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本州-北海道連絡を記録する旅〜2010年秋〜

2010(平成22)年9月11日(土) -その2-
青森〜札幌
201 (急行はまなす)
発車案内板

次に乗車するのは、急行「はまなす」号です。

予定では、一旦改札を出て、駅前のコンビニに買い出しに行こうかと考えていましたが、つがる号が青森駅手前で停車していた分、乗り換えの時間が短くなり、買い出しに行けないこともも覚悟していました。
しかしながら、3,4番線ホームのNEW DAYSがまだ開いているのを確認し、安心しました。

跨線橋から3,4番線ホームに下り、まずは、指定された寝台に荷物を置きに行きました。
久しぶりの寝台車に乗り込むと、どのボックスにも乗客の姿がありました。
指定された寝台の向かいにも、乗客の方がいらっしゃるようでしたが、すでにカーテンを閉められていました。
荷物を置いて、再びホームへと出ました。

まずは、急行「はまなす」号を牽引するED79型電気機関車を撮影しました。
自身のほかにも列車を撮影する方の姿もあり、発車前の雰囲気も、ようやく家路モードから旅モードに変わってきました。
最後尾へ向かおうと、ホームを歩くと、急行「はまなす」号の車両は、寝台車から座席車へと変わりました。
このように、寝台車と座席車、さらに、カーペット車が混在するのも、急行「はまなす」号ならではです。
最後尾の車両まで行き、テールマークを掲出する車両を撮影しました。
これまでも、何度か青森駅で急行「はまなす」号の姿を目にしてきましたが、いよいよ乗車できるということで、だいぶ気分が高まってきました。

ひと通り撮影したところで、発車時間も近くなってきたので、NEW DAYSに立ち寄ってから、列車へと戻ることにしました。
指定された寝台へと戻り、発車の時間を待つことにしました。
ホームで撮影中に、遅れていた特急「スーパー白鳥」44号は到着しましたが、こちらへの影響はどうかなと思っていると、列車は無事に定刻で青森駅を発車しました。
いよいよ、札幌までの急行「はまなす」号の旅が始まりました。

すぐに車内放送が始まりました。
なお、寝台車はすぐに消灯し、停車前の放送も、新札幌駅までなしとのことでした。
放送後、車掌による検札があり、程なくして、寝台車は減灯されました。
減灯されましたが、自身はまだまだ寝る気もなく、隣りのブロックでも、東北弁のおばさんたちが、楽しげに話をされていました。

津軽線を進む列車は、瀬辺地駅を過ぎると、青森湾沿いへと出ます。
海上には漁火が見え、夜空には星も見えました。
やがて、2008(平成20)年に訪れたことのある蟹田の景色が見え始めると、列車は減速し、蟹田駅に運転停車しました。
「貨物列車との行き違いかな」と思っていると、やがて、牽引する電気機関車に続いて、2階建ての豪華列車が現れ、一瞬何かとビックリしましたが、すぐにそれが寝台特急「カシオペア」号だとわかりました。
交換列車の到着を機に列車は蟹田駅を発車、「いつかはそちらの列車に」という思いでカシオペア号と別れました。

左上:発車案内板
左中:ED79型電気機関車(函館方)
右中:「急行はまなす 札幌」の方向幕
左下:急行はまなす号(青森方)
右下:3,4番線ホームにて
(以上、青森駅にて)

ED79型電気機関車(函館方)
「急行はまなす 札幌」の方向幕
急行はまなす号(青森方)
3,4番線ホームにて
青森駅にて
蟹田駅にて

蟹田駅を過ぎると、車窓の灯りはほとんどなくなります。
真っ暗な中、ポイントを渡る遠心力で、新中小国信号場を通過していることがわかりました。
程なくして、ぐるっと右にカーブするのを感じると、高規格区間へと入り、レールの音も変わりました。
にぎやかに話をされていた東北弁のおばさんたちも、それぞれの寝台へと入り、車内は静かになりました。

23時30分頃、警笛の鳴らし合いの後、寝台特急「北斗星」号と離合しました。
程なくして、車窓右手に、消火栓の赤い光が等間隔で点々と過ぎていき、真っ暗な津軽今別駅を通過しました。
青函トンネルは間もなくです。
車窓右手に目を凝らしていると、トンネルを出たところで、灯りの点いている青函トンネル入り口公園のトイレが見え、ピーっという長い警笛の後、列車は青函トンネルに入りました。
まっすぐ続く長いトンネル内は、ロングレールのため継ぎ目を拾う音は聞こえないのですが、走行音が意外とうるさく感じました。
吉岡海底駅を通過した後、2度、貨物列車とすれ違い、日付が変わった0時8分頃、青函トンネルを抜けました。

知内駅を通過後、再び、貨物列車とすれ違いました。
程なくして、レールの音が変わり、継ぎ目を拾う音が聞こえると、減速し、木古内駅に運転停車しました。
「今度は何と交換かな」と思い外を眺めていましたが、何とも交換しないまま発車しました。

列車は、函館湾沿いに出ました。
漁火の灯りが見える暗い海を挟んで、湾沿いには対岸までずっと灯りが続いていました。
函館山の灯りも見えてきました。
列車が進むごとに、対岸の灯りが近づいてきます。

左上:青森駅にて
右上:蟹田駅にて
左下:青函トンネルを走行
右下:函館湾対岸の明かりが近づく
(茂辺地〜上磯間にて)

青函トンネルを走行
函館湾対岸の明かりが近づく
ED79型電気機関車(函館方)
7,8番線ホームにて

まばらだった住宅の灯りが増えると、列車は、上磯駅を通過しました。
自身の中だけの通称「上磯の要塞」こと、日本セメント上磯工場を過ぎると、さらに住宅が密集し始め、函館の市街地に入ってきたことがわかります。
五稜郭駅手前で、1分ほどの信号待ちの後、再び、ゴトゴトと動きはじめました。
五稜郭駅を通過すると、右前方に函館山の灯りが見え、「ようやくここまできたなぁ」と感じました。
函館駅手前で、ピッと短い警笛が聞こえると、この先、この列車を牽引するDD51型ディーゼル機関車とすれ違いました。
列車はゆっくりと函館駅に進入し、約3分遅れで到着しました。

函館駅では、20分ほどの停車時間があるので、ここまで牽引してきたED79型電気機関車や、先ほどすれ違ったDD51型ディーゼル機関車の姿などを撮影しに、ホームに出ることにしました。
まずは、すでに切り離された、ここまで牽引してきたED79型電気機関車を撮影することにしました。
ホームでは、自身以外にも、列車の姿を撮影されている方の姿がありました。
また、函館駅で下車される方、そして、函館駅から乗車される方の姿もありました。
深夜1時を過ぎていますが、函館駅の利用客もそこそこあるようです。

7両+増結1両の列車を見ながら、札幌方まで移動しました。
途中、自由席車両は、休まれている方の姿も見えましたが、減灯されておらず、煌々と灯りが灯っていました。
DD51型ディーゼル機関車の前でも、数人の方が撮影をされていました。
初めて目にする、北斗星色のDD51型ディーゼル機関車の姿をを撮影しました。

発車近くまで、ホームで函館駅の雰囲気を味わってから、再び列車に乗り込みました。
程なくして、列車は、定時で函館駅を発車しました。
先ほど見た景色を逆に進み、五稜郭駅を過ぎたところで休むことにしました。

左上:ED79型電気機関車(函館方)
右上:7,8番線ホームにて
左下:DD51型ディーゼル機関車(札幌方)
右下:「SLEEPING CAR HAMANASU」のエンブレム
(以上、函館駅にて)

DD51型ディーゼル機関車(札幌方)
「SLEEPING CAR HAMANASU」のエンブレム
樽前山の手前に牧場が広がる
苫小牧市街を走る

毎度のことで予想されたことではありましたが、ほとんど寝た感覚もないまま、苫小牧駅到着15分前を迎えました。
寝巻のまま寝台を出て、車窓を眺めると、ちょうど社台付近の牧場が広がっていました。
朝靄が架かって、幻想的な景色でした。
その向こうには、特徴的な形の樽前山の姿もありました。
ずっと景色を見ていたかったのですが、この先のことも考え、身だしなみを整えることにしました。

洗面所で身だしなみを整えた後、寝巻から着替えて、再び、車窓を楽しむことにしました。
すでに、苫小牧駅を発車していましたが、車窓には苫小牧の市街地が広がっていました。
市街地が途切れると、靄の架かる車窓左手にウトナイ沼が広がっているのが見えました。
朝靄の架かる湿原も、北海道らしい景色という気がしました。
湿原の後は、トウモロコシでしょうか、緑の畑が延々と続きます。

美々駅を通過すると、程なくして、車窓左手に広大な新千歳空港が広がりはじめました。
列車は、かつての千歳空港駅である、南千歳駅に停車しました。
南千歳駅を発車してもなお、車窓左手には新千歳空港が広がります。
北海道の観光の玄関口としての新千歳空港と、国防としての千歳基地の広さを感じました。
新千歳空港を過ぎると、車窓には千歳市街が広がり始め、列車は千歳駅に停車しました。

左上:樽前山の手前に牧場が広がる
(社台〜錦岡間にて)
右上:苫小牧市街を走る
(苫小牧〜沼ノ端間にて)
左下:ウトナイ沼を過ぎる
(沼ノ端〜植苗間にて)
右下:新千歳空港が広がる
(美々〜南千歳間にて)

ウトナイ沼を過ぎる
新千歳空港が広がる
緑鮮やかな畑が広がる
新札幌の市街地

市街地を過ぎると、再び、緑の景色が広がります。
広大な畑がいくつも過ぎて行きました。

やがて、昨夜の予告通り、新札幌駅到着の車内放送が始まり、寝台車でも車内放送が再開しました。
それを機に、改めて寝具を整理しようと寝台へと戻りました。
そのとき、向かいの寝台の方もすでに起きていらしたので、挨拶をしました。
50〜60代と思われる女性の方でした。
再び車窓を眺めていると、向かいの寝台の方から声を掛けられました。
何かと思うと、「これどうぞ」と、リンゴを2つ差し出していらっしゃいました。
せっかくのご厚意なので、ありがたく頂きました。
話を伺うと、お子さんが札幌にいらして、そこを訪ねるとのことでした。
「仕事?」と聞かれたので、「旅です」と答えると、「弘前もいいところだよ、ぜひ来てよ」とおっしゃっていたので、どうやら、弘前の方のようでした。
久しぶりの寝台車の旅で、またこうやって、向かいの方と交流ができて、旅の良さを改めて実感しました。

間もなく、車窓に新札幌の市街地が広がり始め、列車は新札幌駅に停車しました。
札幌駅まで、あと一駅となり、急行「はまなす」号の旅の終わりを惜しみました。

左上:緑鮮やかな畑が広がる
(島松〜北広島間にて)
右上:新札幌の市街地
(上野幌〜新札幌間にて)
左下:豊平川を渡る
(白石〜苗穂間にて)
右下:札幌駅に到着

豊平川を渡る
札幌駅に到着
DD51型電気機関車(札幌方)
3,4番線ホームにて

列車は、札幌の街を流れる豊平川を通過、次第に、都市の街並みが近づいてきました。
そして、札幌駅到着の車内放送の後、程なくして、急行「はまなす」号は、札幌駅に到着しました。

向かいの寝台の方が、「気をつけて」と言葉を残し、先に下車されていきました。
自身も荷物をまとめて下車すると、早朝の北海道の空気が出迎えてくれました。
初めて、札幌駅に下り立ち、いつもの「ついにここまできたんだ」という気持ちはもちろんですが、何だか、よく知った地に久しぶりに来たというような不思議な感覚もありました。
それは、自身が中高生の頃、偶然のきっかけから、北海道のラジオ番組を毎晩のように聞いていたので、札幌という地に親しみを感じているせいもあるのかもしれません。

まずは、ここまで乗車してきた最後尾の車両を撮影し、先頭車へと向かいました。
ブルーの車体の横を先頭車まで歩いて行きましたが、やはり、この存在感は、他の列車にはないものを感じます。
そして、先頭車に到着すると、乗車してきた方々でしょうか、ファンの方が、ホーム端に群がることなく、きちんと並んで順番を待っていらしたので、自身もその列に並び、函館駅から牽引してきたDD51型ディーゼル機関車の姿を撮影しました。

再び、列車を最後尾まで歩き、無事に札幌駅まで辿り着いたことを感謝し、階段を下りました。
「はやて」29号で東京駅を出発してから約12時間、まずは、2010(平成22)年9月時点の「本州-北海道連絡を記録する旅」の片道が終了しました。

左上:DD51型電気機関車(札幌方)
右上:3,4番線ホームにて
左下:急行はまなす号(函館方)
(以上、札幌駅にて)

急行はまなす号(函館方)



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