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寝台特急さくら号と長崎の旅

2005(平成17)年1月9日(日) -その3-
鳥栖〜長崎
43 (寝台特急さくら号)
佐賀平野が広がる

鳥栖駅から、向かいの席に鉄道ファンでしょうか、男性の2人が座りました。
この日の寝台特急「さくら」号は、私もそうですが、おそらく廃止を聞いて乗車にきたファンでいっぱいだったようです。

車窓には青空が広がっており、本当にとてもいい天気でした。
佐賀駅に停車した列車は、肥前山口駅に停車しました。
本来であれば、上下の特急かもめ号の交換を待つため、9分停車するはずですが、この日は待ち合わせなしで、すぐ発車しました。
列車は次の肥前白石駅で運転停車し、かもめ号に先を譲りました。
遅れているために交換する駅も異なってきているようでした。

左:佐賀平野が広がる
(神埼〜伊賀屋間にて)

海苔の養殖場が広がる有明海
干潮時には干潟が広がる

肥前鹿島駅に停車した列車は、次の肥前浜駅でも運転停車し、白いかもめ号と交換しました。
しばらくして、車窓に有明海が見えるようになってきました。
その後も、肥前飯田駅で運転停車し、かもめ号に先を譲り、さらに、土井崎信号場で運転停車し、白いかもめ号と交換しました。
運転停車中、有明海の景色を眺めながら「かしわめし」をとても美味しく頂きました。
自慢のだしで炊いたご飯が本当に美味しかったです。
寝台特急「さくら」号は、本来の到着時刻である13時5分を過ぎました。
諫早湾の水門が見えてきましたが、次第に海は遠ざかっていきました。
列車は次に、湯江駅で運転停車しました。
ここでは、上下のかもめ号の交換を待ちました。

左:海苔の養殖場が広がる有明海
右:干潮時には干潟が広がる

3,4番線ホームにて
ED76型電気機関車(長崎方)

列車は、最後の停車駅である諫早駅に到着しました。
時間通りに走っている、快速「シーサイドライナー」号の発車を待ってから、発車となりました。

喜々津駅から先、優等列車は長崎本線の新線を通ります。
短絡線として作られた新線は山間を通るためトンネルが多く、ついには、長いトンネルの中で停まってしまいました。
トンネルの中にある肥前三川信号場でした。
ここで普通列車と交換した列車は、いよいよトンネルを抜けると、長崎の街並みが車窓に広がりました。
寝台特急「さくら」号は、14時13分、1時間8分遅れで、終点の長崎駅に到着しました。
実に20時間にも及ぶ長い旅となりましたが、それほど疲れもなく、快適な旅でした。

長崎駅に到着してすぐに、客車の方向幕は「東京」に変更され、一旦車両基地へと回送されるため、11号車の後方にDE10型機関車が連結されました。
そして、発車。
おそらく、自身にとっては最初で最後の「さくら」号の旅。
60年以上の長い歴史にピリオドを打ってしまう「さくら」号に対して、今回の旅の感謝と、残された期間の無事、そして、「長い間本当にご苦労さま」の労いの気持ちを込めて見送りました。

左上:3,4番線ホームにて
右上:ED76型電気機関車(長崎方)
左下:「白いかもめ」と並ぶ
右下:車両基地への牽引機DE10型ディーゼル機関車
(以上、長崎駅にて)

「白いかもめ」と並ぶ
車両基地への牽引機DE10型ディーゼル機関車
長崎駅

改札口で切符に無効印を押してもらい、駅を出ました。
広々とした駅前広場の上空にはドーム状に大きなテントが掛けられています。

この日、泊まるのは、長崎駅に隣接する駅ビル「アミュプラザ長崎」にある「JR九州ホテル長崎」。
部屋からの景色はとてもよく、長崎駅構内もよく見えました。
まさに駅に泊まるという感覚でした。

部屋に荷物を置いてから、長崎の街に出掛けることにしました。

左:長崎駅



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