このページは、2019年3月に保存されたアーカイブです。最新の内容ではない場合がありますのでご注意ください




当時の人々にとって鉄道の開通は一大エポックメーキングな出来事であった。今回は
当時のポスターや新聞から鉄道にまつわる面白いエピソードを拾ってみることにしよう。


     開通時に発行されたポスター
明治34年5月26日、山陽鉄道が神戸〜下関間を全線開通となった。そのときに発行されたポスターを原文のまま紹介しよう。
全線開通
今や山陽鉄道 神戸・馬関(下関)間、全線開通し 本邦縦貫鉄道 遂に完成を告げたれば 上方(東京)九州間の
交通に著しき利便を与えたるは勿論 内外の交通上 又将に一新生面を開かんとす。
急行列車
全線330哩(約530Km) 最急行列車(特急列車)は僅か12時間半 他も悉く15〜6時間にて達す。 快速無比。
而してその回数は毎日上下各4回、神戸・馬関の双方にて 朝・午・夕・夜に発車す。尤も是等は大阪又は京都を
発着点にし、官線内(東海道線)と直達運転するが故に神戸にて乗替の煩なし。
関門連絡
呼べば応えむ関門海峡の連絡は軽快美龍の「フェリーボート」にて僅か15分間。往復毎日数十回、九州山陽両鉄道汽車の到着する毎に発船し都合よく接続するがゆえに汽車より直に船に乗りかえらるるを便なりとす。
連絡切符
山陽九州両鉄道の各駅相互間は勿論、東海道官線と九州鉄道との間の主なる駅にて発売するがゆえに発駅より着駅行きの連絡切符を買取らるること最も肝要なるべし。連絡切符の特色は賃金割安にして途中切符買還の面倒なく最初発駅にて手荷物を預くれば途中一切世話なしに着駅に到着する等旅行者の便益甚だ多し。
列車設備
急行列車は悉くボギー式(レールのカーブに沿って外側の車軸が進む構造を持つ大型車両)客車を用い、食堂車に寝台車、列車ボーイに汽車電灯、冬季には蒸気暖房の設けあり。座敷汽車も亦山陽列車の設備の一とす。

当時の切符小荷物引換証


その1  トイレはどうしたのか
身なりも立派なある士族さんが列車の中で急に尿意をおぼえた。まん悪く泥酔していたために気が緩んで隣の乗客に小便をかけてしまったからさあ大変。すぐさま捕らえられて罰金10円の刑。
またこれも同じく人品卑しからぬ士族さんが東京横浜間の上り列車の中で腹具合が悪くなりとうとう一発大きなおならをぶっ放した。これも捕らえられて罰金5円の刑に。
当時米一石(1人1年分の量)が約4円であったというから、当人は勿論のこと笑い話では済まされない事件である。
とにかく明治5年の鉄道開通以来明治22年10月まで、停車時間中にホームのトイレで用を足すこととなっていた。
たまたま明治22年、政府の高官が用を足した後列車に乗り損ねて死亡するという不幸な事件があった。このことからようやく列車にトイレが設置されるようになったという。
その2  食堂車体験記
明治大正の文学者大町桂月の「迎妻紀行」(明治33年)の中に次のような一文がある。
・・・翌日午前5時神戸に着き山陽鉄道に乗り移る。この汽車は動揺甚だしけれども食堂の設けあるのが、他処の汽車にその例を見ざる便利の点なり。須磨・舞子・明石などの勝景の地を幾皿の肉と一瓶の酒とに陶然としてすごし、岡山にて乗り換え作州津山に着きしは午後7時なりき。・・・
その3  特急列車が走る
明治27年から神戸・広島間に急行列車を走らせ、さらに明治36年からは神戸・下関間を11時間20分で結ぶ7両編成の特急列車を走らせた。神戸から下関まで507Km、姫路・下関間は単線でしかも27Kgの軽量レール、そして牽引力もまだ弱かった蒸気機関車という悪条件の中で平均時速46.4Kmという当時としては驚異的なスピードであったという。

この列車のスピード維持のために、機関手は命がけであったといい、揺れがひどいためサラシを腹に巻きつけて身体を保護して運転した(現在とはえらい違いだ)。会社の幹部もまた機関車に乗り込んで機関手を激励するなど、涙ぐましい努力があったという。
時の鉄道大臣であった仙石貢は「危ない」といって山陽鉄道には乗らず(おいおい)、いつも瀬戸内海の船を利用していたという逸話もある程だが、山陽鉄道では一度も事故を起こしていないという。
その4  勾配には気を使った
列車のスピード確保のために鉄道路線の建設当初から、列車の足を引っ張る上り勾配を全て千分の十以下とした。関西の箱根といわれる難所・・・兵庫・岡山県境の船坂山トンネルも莫大な工事費を覚悟の上で、千分の十勾配で完成したと伝えられている。
当時の官営鉄道では千分の二十五勾配まで認められていたことを思うと、東海道よりも山陽道のほうが昔から知識文化の度合が進んでいたとも考えられる。
形式6120、初登場したのは明治33年。山陽鉄道で急行列車として活躍した




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