無論、機関庫を転用した車庫も存在した。
しかしながら、浪江駅西口の開発(幼稚園、図書館の移転)により、貯木場の施設は全て解体され、ご覧の様な砂利敷きの
駐車場と化してしまった。
この写真の中央辺りが搬出した木材を採り下ろした線路の存在したあたりだろうか?勿論、荷卸線は複数存在したとも
考えられる。
駐車場を挟んで向かい側には「ふれあいセンターなみえ」が存在し、撮影当日も学芸発表会が催され駐車場はその広い
スペースを如何なく発揮していた。
機関庫は確かこの辺りに存在したはずだったのだが、全く痕跡すらない。森林鉄道の痕跡である庫内の枕木やピットも庫の解体と共に記憶の彼方に消えてしまった。奥に写る桜の木だけが貯木場の形見である。
気を取り直して森林鉄道の旅に出掛けてみる。
画像右側に見える道路もかなり拡幅されてしまい、往時を偲ばせる雰囲気はない。
軌道は画像の右側にカーブを描きながらいよいよ
軌道は道路を横断し、画像正面の丘に向けて直線的に進路を取りはじめる。現在の道幅は1.5〜2車線といったところであろうか。普通車同士の離合には差し支えないほどの幅である。左側の水路は農業用水である。
浪江森林鉄道と水路はこの先でも付かず離れずの関係を築いている。注目すべきポイントだ。水路と道路を隔てるガードレールの存在にも留意してみたい。
掲載されている当時の写真によれば軌道は貯木場に侵入する手前で複線になっている。↑の画像に見える道路(交差しているほう)は昭和40年代においては普通の未舗装道路だった。鉄道が現役だった頃は複線の軌道を未舗装道路が申し訳なさそうに渡る…といった感じではなかっただろうか?
軌道は緩やかに左にカーブを切っていく、道幅は気が付かないほど徐々に狭くなっていく。今でこそこの地区(川添字佐野)は住宅が立ち並んではいるが、昔は田んぼが広がっていたのであろう。
これまでの道では、森林軌道の遺構らしきものには遭遇しなかった。ただ、いかにも!なカーブの線形ではなかろうか?
私自身この画像の道は高校生の時に何百回となく自転車で走りぬけた通学路であったのだが、学生当時では森林鉄道由来の道であることなど全く分からなかった。
住宅街を抜けると右手に丘が広がる。見上げると多数の墓が立っている。墓地の敷地にはまだ余裕がありそうだ。
ここの右手側は正西寺と言う寺社である。鐘の音は今でも澄んだ音を川添地区に響き渡らせる。
近年ほんの僅か拡幅されたがあまりメリットが有るようには感じない。
ここまでは浪江森林鉄道のほんの導入部である。ここから先、軌道は素敵な景色の中を駆けていく。画像を見てそこにディーゼル機関車
に率いられたトロッコを想像して頂けるだろうか?
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