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大野林用軌道 番外編
〜軌道跡を歩く〜
平成21年5月24日。双葉郡大熊町大野字湯の神。国道288号線。
以前から計画はあったものの、具体的な動きが見えなかった国道288号線「野上トンネル」(仮称)建設工事がいよいよ始まったのだ。
大熊町に残るボトルネック(狭隘)区間改称のために、野上川に橋を架け、野上トンネル(仮称)で狭隘区間をバイパスし、再度野上川を渡り、「安心橋」(あんしんばし)手前で現道に合流するのだ。
工事は「玉の湯温泉」と「湯守玉林房」(ゆもりぎょくりんぼう)と言う2つの温泉旅館の手前に存在する狭隘区間を解消するために施工されるのだ。
狭隘区間は、工事用概要図を見ても分かる通り、野上川と山に挟まれていて拡幅工事が出来ない場所なのだ。
また、狭隘区間の山を崩すと温泉の湧出に影響が出るとも言われていた。
野上トンネルは図のように200m弱のトンネルである。工事期間は看板によると平成22年2月17日までとなっている。平成23年には一般車の通行が可能になるだろう。
「野上トンネル」という名前で供用が開始される事は無いと思われる。何故なら「野上トンネル」と言う名前は既に開通済みのトンネルに使われているからだ。
恐らく「湯の上トンネル」か「姥神トンネル」と言う名称になるのでは無いだろうか。
件の狭隘区間は、現在このようになっている。
ヘアピンカーブ〜S字カーブと続く現在の288号線は、画像奥で1.5車線ほどに絞られる。
時々大型トラック同士が狭隘区間で鉢合わせになり、二進も三進も行かずに小渋滞が発生する場合がある。
また地元以外の車両が狭隘区間に高速で突っ込んで行き、路肩や対向車に衝突(接触)する事故も起きている。
訪れたのが休日と言うこともあり、トンネル工事現場は静まりかえっていた。
坑口の手前には、普段見当たらないトンネル掘削用の工事車両が列を成している。
どれも普通の重機とは一味違っていて、メカ好きの私には堪らないものだ。
エンジンが唸り、油圧シャベルが山をかっぽじって行く様はさぞや壮観だろう。
野上トンネル(仮称)工事は図らずも「大野林用軌道」の軌道跡を2度横切っていると考えられる。
「小塚支線」分岐直後、忽然とその痕跡を消した林用軌道跡であるが、野上川を渡っていないと仮定するならば、このトンネルの坑口手前を横切っていたのではないだろうか。
坑口脇の野上川対岸を丹念に見回してみたが、林用軌道跡を特定する痕跡は見当たらなかった。
(2010年5月)
一年後、再び訪れたトンネルはほぼ完成しているようだった。
だが、まだ一般の供用には使われていない。
これから舗装や付帯施設の工事が進められるのだろう。
上の画像の地点から温泉旅館前を通り過ぎ300mほど上流へ。
ここは大熊町大野字姥神(うばがみ)。初夏の国道288号線は緑に溢れている。
林用軌道の石垣も萌える緑色に隠蔽され、確認する事は困難だ。
画像中央に僅かに見える石垣が分かるだろうか。
林用軌道跡だ。
上の画像の地点から、視線を下流側に移すと山肌が削り取られているのがわかる。
おそらくこの山肌に野上トンネル(仮称)の出口が作られるのだろう。
山肌に風穴が開く瞬間を見てみたい気がする。
(2010年5月)
トンネルは貫通していた。
こうやって上の画像と比較すると、トンネル工事というのはすごい土木技術だと実感する
野上川に架かる橋はまだ作られていない。
トンネルが国道として供用されるのはもう少し先のようだ。
ちなみに正式名称は「玉の湯温泉トンネル」
ベストなネーミングだ。
上の画像でも分かるように、トンネル工事のための仮橋が野上川に架けられていた。
対岸に重機が何台か見られるが、こちらも休日は稼働していないようだ。
工事現場の片隅を見ると石垣が見えた。軌道跡だろう。工事開始前までは見えていなかった。トラロープが張ってあるので、作業用通路としても使われているようだ。
これまで野上川の対岸に行く方法を考えていた私としては、工事用の仮橋は対岸に渡るまたとないチャンス。
…いや…でもね…うん。工事現場だぞここ。…でも休日だし…
(2010年5月)
トンネル開通後も軌道跡は残された。
画面中央右側に石垣が見えるだろうか、
国道の法面を駆け上がれば比較的容易に軌道跡に到達できるのではないだろうか。
結局、軌道跡に来てしまった。平日だったら絶対に来られない。
石垣は1m強の高さで積み上げられている。所々苔生してはいるものの、石垣は整然と積まれている。
木々の緑と石垣の白のコントラストが目に眩しい。
足元の道床は軌道当時のままだろう。軌道廃止後、測量や狩猟以外でこの場所に立ち入った人はほとんどいないだろう。
足跡が多数見受けられるが、トンネル工事の作業員が付けたものだろう。
(参考)
左の画像はお隣の浪江町にかつて存在した浪江森林鉄道 真草沢支線(まくさざわしせん)の軌道跡である。大野林用軌道に似ていないだろうか。
浪江森林鉄道真草沢支線のある浪江町大堀三程と林用軌道のある大熊町大野姥神(うばがみ)は
山一つ隔てたすぐ向こうだ。
軌道敷設に関する共通した施工基準が有ったのかもしれない。
石垣はすぐに途切れ、軌道跡は鬱蒼とした森に突っ込んでいるように見える。
軌道跡を辿れる距離は僅かだろうが、行ける所まで行ってみる事にする。
「国道の対岸に打ち棄てられた軌道」と言うシチュエーションから枕木やレールの存在を期待していたのだが、残念ながら見つける事は出来なかった。
これはシュール。
国道288号線を客観的に見るというのは中々無い経験だ。
休日の288号は結構な交通量だ。走り抜ける車を見ながら、自分のいる地点が特異なのだと認識する。
車中から私の姿を認識した人はいただろうか。もし居られたら通報…ではなかった。是非忘れて頂きたい。(笑)
対岸から見た限りでは「普通の高さ」と感じていた軌道跡だが、実際にこうして軌道跡に立ってみると大変な思い違いをしていた事が分かった。
水面までは12から15mほどであろうが、軌道跡の狭さと相まって感覚的には20m以上あるほどに感じる。
その上、対岸から密生しているように見えた木々も、この画像のようにスカスカにしか生えていない。流れる水量に見合わない程の轟音が響いている。
何らかの拍子でこの崖を滑落したならば落命は免れまい。
右手に川面を見ながら軌道跡を進んでいくと、路肩が崩れて非常に幅が細いところに行き当たってしまった。しかし、完全に崩壊している訳ではないので通行は可能だった。
昭和30年頃に廃止されたと推定される大野林用軌道であるが、林道として転用成った小塚支線と比べ、本線の方はその場所的な制約から廃止後の転用もならず、緑に隠され、雨に流され、人々の記憶からも忘れ去られてしまった。
廃止から50有余年を経てなお、軌道跡が残っている事が軌道にとっての幸せだと考えてみたい。
軌道跡の左手は、ご覧のように大石によって法面が固められている場所がある。
この大石が軌道敷設前からこの場所に存在していたのか、それとも何処からか運ばれてきたのかは今となっては分からない。
軌道跡が全体に右に傾いている。
軌道の上部(または下部)に石垣の無い所はご覧のような有様である。
石垣が軌道跡の保持に果たす役割が極めて大きい事が分かる。
これはまたシュール。
赤い橋桁(そもそも橋桁が赤い事など軌道跡から見てはじめて知ったのだが)が特徴的な「安心橋」である。何が「安心」なのかはよく分からないが、面白い名前の橋である。
野上トンネル(仮称)を抜けた道路は、この安心橋の手前で今現在の国道に合流する予定になっている。
と言う事は私のいる場所はトンネル開通後も安泰…と言う事だろうか。
ドドドドド…
安心橋の下で野上川は小さな落差を作っていた。
先程から聞こえていた轟音はこの落差から聞こえてきたのだ。
少し下流に行けばイワナやヤマメの良いポイントがあるだろう。
軌道の上部はこの様な按配だ。木材としてはとても使い物にならない様な貧相な細木ばかりだ。
終点まで林用軌道本線に土場(木材の集積所)が見当たらない事から考えると、本線沿線では木材の切り出しは行なわれていなかったのだろう。
林用軌道は森林資源の豊富な大熊町の奥地や、都路村(みやこじむら:現 田村市都路町)の木材や薪材、良質な炭を搬出する事に重きが置かれていたのではないだろうか。
少し進むと、足元に石垣が見えた。対岸の国道288号から見えたものだろうか。
軌道跡は図らずも天然の砂防ダムのような役割を果たしている。
軌道跡の道床が山の水分を一旦受け止め、石垣の隙間を通った水分は野上川に穏やかに流れ込む。
石垣の苔生した様子が何よりの証拠だろう。
軌道は役目を終えた後、山の防人になったのだ。
石垣に近寄って観察してみる。
石垣の隙間に密生しているのは、苔と言うより小さな葉の植物が集まった集合体のようだ。
これだけ密生していれば植物の根は石垣の隙間を埋め尽くしているだろう。
軌道敷設から恐らく100年は経っているであろうこの石垣が今でもこのようにして崩壊を免れているのはこの小さな植物のおかげかも知れない。
石垣のある場所の先で2本の木が通せんぼしていた。
私はこういう廃線跡の風景を見てみたかったのだ。
夢のような濃密な廃線歩きの時間は唐突に終わりを迎えたかのように見えた。
謎のコンクリート擁壁が行く手を阻む。
足元には落ち葉が堆積し、たいへん心許ない。
しかし、足元には軌道が存在した証拠である石垣が残っていた。
謎のコンクリ擁壁は軌道跡に沿って作られているようだ。
この石垣にも小さな葉の植物が密生している。先程の石垣と同一の植物だろう。
擁壁の終わりと共に、今度こそ廃線歩きの時間は終わりを迎えた。
軌道跡と思しき場所には、画像のように背の低い笹が生い茂っている。
突破を試みたのだが、私にはここを突破するスキルが無い事を痛感しただけだった。
笹の葉が腕と足を叩き、精神的に耐えられるものではない。
やっとの事で現役の道に脱出できた。
国道と林道の間に林用軌道が通じていたものと考える。
林用軌道が現役であった頃、国道288号(林用軌道現役時は県道)は温泉旅館の先で急カーブを描き、野上川に沿って進んでいたので、大野林用軌道と国道288号はついに交差する事は無かった。
昭和62年に竣功した安心橋と紅葉橋(もみじばし:画像中央の橋)。
2つの橋の開通によって288号線は「酷道」から「国道」へ一歩を踏み出したと言っても過言ではない。
昭和50年代から連綿と続けられてきた大熊町内の国道288号線改良工事はいよいよファイナルステージに入った。野上トンネルが開通した暁には、浜通り中部と郡山市の結びつきはこれまで以上に強固になることだろう。
一方の林用軌道は…
紅葉橋の袂に誰にも知られる事無く存在していた。
小笹に占領された細道が山へと進む。
これはもう人の入れる状況ではない。
(冬の風景)
国道288号線はかつての過酷な山道から出世を遂げた。
一方、野上川を挟んだ対岸には大野林用軌道の道床が人知れず眠っている。いつか石垣は崩壊し、山に還るだろう。その時こそが本当の林用軌道終焉の時だ。
かつて大野村(大熊町)を支えた林産業。林用軌道が果たした役割を後の人に少しでも伝えて行きたいと思う。
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