運ばれた病院は会社に近く、会社関係の人が多数きてくれた。
当日の夜は私はあまり記憶がないが、脳が腫れて熱が出て、
家内と看護婦の2人が一晩中熱を冷やすのに氷で大変な看病をしたそうです。
これも後で聞いた話ですが、私が死んでしまうと、
看護婦も必死に看病してくれたそうです
家内と看護婦の看病のお陰で無事に朝を迎える事ができました。
ICU室には、約3週間入っていましたが、
その後峠を越えたということで、一般病棟に移されました
毎日検査の連続でMRI・とか超音波検査の連続であった。
ある時担当医から、家内・私に病状の説明があった。
先生は私に勤務先の配置転換をしろと言ってきた。
会社復帰さえ無理かもしれないと言ってきた。
私は病気を治すつもりでいるのになんと云う事かと思った。
しかし先生は脳梗塞の症状は重く麻痺の回復は厳しいから | 会社にお願いして配置変えをしてもらえとの事であった。
何十年も働き今の地位を築き、必死にがんばってきたのに・・・
私はもうその時はガケから落とされた気持ちだった。
先生の云うことが素直に聞けなかった。
家内と2人で外泊許可をもらい倒れたアパ−トに帰り、
2人で夜遅くまで今後の事を相談した。
2人で泣いた私も泣いたとんだ事になり家内に申し訳ないと泣いた。
しかし私は心に誓った
「絶対に退院するときは自分の足でこの病院を歩いて退院してみせる」
と自分に誓った。
それから私は右手・指は正常なのでリハビリに頑張り
絶対に回復してもう一度会社復帰をしてみせると心に誓いリハビリに専念する。
それからの私は病院でもびっくりするほどリハビリに専念して
看護婦も利用して助けてくれるれる方は利用してリハビリに専念する
食事が終わると呼ばれる前にリハビリ室に行って
先生に呼ばれるのを待っていた。 |
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