このページは、2019年3月に保存されたアーカイブです。最新の内容ではない場合がありますのでご注意ください

好間軌道 3

 

 

 

常磐交通バス停「下好間」。

 

バス停の脇には年代を感じさせる下好間集会所という建物がある。

 

かつてこの付近には好間村役場があったと言う。

 

好間軌道「下好間」停車場もこの付近に存在したのだろう。

 

 

 

 

 

 

 

現在では並行する国道49号いわきバイパスに交通の主導権を明け渡した好間町内の(旧)国道49号ではあるが、いわき市平(いわき駅前)からこの好間町内を結ぶ主要幹線としての地位は

軌道があった時代からもいささかの揺るぎは無い。

 

元旦の旧49号はいわき中央ICに向かう車や逆にいわき市街地に向かう車で往来の絶える事は無い。

 

東京駅行きの高速バスもこの道を通り抜けていく。

 

 

 

 

 

 

華麗な鉄道カーブ…ではなかった。

 

好間軌道は郡道(国道)上に敷設されているので華麗な街道カーブに軌道は後から敷かれたに過ぎない。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

常磐交通バス停「中好間」

 

好間軌道の中好間停車場もこの付近に存在したものと推測される。

 

中好間停車場には行き違いの為に交換設備が設けられていたと言う。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

完成してまだ間もない「いわき市上好間団地」

 

かつてこの区域には古河好間炭鉱の忽滑(ぬかり)炭鉱住宅や忽滑グラウンドが存在していた。

そしてこの付近に好間軌道の初代終点(大正10年〜大正12年)である「竪坑前」(たてこうまえ)停車場が存在していた。自動客車の方向転換の為のターンテーブルも存在していた。

 

「竪坑前」の停車場の由来は古河好間炭鉱の竪坑に近い場所という理由からだ。

 

炭鉱住宅に住む人にすれば平の街中に出るには都合のいい停車場であったと考えられる。

開業当初の順調な営業成績は炭鉱に関る人々がこぞって好間軌道を利用したからに違いない。

 

 

 

 

しばらく進むと見覚えのある赤い鳥居が見えた。

 

鳥居の前を通る道はかつて 古河好間炭鉱専用鉄道 (明治41(1908)年〜昭和47年(1972))だった。

 

大正後期から昭和初期の僅かな期間だけこの付近は鉄道が2本並行する場所だったのだ。

 

 

 

 

 

 

 

 

古河好間炭鉱専用鉄道から好間軌道はこのように見えていたのだろう。

 

一方は石炭専門の専用鉄道 綴駅行き。もう一方は人間専門の平市街地行き。

 

同じ鉄道とは言えその役割は全く違う。

 

どちらも好間地区に果たした役割は重要なものだ。

 

 

 

 

 

 

 

2枚上の画像の少し先、専用鉄道と好間軌道に挟まれた場所に好間地区の超有名店「白土屋菓子店」がある。

 

私のホームページでは2度目の登場なのだが、この菓子店を外して好間を語る事は出来ない。

 

再度紹介させて頂く。

 

 

 

 

 

 

 

 

白土屋菓子店の売りは何と言っても「ジャンボシュークリーム」である。

 

その半端でない巨大シュークリームは一見…いや一食の価値有りだ。味も素晴らしいの一言に尽きる。

 

元旦にも関らず菓子店には県内外から多くの客が詰めかけ、店内は満杯状態であった。

 

白土屋菓子店の前には「上好間」バス停があるのだが、軌道時代にはこの付近に停車場は存在しなかったようだ。

 

 

 

 

 

いよいよ2代目終点(大正12年〜昭和5年)の「北好間」に近づいてきた。

 

しかし、北好間終点への入口を見つけるのは大変困難だ。

 

地元の人以外にはまず分からないであろう難易度100%の場所だ。

 

この画像から僅かでも鉄道の匂いを感じられるだろうか?

 

 

 

 

 

 

 

……わかる訳無いでしょうが。私も上の画像の場所で途方に暮れた。

 

細かい砂利が敷かれたこの小道がかつての好間軌道の跡だと言う。

 

好間川を目前にした好間軌道は力尽きたようにその方向を90度転進させ、北好間終点へと進む。

 

なんとも不可解な終点へのアプローチだ。

 

 

 

 

 

 

 

小道に入ってみる。

 

恐らく軌道が存在していた頃に民家は存在していなかったのだろう。

 

軌道の線形のみが何故か残され、付近に民家が建ち現在のような光景になったのだろう。

 

この小道を抜ければ終点の北好間だ。

 

 

 

 

 

 

 

小道を抜けると「地魚料理 煕(ひろ)」さんの裏手の空き地に出る。

 

この空き地が好間軌道の終点「北好間」があった場所だと言う。好間軌道はこの先好間川を渡り、北好間字塊作(かいさく)まで延長される計画であった。

 

北好間終点にも自動客車の為のターンテーブルが存在した。

 

軌道廃止後、好間軌道自動車部の乗合自動車は北好間を通り、はるか先の三阪村(現 いわき市三和)まで運行され良好な営業成績を収めたと伝えられる。

 

 

 

 

 

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