| ヌーエ熙ホノ「、フ、ソ、サ、ソ、錣韻世♤△覆鵑量造い發覆ゔ鋧△靴燭い塙佑┐討い燭錣韻任呂覆BR>病気になって一番先に思った事は、リハビリをやっても回復に時間が掛かるので
自分から身を引くべきか?と考えた事もある
病気になり、復帰したい希望もあったが
いろいろな人の話を聞くと麻痺の回復は難しいとの話しも多く
自分の心の中は、もしかしたらこのまま回復はできないのかも・・・・
と、思ったりもしていたので、会社復帰は本当に心の底から嬉しかったです
いままでのリハビリの苦労が報われた感じで、やった!!という感じです
リハビリは、廻りの人はいろいろ言うけれど、やっている本人はリハビリほど辛い事はありません
先が見えないのがなにより辛い事です
リハビリは精神的に途中で挫折して寝たきりになってしまう事もあるそうです
しかし、病院には社長も面会に来て頂き、元気付けてくれた
これがなにより一番の励みになった、大変感謝しております
会社復帰を果たし自分もやっと肩の荷がおりたが仕事面で不安がある
特にワ−プロが私は出来ず、職場は監査課といって報告書を作らなければいけない
全てワ−プロで作る報告書になる
最初は教わりながら、報告書を作るが驚いた事がある
報告書の文の丸や点が上手く出来ていないと仲間に指摘を受ける
特に数字の0が多くなったり、少なくなったりしており
私の報告書は訂正が必ず入るので悩む
休み時間は必ず他の部署に行って、手の空いてる人を見つけて指導を受ける
復帰して気づいた事は計算障害があり、又、字をはっきりと書くことが出来ないので
間違いがあった、それを自分で自覚できた
復帰して時間が経つと私の事もあまり話題にならなくなり
自分で仕事を覚えてみんなに追いつくしかないと思った
会社は利益を出す場所であり、リハビリ教室ではないのだから・・・
辛かった事は、人の同情もすぐに終わり
復帰して最初はみんな助けてくれたが時間が経つにつれて
最初と違い人間はこんなに変わるものかと初めて経験しました
昔の同僚に知らないそぶりをされたり
麻痺で出来ない事をやらせようとしているときもあった、悔しかった・・・・
それから会議はいままで自分で開いていたが
復帰してからは会議に参加もできなくなりこれも辛い事であった
元々は会社では役職であったが今度は平社員なのでこれも辛い事です
自分の心の中はいつでも退職出来るように心構えは出来ていました
気持ちが落ち込むと他の部署に行ってグチをこぼして気持ちが戻ると又勤務をした覚えがあります
復帰してから6カ月が経過して、やっと正式に社員の辞令が下りる
そして人事部長から呼ばれて半年間の自分の状況を聞かれた
私は家内と毎週金曜日に自宅に帰るのが疲れるので自宅に帰してもらいたいと
人事部長にお願いした
部長は分かったと言ってくれて前向きに検討すると言ってくれた
年が明けると勤務先が変わり栃木の地元になった
業務内容も現場になり業務関係になった
パ−トが作った翌日の製品のチエックであるが
これが私にとっては大変なリハビリになり、出来た製品を全てチェックするが
頭・注意力・計算等など私には最高のリハビリであった
また転勤し車の運転も自分でするようになり
片道20キロの道を無事故で運転する事ができた
1日が短く感じてあっという間に仕事が終わる
営業所勤務は、昔の仲間であるので勤務が楽しく出来た
しかし、やはりつらく、悔しい思いもあった
昔ついてきてくれた部下も自分が部長だからであり
役職がなくなるとやはり去って行く者もいる
組織、出世等のさみしい人間関係である
それからしばらくするとまた転勤になった、二度目だ
今度は自宅から一番近い営業所になった
最後の勤務地だが、支店長が気を使ってくれて
所員もみな親切に対応してくれるので最後の勤務は私にとっては最高であった
復帰して転勤を通して、いろいろな職場を見る機会が出来た
やはり組織はトップの影響が大きく、トップが私のような障害者にも目を向けてくれると
そこの所員全員が良き理解者になる
私は復帰する事を目標にリハビリに励み、がんばってきたわけだが
実際復帰してみれば試練、我慢に何度も会社を辞めようと思った
家族や家内の事を思うと決心がつかずいた
復帰してからも「もう少しだ、定年まで頑張れ」と役員から言われて辛い事も我慢して頑張れた
いつも家族・家内が頭にあり障害者を雇ってくれる職場は現実には厳しいので
「我慢・我慢・我慢・我慢・我慢・・・・・・・・・・・・・・」
辛い時は家族を思い出して頑張る | 不思議に家族を思うと頑張れる
そして定年退職日が決まった、9月2日になった
ついに来た、39年の会社生活の終わりである
平成8年に大病して家族にも迷惑を掛けたが無事に定年退職を迎える事が出来た
家族や病院関係者、会社関係者、沢山の人の協力があったからだ
9月2日は支店長と一緒に本社に向かった、10時に辞令交付が終わり
最後に役員と一緒に食事をし39年の会社生活が無事に終了した
今後の自分の人生については病気で沢山の人の恩恵、親切を受けたので
退職後、社会に役立つ人間になれるようになればいいなと思った
元気な時の会社勤務、そして麻痺してからの会社勤務
天と地のような会社勤務であった
しかし、リストラ、失業者増加のこの時代で
このような体になっても最後まで勤務させてくれた
会社には心から感謝している
また社長をはじめ上司、同僚達にも感謝している
「ありがとう」 | |
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