このページは、2019年3月に保存されたアーカイブです。最新の内容ではない場合がありますのでご注意ください


     

今回は一気に大昔へワープしてみましょう。古代人だって玉島は負けてはいません。
貝塚や古墳も発見されています。やはり玉島は昔から住み易いところだったのですね
今貝塚は今から13,000年ほど前の縄文後期の遺跡です。 その主なもの
  • 中津貝塚(黒崎屋守) この貝塚からは屈葬され、抜歯された人骨が 出土しており、大正の初め発掘され縄文時代の研究に学会で有名になりました。
  • 他に島地貝塚・土生の貝塚・上郷の大山貝塚等があります。玉島は沿岸 地域ですから海・山の資源を利用した生活がうかがわれます。
  • 玉島の隣の村ですが、笠岡の大島の「津雲貝塚」、これも大正の初期に発掘 された貝塚で、最も重要な研究の対象となりました。人骨170体に及び、 生活に使用されていた道具、食物が大量に出土した貝塚です。 また船穂の里木貝塚も重要なものです。
古墳は歴史時代に入って3世紀頃からつくられ、 5世紀頃まで続きました
  • 八島の天王山古墳は亀山の海岸沿いの山麓につくられ、前方後円墳で原型は 100m内外あったものですが、現在は道路が横断して切り掘られたり、周辺が 変わっております。主となる出土品は円筒埴輪(径約40cm)、鉄製の武具、農 具、土師器、陶器等であります。
    この古墳は当時水島灘沿岸の海陸を支配していた豪族の基地であろうと考えられ ます。
  • その他、各地に古墳がありますが、かなり原形は壊れております。それは、 亀山の山麓、水溜山山頂、沙美の山腹などに残されております。


その他近隣の村の遺跡
  • 玉島の西隣の笠岡市の大島における津雲貝塚は、縄文時代の後期、晩期 (12,000〜10,000年前)の遺跡で人骨170余体が発見されまし た(明治時代)。京都大学の清野謙次氏の数次にわたる発掘によるもので当時 の墓制を知ることが出来ます。その一つは両足を強く曲げた屈葬が多いこと、 二つは葬飾に貝輪を手首にはめている女性がいること、三つは抜歯している 人骨で上顎大歯、小臼歯などを抜いているものなど特徴を持っていました。 食料については海中産オキシジミ、ハマグリ、ハイガイ、カキなどの砂泥質 のものが主体で魚類ではクロダイ、マダイ、スズキ、サワラ、ハモなどの魚 骨が特色となっています。
  • その他船尾(船穂)の里木貝塚、児島の彦崎の貝塚などは人骨を伴って発掘 されています。

岡山県は奈良県。大阪府についで巨大古墳の多いことで知られております。
備中では造山古墳(350mわが国で4位)、作山古墳(270m)、備前の雨宮
山古墳(160m)、備中のこうもり塚、箭田大塚(円墳)などが有名なものです。

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