このページは、2019年3月に保存されたアーカイブです。最新の内容ではない場合がありますのでご注意ください

ベンチの脳梗塞に負けるか!! 脳卒中、脳梗塞、脳梗塞のリハビリ、脳卒中掲示板ミーティング、闘病記、脳梗塞闘病記、
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脳梗塞発病
もうすぐ、又、忘れる事の出来ない日が近づいて来る。
9月17日は私の運命を変えた日である。
今年の9月17日で、病気を発症してから8年が経つ。
当時から見ると家内のおかげで大分回復し、自分の事は大分出来るようになった。
ここで、当時を振り返ってみたい。
私は某飲料水の会社で営業の仕事をしていた。
9月16日は本社において午後4時から会議の予定が入っていた。
本社の人間以外にお客さんも入り合同の会議の予定であった。
本部長はじめ、私と関係者の7人〜8人の会議で夜の8時頃まで会議が続いた。
終わって帰る支度をしていると本部長がきて、お客様と一緒に食事に行こうと言ってきた。
場所は近くのホテルであった。
お客さんの手前、私も会議で疲れていたが近くなので食事に参加した。
約1時間ぐらいで食事は終わりやっと自室のアパ−トに帰った。
疲れていたのですぐに休む事にした。
未明に麻痺している自分の腕が自分の身体に触れて目をさました。
1人で寝ているのに誰かいるような感じであった。
トイレに行こうとしたが、その時には足も麻痺しており、立つ事が出来ない状態であった。
部屋の中で何度も立って行こうと思いましたが、立つとすぐに倒れてしまいました。
それも頭から倒れるので頭が痛く、もう立つのをやめました。
身体の自由が麻痺のためまったくきかず、はって電話の所に行きました。
しかし、電話の元線を間違って抜いてしまい電話が不通になり、
電話が出来なくなり、もうじっとしているしかないと思いました。
電話器を抱いて寝て待っていました。
朝がくるまで待っていました。
麻痺はだんだんひどくなり意識はあったが自分ではどうしょうも出来ない
単身赴任の、辛さであった。
誰か側にいってくれたらもっと早く病院に行けて麻痺ももう少し軽く済んだかもしれない。
でも結果論です
朝になり時間はわからないが外で人の気配がした。
会社の人間がきたと思った、部屋の中から1人で助けてくれ〜と叫んでいた。
しかし運悪くその日は、鍵の他にもう一つチエ−ンも掛けていた。
こんな事したことがないのにその日に限って掛けてしまっていた。
そのうちに救急車のサイレンの音がした。
消防署の特殊担当の方がきて鍵を壊し始まる。
鍵はすぐに壊れたがチエ−ンが切れなく時間が予想以上に掛かった。
私は部屋でじっと待っていた。
誰かドア−の新聞受けから、私を呼んでる声がする。
しかし身体の自由がきかないのでじっと心の中で助けを呼んでいた。
手でこい・こいと助けを呼んでいた。
やっとドア−が開き救急隊員が3〜4人が部屋に入ってきた。
すぐに私に、だんなさん手をグ−・チヨキ・パ−をやって下さいと云った。
しかしパ−が出来ない(麻痺のため)
すぐに病院に搬送だと云って救急病院に搬送される。
時間はどのくらいかたったのか私にはわからないです。
すぐに病院のICU室に搬送されて、闘病生活が始まった。
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