| 7月の定期検診で担当医から大丈夫だから
そろそろ復帰の話しを会社のほうにしても良いと言ってくれた
私は先生に言った、先生復帰は嬉しいが私は左麻痺なので心配だと
すると先生に怒られた。世の中には、方腕方足の障害者が沢山いるのだと
右は普通とおりに使えるじゃないか、多少のハンデは仕方ないが
このくらいハンデではない!と元気付けられた
私もそうだと思った。先生に感謝し会社に報告する約束をした
会社復帰の話をできる所までこれた事はうれしいが、いつ会社に連絡するか迷った
8月も終わり9月になって、会社の同僚が私の自宅に見舞いを兼ねて訪ねてくれた
私と仲の良い同僚である、いろいろ話して復帰の話しもしてみた
同僚は早く連絡をした方が良いと言ってくれた
私もやっと思い切って電話する事にした
一連のリハビリ等、体の状況を話して会社復帰の話をした
人事担当が「わかった!」と言ってくれて長い闘病生活をねぎらってくれてた
そして喜んでくれた。電話だが私も嬉しいかった
翌日、電話があり3月に定期異動があるので復帰は3月にしてほしいとの事であった
条件として奥さんも帯同してもらいたとの事であった
会社の近くにアパ−トを借りてくれるそうです
私1人では生活が出来ないので2人で会社近くまで引っ越す事になった
でも、会社に連絡をして復帰が認められて嬉しくて心で「バンザーイ」と叫んだ!!
沢山の人の助けを受けて、病気をしなければ分からないことが沢山経験出来た | 復帰は来年の3月の定期異動の頃なので、まだ復帰まで時間がある
復帰までの時間をいろいろな仕上げの時間に使った
配属先が元の営業ではなく違う配属先になる
休職中に会社はITと言って業務処理は全て機械化されており
私は機会が苦手なので、復帰すると不安があった
これからを考えパソコンの勉強をすることにした
宇都宮市の施設で障害者センタ−があり、そこに1カ月間通ったがなかなか覚えず
そこの紹介で県の施設の身体障害者センタ−に2週間通所した
この施設は私のような障害者が社会復帰する場合に訓練する所である
その施設で2週間お世話になった
毎日ワ−プロの練習でなんとか文字は自由に打てるようになった
これが私とパソコンの出会いでもあります
それと平行してリハビリも続けてやっていた
不思議なもので気持ちも復帰が決まると明るくなりリハビリも苦痛を感じなくなった
毎日が充実した日が送れるようなった
そうしていよいよ3月になり復帰が現実となる所にきた |
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