このページは、2019年3月に保存されたアーカイブです。最新の内容ではない場合がありますのでご注意ください |
山口炭鉱専用側線
明治41年ごろ磯原駅から北
当初馬車軌道だった専用軌道は紆余曲折を経ながら昭和11年にはガソリン機関車の導入をみる。
昭和19年2月に重内炭鉱、中郷無煙炭鉱と共同で専用側線敷設願いを提出し、重内炭鉱専用軌道と山口炭鉱専用軌道は合同した。
昭和20年4月から敷設が始まった専用側線の工事は結局終戦には間に合わず、昭和21年2月に山口炭鉱専用側線は完成した。
山口炭鉱から搬出された石炭車は雁ノ倉操車場に集められ、重内炭鉱から運ばれてきた石炭車と組み合わされて磯原駅に向かっていた。
未だ数々の遺構を残す重内炭鉱専用側線と違い、山口炭鉱専用側線は昭和33年までに線路は撤去され、側線跡は山口炭鉱社主により
側線跡は現在市道0233線となり余生を過ごす。
雁ノ倉操車場のこの地点から山口炭鉱専用側線の探訪をはじめる。
廃鉄界のメジャーたる重内炭鉱専用側線は色々なサイトで取り上げられているが、山口炭鉱専用側線を取扱ったサイトは無いように認識している。山口炭鉱専用側線を探訪する事はその点でも意義のある事と思う。
重内炭鉱専用側線とは違い、昭和32年の閉山後に山口炭鉱専用側線のレールは撤去された。
市有地となった側線跡は車両の通行できる道路に整備された。
画面左の舗装道路が専用側線跡(市道0233線)である。
これは良い鉄道カーブ。
雁ノ倉操車場を出た側線跡は左に華麗なカーブを描き西明寺地区に向けて進路を取る。
道路は築堤の上に築かれている。この道路がそのまま側線跡と考えてよいだろう。
更に良い鉄道カーブ。
あまりにも見事な曲率のカーブに私の心は踊る。
専用側線の現役当時の写真は無いのだろうか。是非見てみたい。
カーブの終わり付近で右手から道路が合流してくる。かつては山口炭鉱専用軌道だった道路である。
画面右側のごみステーションの脇から思わせぶりな細い道路が下っている。
何であろうか?
市道の下には幅こそ狭いが立派なコンクリート製の橋があった。
農家の作業用道路としては明らかにオーバースペックである。
位置関係から考えるとこれは専用側線の橋だったのではないだろうか。
橋の幅は狭軌(1067mm)にも十分対応する。
周辺の民家は途切れ、側線跡は西明寺川に沿って進んでいく。
762mmの軌道敷きを1067mmの狭軌に改軌するにあたり、比較的平地の多かった重内炭鉱専用側線より山口炭鉱専用側線のほうが工事に手間取ったと思われる。
側線跡が西明寺川の築堤も兼ねている部分があるので、地均しを入念に行ったのかも知れない。
道の両側は開けているが、民家は見当たらない。
目指す西明寺集落はもう少し先のようだ。
この画像の地点では側線跡=市道と考えて間違いないようだ。
雁ノ倉操車場から1km(雁ノ倉操車場〜山口炭鉱間 930m)ほど行った所であろうか、住宅が立ち並ぶ集落に行き当たった。
ここがかつて山口炭鉱のあった西明寺集落である。
側線跡はこの付近で終わりを迎えていたようだ。
建設会社が建っている辺りはその昔石炭積込場があったと言う。
現在では何らの痕跡も認めることが出来なかった。
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