このページは、2019年3月に保存されたアーカイブです。最新の内容ではない場合がありますのでご注意ください

高萩炭鉱、向洋炭鉱専用側線 3

〜パラボナの下で〜

 

 

 

向洋炭鉱専用側線の探索を終え、高萩炭鉱専用側線の探訪を続行する。

 

高萩炭鉱専用側線は安良川、島名地区内で車道が併走していたようだ。

 

当時の写真を見ると、歩道付近が専用側線であったと思われる。

 

当時の運転士(叉は前方見張り役)の気分になってゆっくり進んでいく。

 

 

 

 

 

 

 

市道にはこのような青看板が掲示してあった。

 

直進すると、我がHPでお馴染みの県道10号 日立いわき線に通じる。

 

右折であれば向洋台団地、島名団地に行ける。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

Y字路の手前から、かつて「大東炭鉱専用側線」が分岐していた。

 

航空写真から推定すると、黄色標識の脇辺りから分岐していたのだろうか。

 

 

大東炭鉱専用側線の基礎知識

 

開設 昭和21(1946)年10月26日

廃止 昭和28(1953)年9月12日

全長 360m

 

 

 

 

 

大東炭鉱専用側線は開通も遅く、廃止も早かった(炭鉱の閉山は昭和25年1月だったので専用側線の実質的な廃止は昭和24年末と考えられる)ので、今現在となっては炭鉱の欠片すら見当たらない。

 

民家の裏を通る用水路が鉄道カーブっぽいと無理に考える事もできるが…

 

背後に見える島名団地辺りに大東炭鉱があったそうである。

 

 

 

 

 

 

 

先程のY字路を道なりに曲がる。

 

本線たる高萩炭鉱専用側線が続いていく。

 

安良川地区から快適2車線道路を続けてきた市道であるが、画像中央の地点で市道の系統が変わり、(側線跡は市道102号→市道205号:画像で直進する道)一気に半分ほどの道幅に絞り込まれる。

 

 

 

 

 

 

 

これは良い側線跡。

 

市道205号となった専用側線跡はご覧のように華麗な鉄道カーブを描く。

 

軽自動車がゆっくり走り、撮影する私の脇を自転車の男性が追い抜いていく。

 

周りを見渡せば、田植えの真っ最中だ。

 

いい季節に来た。緑色の空気を吸いながらゆっくり探訪が出来る。

 

 

 

 

 

ふと、丘の上を見やる

 

これは良い巨大構造物。パラボナの後ろ側の機械的な美しさはどうだろうか。

 

このパラボナアンテナはKDDI茨城衛星通信センター「跡」の物である。

 

「跡」と言うのは、このパラボナアンテナが役目を終え、現役を退いてしまっているからだ。

 

資料によればアンテナの直径は32mと記されている。

 

 

 

 

 

巨大パラボナアンテナは2つ存在する。画像の海側を向いているアンテナの方が古い。

 

昭和38(1963)年11月20日、「国際電電茨城宇宙通信実験所」として運用を開始した。

3日後の11月23日。「ケネディ大統領暗殺さる」のニュースがこのパラボナを介して日本中に伝えられた。

 

2007年3月16日に通信所は運用を停止し、施設は高萩市と日立市(十王町)に譲渡された。

 

 

 

 

 

 

 

高萩炭鉱の閉山が昭和42(1967)年5月であるから、パラボナアンテナと専用側線は3年半ほどの間、現役として共存していた事になる。

 

資料(常盤地方の鉱山鉄道)にもパラボナアンテナの下の平地を通る蒸気機関車と言う大変珍しい光景が収められている。

 

パラボナアンテナについては電波望遠鏡としての活用など色々な活用案が出されているが、具体的な動きは無いようだ。

 

これだけの物を再活用出来れば必ずや茨城北部地方の活性化に一役買うと思うのだが…

 

 

 

 

専用側線跡はいかにも鉄道らしい雄大なカーブを描きながら炭鉱へ向けて進む。

 

行く手には比較的大きな山が見えてきた。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

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