このページは、2019年3月に保存されたアーカイブです。最新の内容ではない場合がありますのでご注意ください


昭和10年頃の山陽線の様子を小学生の日記風に描写してみた。玉島駅の周辺は現在と違って、
豊かな田園が広がるのどかな風景が展開されていたことであろう。その中を真っ黒な煙を吐きながら
特急列車や貨物列車が何本も通りすぎって行った。
一面に広がる麦生の緑のじゅうたんを敷きつめた中に、ところどころ菜花の黄色い模様をちりばめたような
七島新田のまん中を、山陽線のレールが一直線に延びている。
かげろうもえるこの一直線のレールの上を、上り下り合わせて90本もの汽車が15分おきぐらいに上下する。
時には白い線のある一等車のついた急行列車が走り過ぎ、またある時は長い長い貨物列車が轟音を
ひびかせ、麦生の穂をなびかせて通る。
そして、レールカーや色鮮やかな宅扱車が軽快に走り、日に一度は流線型の蒸気機関車が引っぱる
特急列車が流れるように走り過ぎる。
にわかに暖かくなったある日、僕は学校から帰るとすぐに、麦畑のほとりを流れている小さな用水溝で、
どろんこになりながらドジョウ取りに夢中になった。
うすぐらくなりだしたのであわてて家へ帰った。またお母さんに叱られるぞと心配していたが・・・。
この日は、兵隊に行っている1番大きい兄さんの面会に姫路まで行ったおじいさんが、
ちょうどもどってきたばかりで、にぎやかに言っていたので叱られずにすんだ。

夕ごはんを食べながらおじいさんは感心したように話してくれた。
「便利な世の中になったもんじゃ。何十里も遠く離れた所へでも、朝家を出ていって、夕方には
 もう帰ってこられるんじゃもんなあ。」
「じいちゃん、何時間ぐらいで姫路に行けたん・・・。」
「そうじゃなあ・・、3時間ぐらい汽車に乗ったかなあ・・・。」
「ふーん。ぼく、汽車が大好きなんだ・・、じいちゃん、ごはんの後で、もっとくわしく教えてくれる?・・・。」
「ほーお、こりゃあたいへんじゃ・・、よしよし。」
昭和初期の玉島駅(西方より望む)
昭和50年3月、山陽新幹線新倉敷駅開業。駅名玉島駅
は消滅・駅もまた一新された。

夕ごはんの後、おじいさんはポッツリ、ポッツリと思い出すように話してくれた。
「家から玉島駅までおよそ20町、歩いて30分ぐらいかな。ほれ、家のすぐ西の勘太橋のそばに
 道しるべがたててあるな、あの道しるべにはこの富田村から隣村の境までの道のりが刻んである。
 なんでも、玉島駅がある長尾町爪崎との境まで1775メートルとあるんじゃが、年寄りには
 わかりにくくてピンとこんのじゃわ。何里何町とか言った方がなじみ深い。」
玉島八島に残っている石碑
  県道倉敷成羽線と県道金光船穂線とのT字路角に建っていた。
  山陽鉄道玉島停車場(ステーション)への道しるべ。
  主要道が変わるたびに移設され、現在は新倉敷駅北口前を
  通る道路を西へ進み、道口を流れる川と交差した地点に
  建っている。(地図参照)

「じいちゃん、バスには乗らなんだんか…。今は広いまっすぐな新道が出来て、便利よくなったのに・・・。」
「ううん…。じいちゃんはなぁ、どういうもんかバスに乗ると、ガソリンとかいうもんのにおいで
 酔いそうになるんじゃ。それにまだ元気で、歩くことには昔から馴れているけんなあ・・・
 一里や二里ぐらい歩くのは朝めし前のこっちゃ…。」
「ほんならまた、じいちゃん、おかしなかっこうして行ったんじゃなぁ。」
「なにがおかしなかっこうのもんか… 洋服なんちゅうもんは、どだいきゅうくつでしょうがねえ。 
 いつものように着物を着て裾をはしょうって尻からげ、足はももひきにわらじばき、それに麦わら
 帽子をかぶれば、一番歩きよくて、わしにはようと似おうとる。 それに、兄さんの好物の
 草もちと、着替えの新しい下着を振り分け荷物にして肩にかけてさっそうと歩いたぞ。」
「あーあー、じいちゃんたら、またひょんなかっこうで、いきがってらーあ。」
「なにがひょうんなことであろうに。年寄りにはこれが一番動きやすいんじゃ、それに朝早く
 麦畑の中を歩いてみい、気持ちがええぞお。それよりもなあ、玉島駅はやっぱり活気があるなあ。
 バスやハイヤがたくさん止まってお客を待っているし、貨物扱所では大きな荷物を大勢の
 人夫が積み降ししているし、汽車が着くたびに大勢の人が乗ったり降りたりしているぞ。
 駅の人の話では、平均して一日に900人ほどの人が乗り降りしているそうだ。」

「ところでと、じいちゃんが乗ったのは8時過ぎの汽車、切符を窓口で買ったが、姫路まで1円70銭、
 距離が113.8キロメートルと切符に印刷してあったと思ったが、… もちろん普通列車の三等じゃがなあ。
 11時頃には姫路に着いた。」

「姫路までのことはようは覚えとらんが、大きな川を何べんも渡ったことや、それから三石トンネルというて
 長いトンネルがあって、トンネルを出たら兵庫県だったこと。姫路駅に近こうなったら汽車の窓から、
 大きな姫路城が見えたことなどかな。姫路の駅も岡山駅と同じように大きな駅だったなあ。
 汽車が着くたんびに、弁当売りが大きな箱を首からたすきでつって胸の前にぶらさげて、『弁当にお茶、お菓子』
 などと大きな声で客を呼びながら、ホームを走るようにして売って歩いていたなあ。」

「帰りは姫路を午後2時半頃だったかの汽車に乗って、玉島駅には5時半ごろに着いた。 
 なんぼう便利になったいうても、かたい腰掛けに3時間もの間、じっと腰掛けていると、
 やっぱりくたぶれるなあ。わが家の畳の上が何といっても、一番気楽でええもんじゃ。」

おじいさんの話は大変おもしろかった。僕も大きくなったら汽車に乗ってみたいと思った。
上り
駅名キロ数(Km)時間(普通列車)汽車賃
西阿知5.38分10銭
倉敷9.314分16銭
岡山25.238分41銭
姫路113.82時間52分1円70銭
神戸168.64時間15分2円40銭
大阪201.75時間2円74銭
京都244.55時間44分3円20銭
東京759.119時間26分7円42銭
津山83.92時間20分1円72銭
下り
駅名キロ数(Km)時間(普通列車)汽車賃
金光6.38分11銭
鴨方9.813分16銭
里庄13.819分22銭
笠岡18.525分30銭
131.73時間13分1円93銭
広島136.73時間30分2円
下関339.08時間42分4円16銭




    第6話 昭和初めの玉島駅

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