このページは、2019年3月に保存されたアーカイブです。最新の内容ではない場合がありますのでご注意ください |
明治の頃の玉島港の様子です。左の山が円通寺のある白華山, 橋のように見える堤防上や港を取り囲むようにして倉庫や 問屋街が見られます。右手の方に見える小高い山が羽黒山, 左下には紡績工場の煙突が描かれてあります。 |
玉島湊の入植者の大部分は20Km圏内
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以上の条件があげられます。 | |
玉島港もこれらの条件に支えられて繁栄を見ましたが、それはどのような内容を もっていたか、具体的な活動を見たいのですが、これは次回になりますが一口に 申しますと、綿の取引が中心となり、北国より海産物が入ってきました、そして 海上輸送にあたった北前船の入港によって玉島港は賑わったのであります。 |
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