このページは、2019年3月に保存されたアーカイブです。最新の内容ではない場合がありますのでご注意ください

古河好間炭鉱専用鉄道

 

 

古河好間炭鉱専用鉄道の基礎知識

開設 明治41(1908)年5月22日

廃止 昭和47(1972)年9月30日

綴(内郷)駅〜いわき市好間町北好間籬(まがき)

全長 5.68km

 

 

好間地区の採炭事情

明治37(1904)年、白井遠平氏が設立した好間炭鉱は、好間村(当時)の北好間地区の籬(まがき)に坑口を開いた。

入山採炭(後の常磐炭鉱)の創始者でもあり、 専用鉄道高倉線 の敷設にも尽力した白井氏は、早速炭鉱から平(いわき)駅北側まで

「好間炭鉱専用軌道」(全長6.84km)(軌間762mm)を敷設して運炭を開始した。

 

平駅の北口は元々磐城平(いわきたいら)城が存在した所でもあり、地形は狭く入り組み馬車軌道による運炭は困難なものがあった。

 

そこで好間炭鉱は積み出し駅を平駅から綴(内郷)駅に変更する事にし、

合わせて軌間1067mmの専用鉄道として国鉄線に直接乗り入れを図る事となった。

好間炭鉱専用鉄道は明治41年に開通し運炭を開始した。

 

 

古河鉱業の進出

好間炭鉱は大正4(1915)年に大手資本の古河合名会社に買収され、

大正7(1918)年には古河鉱業㈱好間炭鉱(以下 古河好間炭鉱)となる。

 

古河好間炭鉱は新機材の導入を積極的に図り、出炭量の飛躍的な増加を実現した。

更に北好間坑と並行して上好間地区に新たな坑口を開き、上好間坑に採炭の主力を移していった。

(北好間坑は大正10(1921)年に売却され小田炭鉱となる)

 

 

専用鉄道の終焉

古河好間炭鉱は大正〜昭和30年代にかけて、常磐炭田における大手炭鉱として年間30万トン前後の安定した出炭を誇った。

 

北好間地区の小田炭鉱は昭和36(1961)年6月に閉山。

小田炭鉱の廃止に伴い、北好間地区の専用鉄道は廃止された。

 

古河好間炭鉱は昭和44(1969)年12月まで採炭を続けた。

好間炭鉱の閉山後は僅かな距離が系列会社である常磐コンクリート㈱の専用線として使用されていたが、

昭和47(1972)年に専用鉄道は廃止された。

 

 

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