このページは、2019年3月に保存されたアーカイブです。最新の内容ではない場合がありますのでご注意ください |
昭和50年3月、岡山・博多間新幹線開通にともなって新倉敷駅が開業した
<新幹線の歴史>
5年余りにわたる工事の末、昭和39年10月には東京・大阪間の東海道新幹線が開業して、「ひかり号」が4時間で
結ぶことになった。引き続いて昭和47年3月には大阪・岡山間の山陽新幹線が、さらに昭和50年3月に至って、
岡山・博多間の開業と進展し、10年余りにして東京・博多間1180Kmを「ひかり号」が6時間56分でむすぶという
スピード時代を迎えた。
ところで岡山・博多間393Kmのうち、トンネル区間が111箇所、総延長222Km(全長の56.5%)という、いわゆる
「もぐら新幹線」というニックネームまでついて、それでも夢を乗せて新幹線は西へ走った。
<玉島が新幹線駅に決定>
昭和40年代の前半、山陽新幹線大阪・岡山の工事さなかから、博多まで新幹線が延びるのだという噂が盛んに
とびかい話題を賑わせた。
そして岡山以西の新幹線ルートの設定にともなって、倉敷駅設置の要望も高まり、玉島駅に接続した新幹線駅が
出来ると内定されて、にわかに活気づいたのは昭和44〜5年ごろのことであった。
それにあわせて昭和47年ごろには仮称「新倉敷駅周辺設備開発計画」も打ち出されて話題の豊富な時期を迎えた。
しかし周辺の整備は開業後も一向に進む気配がなかった。
<玉島駅が新倉敷駅へ>
新幹線開通にともない、玉島駅は全面改装、・新倉敷駅として新しく生まれ変わることになった。
平成15年の現在、周辺整備も着々と進められ、倉敷の玄関口としてふさわしい様相を現わしている。
旧玉島駅風景 駅待合室風景 市道側より駅舎と駅前広場を望む 産業道路側より駅舎と駅前広場を望む
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