このページは、2019年3月に保存されたアーカイブです。最新の内容ではない場合がありますのでご注意ください |
鉄興社専用線
平成22年7月8日午前9時。JR磐越東線 小野新町(おのにいまち)駅。
小野新町駅は大正4(1915)年3月21日の開業と記録される。
現在の駅舎は昭和24年(1949)に木造駅舎として建築され、その後改装を重ねて現在に至る。
駅舎を側面から見るとこのような感じ。
何かアパートみたいで面白い。
小野新町駅は小野町の中心とは少し離れたところに存在しているため、のんびりとした雰囲気が漂う。
駅前の傍らには、「小野篁館跡」(おののたかむらやかたあと)の碑が建つ。
小野篁は平安の美人にして六歌仙の一人、小野小町(おののこまち)の祖父とされる人物である。
小野小町の生誕地として複数ある説のうち、ここ小野町もリストアップされている。
古き佳き時代を今に伝える小野新町駅ホームの待合室。
先程の駅舎からホームには地下通路を使ってアクセスするので安全。
かつて貨物ホームがあったと思われる場所は、現在小野新町駅の駐車場になっている。
画像の右側が駅を利用する人のための駐車場。
左側は月極駐車場となっているそうなので、ご利用の際は注意されたし。
月極駐車場の向こうに見えるのは「旅館 西田屋支店」さん。
一昔前はこの西田屋支店さんで小野新町駅の駅弁を販売していたそうである。
また機関手の宿泊施設だったこともあるそうだ。
ちょうど良いタイミングでいわき発郡山行きの普通列車がホームに滑り込んできた。
駅線路図を参照すると、ディーゼルカーのいる本線の脇の側線から貨物用側線が、駅舎前付近(フェンスの始まる辺り?)が分岐していたようだ。
今回探訪する鉄興社専用線も、貨物用側線から分岐していたようである。
ディーゼルカーが郡山に向けて発車する。次の停車駅は
神俣
。
私のいるフェンス際と、先ほどの側線の間にある無用の空間は貨物側線の名残か?
画像中に見える白い車の辺りに給水塔が存在していたそうである。
今現在では痕跡を残さない。
緩やかな鉄道カーブを描く砂利道。
これが「鉄興社専用線」の跡だ。
専用線跡に足を踏み入れる。
専用線は築堤によって作られていたようだ。
画像左に見える民家とは結構な高度差がある。
築堤の斜面の途中には、何やら境界票のようなものがある。
専用線跡である砂利道は、途中から舗装路に切り替わっていた。
恐らく、舗装路の始まる辺りから鉄興社小野工場の敷地内になっていたのだろう。
駅方面を振り返る。
良い鉄道カーブである。
鉄興社の跡地には団地が建てられていた。
舗装路となった専用線跡には「止まれ」の標識。
専用線があった頃は踏切があったに違いない。
交差点の先にもう一つ「止まれ」の標識。
ここで舗装路はT字路となって終わる。
ここが鉄興社専用線の終点だったようだ。
かつて鉄興社小野工場のあった場所は、現在では小野町の多目的施設や文化会館が建てられている。
その姿から古の姿を想像するのは難しい。
鉄興社小野工場無き後、小野町のランドマークの名をほしいままにするのが、専用線終点付近からも遠望できる
「リカちゃんキャッスル」である。
平成5年(1993)年にオープンしたリカちゃんキャッスルは、日本でも数少ないオープンファクトリー(製造工場)のあるテーマパークである。
興味のある方は是非訪れてみては如何だろうか。
このページは、2019年3月に保存されたアーカイブです。最新の内容ではない場合がありますのでご注意ください |