このページは、2019年3月に保存されたアーカイブです。最新の内容ではない場合がありますのでご注意ください

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8月1日(火) 【引越し準備】

 更新するといってまた放置してしまいました。

 というのも、現在引越し作業の真っ最中で、昨日実家から母親もやってきて、親子3人で荷物を片付けています。2日に妹の引越し、3日に僕の引越しと、時間差攻撃でやってくるので少々面倒です。一人暮らしの引越しなら荷物は限られているのだけど、二人で4年半暮らしたから荷物の多いこと。引越しは疲れる。

 ともかく、4年半暮らした三鷹台のアパートともあと2日でお別れ。住み慣れた地を離れるのは寂しいですが、新たな住まいで心機一転頑張ります。

 の前に、荷造りが終わるかどうかが問題だな・・・。


8月2日(水) 【お引越し】

 半分くらい徹夜した状態で、午前中にようやく自分の部屋の荷造りが完了。大量にある紙類を年度別に分ける作業をしていたら膨大な時間がかかってしまいました。1年生のときのシケプリとか出てきてびっくりだ。捨てようかと思ったけど、何故か捨てられない優柔不断な自分。僕は何でも取ってしまっておく癖があるので、放っておくとどんどんどんどんモノが溜まっていって困ります。こういう機会でもないと捨てるチャンスはないんだけど、それでも捨てるのに躊躇したりして。。捨てる技術を持っている人は本当にすごい。

 それからはエアコンを外したり、妹の荷物を引越し業者に取りに来てもらったりして、瞬く間に一日が過ぎて行きました。明日は朝一番で自分の引越し。引越しって大変ですね。

 今、既に電気がなくがらんとした自分の部屋の中でこの日記を書いているのですが、見慣れた姿と違うとやっぱり寂しいですねぇ。駅から遠かったけど、2DKにしては家賃も高くないし環境的にはいい家だった。ありがとう、今の家。

   

 次に更新するのは新居にネットが繋がる5日かな。それでは、また。


8月3日(木) 【お引越し2】

 全ての荷物を梱包してしまったためにフローリングの床で寝なければならず、全く寝られませんでした。わたくし布団がないとだめなのです。結局徹夜のような状態で朝を迎えてしまいました。しかも8月というのに寒かったから、喘息っぽい症状が出てしまい、自分の引越しだというのにコンディションは全然だめ。

 朝8時に引越し業者に来てもらい、旧居から荷物の運び出し。それにしても凄い荷物です。二人分の荷物の大半が新居へ移るのでたまらん。果たして新居に荷物が入りきるのかという若干の疑問を抱え、僕は一足先に新居へ。旧居の片付けは母と妹に任せます。

 もうほとんど乗ることがなくなるであろう、井の頭線の満員電車に揺られて駒場の新居へ。簡単な掃除をして少し横になっていると、引越しの荷物が到着しました。ぞくぞくと運び込まれるダンボール。あっという間に6畳の部屋はダンボールで埋め尽くされてしまい。ついには一人が座るスペースしかなくなってしまいました。ある程度予想はしていたけど、まさかこんなに荷物があるとは思わなんだ。どこから手をつけていいのやら、途方にくれてしまいました。

 そんな懸案の開封作業はひとまずおいておいて、再び旧居まで戻って不動産屋の人とともに部屋の点検作業。無事に点検作業を終えて鍵を返却し、三鷹台のアパートを後にしました。これでもうこの場所に来ることはないのね。さようなら三鷹台。僕は23区ないに引っ越します。。

 で、昼からは再び駒場の新居へ戻り、ダンボールの開封作業をひたすらやっていました。あれだけあったダンボールの山も、母と妹の協力のお陰で、夜になる頃には何とか人が住める程度のスペースを確保できるようになって一安心。二日間ほぼ徹夜だった僕は、安心感からかここで一旦倒れこむように寝てしまいました。。

 気がついたら夜8時。夕食は家族3人で近所の菱田屋へ。母親に僕が普段どういうところで食事をしているかというのを一応見せておくために、菱田屋へ行ってきました。しかし菱田屋に「近所の」という修飾語をつけると何となく違和感がありますね。もう本当に近所になってしまったけれども。

 菱田屋ではまぐろとアボガドの刺身定食と共に、引越しがとりあえず一段落ついたということでビールを一杯。今日は久しぶりに暑くなったし、動いたあとなのでビールがうまい!母親もこういう定食屋を気に入ったみたいで一安心です。ラーメンばっかり食べているということを心配していた母なので、こういう定食屋できちんと食事をしているところをアピールしておくことが非常に重要。これで親に心配をかけずにラーメンを食べることが出来て、両者共に幸せになれます。。

 家に帰ってからは荷物整理の続きをやろうと思ったけれど、徹夜とビールの効果で速攻寝てしまいました。。続きは明日。


8月4日(金) 【お引越し3】

 新居で迎える初めての朝。

 今日は荷物整理の続きを少ししたあと、三鷹市と目黒区にそれぞれ転出/転入届けを提出しに行ってきました。目黒区への転入届けは、近くの駒場住区センターでできると思って行ってみたら、転入届けの扱いはしておりませんということだったので、面倒ながらも中目黒の目黒区役所まで行ってきました。せっかく近くで済ませられると思っていたのに、中目黒まで行く羽目になろうとはね。炎天下の中歩いたので暑くてたまりません。

 午後は渋谷へ出て、足りない家具の買出し。東急ハンズで全てを済ませようとして店内をくまなく見て回ったら、結局余計なものまで買ってしまった。うちの父親は地元では「衝動買いのすぱくり父」(「すぱくり父」というところは本名ね)と呼ばれていますが、僕はそのDNAを確実に引き継いでいる模様です。余計なものは何かというと「日本地図ポスター(1000円)」「壁掛け時計(3500円)」「扇子(3000円)」の3点。扇子は最近壊れたお気に入りのものと同じのを買ったけれど、3000円はやっぱり高いよな・・・。まぁ時計と地図は部屋のインテリアにもなるし、いい買い物をしたということにしておきます。。

 渋谷から歩いて15分くらいで帰り着き、夜は満留賀に行って蕎麦。引越し蕎麦を食べて満足満足。


8月5日() 【新生活】

 朝早く、母と妹が帰宅。妹はこれで4年半の東京生活に別れを告げることになります。兄としては地元に帰ってもゲームばっかりせずに頑張っていただきたい。

 母と妹が帰るのと入れ替わるように、一時帰国中のマルコフ教祖が来宅。教祖は荷物をうちにおいて、重要な案件を処理するべく、新宿へと繰り出していきました。教祖の雄姿を見送ったあとは布団を敷いて小休憩。が、少し休むつもりが、久しぶりに布団で寝たもんだから、気がついたら3時でした・・・。いかんよ、こういう生活は。ただ、これで疲れはかなり取れた気がします。

 夜は「スウィングガールズ」なんかを見ながらゆったりと過ごしていると(しかし面白かったけど突っ込みどころが満載の映画だね、あれは)、0時過ぎに教祖が帰宅。一日目は無難に案件をこなせた模様で何よりです。で、酒を買ってきて4時くらいまで飲んで飲まれて飲まれて飲んで。焼酎はさつま白波に限る。

 う〜ん、研究してないな・・・。


8月6日() 【引越しそば】

 10時前に起きて、二日目の戦いに出るマルコフ教祖をお見送り。今日も頑張ってきていただきたい。

 夕方頃、古い友人であるそば君が来宅。有難いことに引越し蕎麦を持ってきてくれたので、夕食は二人で引越し蕎麦。ところが僕の茹で方が悪かったのか、蕎麦のつるつる感が全くなかったのでした。せっかく蕎麦を持ってきてくれたのに、何だか申し訳ない。ただそばが持つ元来の味はおいしかった。

 その後は酒を買い出していろいろと話。パソコンに強いそばくんに、Lunascapeという新しいブラウザを入れてもらいました。これが結構使い勝手がいい。今までIEしか使ってなかったから、それと比べるとこれはいいね。世間にはいっぱいブラウザがあるもんだ。

 そば君が11時前に帰宅し、現在日記を更新しております。まもなく二日目の戦いを終えた教祖が帰宅することです。果たして戦績はどうだったのでしょうか。。

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 明日から帰省(+旅行)します。

 明日の夜行でまず和歌山に旅立ち、それから福岡→宮崎→下関と向かう予定。熊野古道行ってとんこつらーめん食べてチキン南蛮食ってきます。「修論を控えているのに、おめぇ余裕だな」という声が至るところから聞こえてきそうで恐縮ですが、その辺に関しては明日読むべき文献を大量にコピーしてこようと思います。って別にこんなところで言い訳しなくてもいいんだけども。言い訳してしまうということは自己正当化を図っている証拠ですね。

 帰省中はパソコンを持っていかないので、何かある方は携帯のほうにでも連絡ください。帰省中はブログでも作ってそっちに日記でも書くかな。


8月7日(月)〜14日(月) 【南紀・博多・宮崎旅行】

 旅行記のページをどうぞ。(現在作成中)


8月14日(月) 【帰省】

 朝の高速バスで宮崎駅に向かい、そこから特急を乗り継いで下関へ。宮崎駅から5時間もかかりました、えぇえぇ。にしてもあおかつ家には二年連続お世話になりました。旅行記の部分に関しては、帰宅後改めて写真もつけながら書きなおします。

 夕方5時に下関について、そのまま父の車でまずは知り合いの眼鏡屋へ。先日なくした眼鏡を作ってもらうことに。あれやこれやして、フレームは黒になりました。本当は今までのと同じ茶色がよかったけど、あのタイプのは鼻が低いとずるずる落ちるのよね。仕方ないから今度はきちんと鼻にひっかかるやつを。明日には出来上がっているはずです。左目が裸眼でも見えるとは言え、やっぱり眼鏡がないと辛かったのは事実。これでようやくこの苦しみから解放されます。眼鏡は大切に。。

 その後は父方の実家へ。国道191号線から見える、海へ沈む夕日が大変素晴らしかった。

   

 田舎に着いてからは食事をし、聞こえてくる盆踊りの歌を背景に、妹の任天堂DSを借りて例の脳トレをやってみました。脳年齢20歳(←最高値)だって。やっほぅ!


8月15日(火) 【お盆】

 盆の真ん中ということで、父方の実家にも多くの親戚がやってきます。今日は朝からその接待。すぱくり家の跡取りだから、みんなが集まるところにいないとまずいというのもあるみたい。田舎の慣習って恐ろしいです。朝からビール三本も飲まされてしまった。

 午後は親戚一同がみんな帰ったので、母の車に乗って下関まで眼鏡を取りに行ってきました。ついに出来上がった新しい眼鏡。黒い縁がキラリと光ってなかなか粋なやつです。裸眼よりよく見えるし、やっぱり眼鏡はいいねぇ。改めて偉大さを感じました。しかも今回の眼鏡は汗でずれ落ちる可能性が低い。これ重要。よい買い物をしたもんです。

 ところが買い物をしながら待っていた母に眼鏡を見せると、「うーん…何か変」と。後で父にも「黒すぎて重い」と言われるし、極め付けに妹には「秋葉原にいるオタクみたい」と言われてしまいました。僕の相棒の新しい門出なのに…。みんなひどい。

 何となく割り切れない気持ちの中、うどん屋で遅めの昼食。知る人ぞ知る「桃太郎」で、天麩羅うどんとミルクセーキを食べてきました。決してきれいでなく狭い店内で出される、庶民的な安いうどんと、夏にはぴったりのフローズン式ミルクセーキが合うんだ、これが。ビールと枝豆と肩を並べるくらいの最強コンビです。下関にお越しの際はぜひ桃太郎のうどんとミルクセーキを。。

      

 夜は再び田舎に戻って盆踊りと花火大会。大変きれいでございました。海面に映る花火がなんともまた。。

 明日は下関に帰ります。


8月16日(水) 【喘息と鼻炎】

 朝方父の車で下関の家に戻ってきました。

 しかし、今日は体調がことのほか悪い。
 喘息と鼻炎が一緒に襲ってきたような格好です。

 多分原因は田舎のクーラー。古くて温度調節が効かない上に、普段は使ってないもんんだから埃がすごいのなんの。おまけに夜中に消したと思ったら、いつの間にか妹が起きてつけてる始末。完全にやってしまった。。

 そんなわけで、今日は薬を飲んで寝てました。
 こういう日って何かもったいない気がする。


8月17日(木) 【整理整頓】

 今日は部屋の掃除。というのも、妹が実家に送った道具が思いのほか大量で、このままでは生活するスペースがなくなるから、お前の古い荷物を処分しろ!とのお達しが出たのでした。僕の引越しは東京の方で完全に終わったと思っていたのに、こんなところでとばっちりが来るなんて。。

 とりあえずはダンボールに適当に入れてあった品々で、おそらくいらないと思われるものをヒモで括って処分。高校時代のテストとか、浪人時代のテキストとか、数学のスタンダードとかチャート式とか、そのほか諸々。

 整理することで久々に高校時代のテストを見返してみたのですが、見てみるとこれが酷いのなんの。まぁよくも当時はこんな点数をとって平然としていたもんです。こんなんだから浪人するはめになるんだよ、と当時の自分に言ってやりたい。

 高校入学当時、中学のやり方でやっていけると考えていた僕は、みるみるうちに成績が下がっていきました。それをだましだまし、何とかやっていたのが高校2年生。しかしこれではもう無理、真剣にやらないともうだめよ、の状態になった3年生で、初めて危機感を覚え、少しずつ勉強を始めたのです。

 しかし焼け石に水とはまさにこのことで、そう簡単に成績が上がるわけがありません。だいたい基礎がおろそかなところに、無理して応用を積み上げようって言うんだから、真の実力は砂上の楼閣以外の何物でもありませんでした。こうして無事、僕は浪人生になるのです。

 まあこの話は詳しくはいつか本家で語ることとして、今日は当時のいやーな記憶を蘇らせてしまいました。おまけに荷物はこぶから腰痛めるし、蒸し暑くて汗びっしょりになるしさ。あまりに腰が痛いから、隣に住む鍼灸師のおじさんに肩と腰を揉んでもらってしまった(今回は針はなし)。

 どうやら台風が近づいているようなので、東京に戻るのは19日にします。


8月18日(金) 【台風10号】

 台風10号が近づいているので、帰京を一日延ばしたというのに、新幹線は平常通り動いていたみたい。しかもそんなに風も雨も強くないしさぁ。下関では最大瞬間風速23メートルを記録したというけれど、本当かしら?

 だいたい台風のときのテレビって、いつもわざと被害や影響が大きいところから中継しているような気がします。「今回の台風ってこんなに怖いんだぞ!」って恐怖感を煽るだけ煽って、スタジオにいるキャスターが「いやー、怖いですね。皆さん十分気をつけて下さい。」というのは、もはやある意味で台風時の儀式です。儀式だからあまり台風が強くなくても、「今回の台風は・・・」ってやらなきゃいけないのかもしれません。そう考えないと納得がいかん。

 さて、実家最終日の今日は、最後の晩餐ということで、夕食に石鯛・イカ・イクラの海鮮丼を作って食べてみました。
  石鯛は父親が釣ってきたもの。
  イカは田舎で貰ったもの。
  イクラはゴルフコンペの商品で父がもらってきたもの。
 さすがにこれだけのものが揃うとうまかった。東京じゃあまり刺身が食べられないから、ここで食い溜めしておかないとな。

 明日、始発の新幹線で帰京します。朝が早いから、今夜は眠れない。


8月19日() 【冒険王】

 ほぼ徹夜のまま5時過ぎに実家を出て、朝一番の新幹線のぞみで東京に戻ってきました。新幹線の中が思いのほか寒かったから、十分寝られなかったのは誤算だったけれど、まぁ無事に11時半に東京着。台風の影響でどんよりしていた西日本と違って、東京は気持ちいいほどの青空。

 さて今日は、そのまま家に帰るのではなく、東京に戻ってきたその足で 「お台場冒険王」 に行ってきました。例のフジテレビがやっている夏の大規模イベントね。詳細は東京見聞録のほうに書いたので、そちらをご覧ください。

 冒険王とお台場を満喫した後は、新居のお披露目も兼ねて皆で駒場の我が家へ。バレーボールの日本対韓国を見て「いやー、今のプレイは美しい」を連発する太郎君を横目に、枝豆や塩辛をつまみにしてビールを飲んでました。

 二人は10時過ぎに帰宅。思えば新居で一人で夜を越すのは今日が始めて。本格的な一人暮らしの開始の合図として、明日から2週間ほどほったらかしにしていた修論に取り組んでいこうかと思います。


8月20日() 【新規開拓】

 新居に住み始めて17日(実際には旅行とか帰省とかしてたからまだ6日程度)。そろそろ周辺地域の開拓でもしてみようかと思い立ちました。開拓しようと思った一番の理由は、早くスーパーを見つけたかったから。早く近所にスーパーを見つけないことには、快適な買い物ができません。多くの方はご存知のように、近くにある駒下商店街というところは、コンビニや個人商店、定食屋はあっても、肝心のスーパーがない。というか学生街のはずなのに結構寂れていて(失礼)、どうも覇気がない。

 そういうわけで、スーパーを探しに、田園都市線で渋谷から一駅の池尻大橋辺りへ行ってきました。新居は駒場と池尻大橋の中間くらいにあるので、当然徒歩です。さすがに国道246号線が通っているだけあって、駒場と比べると規模が違います。この辺りは3年位前に一度だけ歩いたことがあったので、かすかな記憶を頼りにスーパーを探すと、うちから徒歩10分くらいのところであっけなく見つかりました。よかったよかった。

 スーパーを見つけてほっとしたので、買い物する前に昼食を。歩いていて、そういえばこの近くに和歌山ラーメンの「まっち棒」があったような気がしたので、かすかな記憶を頼りに三軒茶屋方面に向かってみました。そしたらあった。よかったよかった。昔のおぼろげな記憶というものも結構役に立つものです。

 早速中華そば(650円)とネギ豚飯(350円)を注文。この店はその名の通りマッチ棒で店内がコーディネートされています。テーブルの中にもまっち棒がずらりと並べられているのですが、3年前は真っ赤だったマッチの芯が、3年後の今日は幾分色褪せていました。時の流れの切なさを感じさせます。。

 で、ラーメン。醤油豚骨の和歌山ラーメンは好きだけど、何かスナック麺ぽかった気が。でもって3年前はもっと味が濃くてコクもあったような気が。陳列されているマッチ棒と同様、味も色褪せてしまったのでしょうか。残念です。ネギ豚飯の方はネギとネギ油の味がきつくて、胃がもたれそうになりました。こう書くと何か全くいいところないみたいですが、今日はあまり調子もよくなかったことだし、また機会があったら行こうかと思います。

 その後スーパーで買い物して帰宅。出かけるとき10回に突入した甲子園の決勝が、帰ってもまだ15回をやっていてびっくり。相当な死闘を繰り広げていたのでしょう。暑い中お疲れ様です。

 夜はスーパーで買った食材を元に、自炊しました。といってもたいしたもんじゃないけど。一応書いておくと、「肉野菜のコチュジャン炒めエリンギとオクラ入り」を作りました。手軽で簡単。ただ、味もたいしたもんじゃなかったけど。

 精進します。


8月21日(月) 【夏バテ】

 多分夏バテだとは思うんだけど・・・。

 帰省した辺りから鼻と気管の調子がおかしなことになっていて、薬で何とか対処していたのですが、東京へ戻る辺りから腹の調子が悪くてどうにもこうにもいかなくなりました。最初はいつもの腹痛だろうと思って放っておいたけど、何日なっても治まらない。んで、今日はすこぶる調子が悪かった。あまりに腹が痛いので、家から出られませんでしたよ。トイレ行き過ぎて脱水症状になるかと思ったわ。

 多分実家でクーラーに当たりすぎた影響で夏バテになってしまったのでは?と思うので、しばらくは薬を飲まずに様子を見てみることにします。週末の北京行きまでにはなんとか治したいところです。

 正露丸とビオフェルミン以外で、何かいい薬あったら教えてください。


8月22日(火) 【神泉を歩く】

 まだ腹痛い。薬飲むか病院行ったほうがいいんかな??

 今日の昼は、神泉まで歩いてきました。駒場東大前から一駅の神泉駅周辺ね。この前池尻大橋方面に行ったから、今回は神泉方面を開拓してみようかと思いまして。新居は駒場と池尻大橋の中間くらいにあると一昨日書きましたが、同時に駒場と神泉の中間くらいでもあります。この二つをあわせて考えると、つまり新居は駒場・神泉・池尻大橋を頂点とする三角形の中点あたりにあることになります。神泉まではうちから歩いて8分くらい。

 予想通り、神泉駅周辺には大規模商店はなく、小ぢんまりした居酒屋や商店がぽつぽつとある程度です。さらに少し足を延ばすと、そこは欲望の蠢く街、円山町。怪しげなホテルがたくさん鎮座しております。日も高いというのに、どう見ても親子くらい年齢が離れているとしか思えないカップル(おじさん&若い娘)が腕を組んで歩いてたりして、個人的には異世界を垣間見た気分です。いわゆるエンコーってやつですかね?まあ渋谷から至近な場所なので仕方がないところでしょう。

 しかし健全な居酒屋やレストランはなかなか洒落たところが多いようだったので、なかなか開拓しがいがありそうです。おいしいとネットで話題になっているラーメン屋もあったけど、まだ腹の調子が悪いので今日は残念ながらパス。個人的メモとして一応名前だけ記しておきます。神泉駅から徒歩30秒の『轍(わだち)』。和風つけ麺がおすすめ。

 結局駅の中にあるヴィドフランスでパンを数種類買って帰りました。ヴィドフランス好きだから、これから重宝しそう。

 夜は余った食材で自炊。今日も引き続き肉野菜炒め。ただしコチュジャンとエリンギ、オクラは無し。一昨日のよりもおいしく仕上がりました。やっぱり何でも入れて炒めりゃいいってもんじゃないですね。一つ一つの素材の持ち味を引き出すことが大切である、と。今の自分の学問に対する姿勢にも通じるものがあります。自炊から一つ学んだのでした。


8月23日(水) 【弥孔斗】

 まだまだ腹痛い。仕方がないので救急箱にあったビオフェルミン飲みました。

 今日は日中を家で過ごし、夜になって例の池尻大橋のスーパーに買い物へ。夜だったら涼しいかと思ったけど、人を不快にさせる湿度は未だ健在。

 外出したときは薬のせいかちょっと腹の調子が小康状態だったので、たまにはいいかとラーメンの新規開拓。池尻大橋近くの「弥孔斗」という店に行ってきました。ちなみにこれで「やくと」と読むらしい。246の玉川通りから住宅街に入ったところにあるので、周りはいたって静か。この立地のせいなのかどうか、9時前だったけど客は僕一人。

 つけ麺中盛850円を注文。スープは恐らく豚骨・魚介のダブルスープ。油が多く味も濃い目ですが、魚介系が強いから、意外にあっさりした感覚です。大勝軒のによく似てますが、もしかしたら大勝軒よりも完成度が高いんじゃ?大勝軒のラーメンが進化したらこんな感じになるのかも、と思います。味がしっかり自己主張しながらもあっさりしているのはなかなかレベルが高いラーメンだ。いい店発見です。ご馳走様。

 ラーメン後は買い物して帰宅。帰ったらまた若干腹が痛くなってしまいました。無理しちゃだめですね。反省。


8月24日(木) 【冥王星陥落】

 今日をもって、冥王星が惑星ではなくなってしまいました。

 小さい頃、将来は天文学者になろうと本気で思っていた僕は、子供用の宇宙事典を見ながら、どうして冥王星はほとんど何もわかっていないのに惑星なのだろうか?と思ったものでした。しかしそれと同時に、これから科学の進歩によって、もしかしたらもっと惑星が見つかるかもしれない、と幼い夢を膨らませていました。まだ見ぬ遠い惑星。そこには見たこともない何かがあるのかも、なんて。。後年、惑星の定義が未だに曖昧であること、それゆえに解釈によってはいくらでも新しい惑星を作り出せることを知るのですが、まだ惑星の定義が恣意的になされていることを知らなかった少年すぱくりは、夜空を見上げて広大な宇宙の浪漫を感じていたのでした。

 今回はそんな惑星の定義に決着をつけ、同時に冥王星を惑星から降格させるという、ある意味では長い間の論争にようやく決着つけた決定でした。冥王星を惑星から降格させる決断がなされたことは、大多数の専門家の見解が、「既に冥王星は惑星ではない」というものだったことを示しています。ではなぜこれほどまでに混乱したのか?そこにはアメリカの影響力があるらしいです。

 冥王星は惑星の中で唯一アメリカ人が発見していて(海王星までの星を発見したのは全てヨーロッパ人)、発見当初からアメリカ人の誇りとされてきたそうです。冥王星が惑星かどうか疑わしいという意見が出てきてからも、今日の「惑星でない」という結論に至るまで時間がかかったのは、アメリカの政治的影響力によるところも大きいのだとか。

 こういうことを聞くと、やっぱり科学も—特に定義付けの分野において—所詮政治的影響力に左右されうるのか、と改めて思います。大多数VS一人駄々をこねるアメリカ。よく見たら地球温暖化対策の政治過程とほぼ同じじゃないか。。アメリカって良くも悪くも(この場合ほとんど「悪くも」だけど)ほんと好き勝手やらかすね。

 冥王星が惑星でなくなったことで今までの常識がガラッと変わりますが、個人的にはこれはよい決断だったと思います。もし「12個を惑星とする」案が通ってたら、これから先、科学技術が進歩したら絶対惑星のインフレが起こるもの。そういう意味でこれでは解決先延ばし案としか思えません。反対に8個案は、惑星を8個に限定したことで、この8個をより特別なものとして扱うことになるわけで、神格化(?)されていいのではないかと。惑星であることに箔もつくし。そういうわけで、12個案と8個案について個人的にまとめてみました。

 12個案は、最初は価値があるが、どんどん受賞者が増えて価値が減退してしまうという意味で国民栄誉賞的。8個案は国会議事堂玄関ホールの台座的。というのは、国会玄関ホールの4つの台座のうち、3つの台座は伊藤博文・板垣退助・大隈重信の胸像で埋まっていて、残る一つが空の台座となっているが、そこが埋められる可能性は極めて低い。つまり新たな惑星の発見のわずかな可能性を残しつつも、それまでの惑星の価値は目減りすることはない、と。うまいまとめかどうかは別として、とりあえず個人的なまとめ。

 そういうわけで、宇宙に憧れていた小さな頃のように、久しぶりに宇宙について考えさせられたニュースでした。そして何だか星空が見たくなったので、水を買いに行くついでに空を見上げてみました。そしたら曇ってて何も見えなかった。残念です。

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 家賃を振り込みに大学のATMまで行ったときのこと。ちょうどATMは点検中か何かで、すぐ終わるだろうと待っていると、点検しているALS○Kの人から「すみません、もう少しで終わりますんで」と一言。特に急ぐ用もなかったのでいいですよと返事をし、引き続き待っていました。ところが15分くらいたったところで先ほどのお兄さんが、「申し訳ありません、順調にいっても点検終了まであと1時間くらいかかりそうです・・・」てなことを言い出しました。「そしたら早く言ってよ!」何てことは当然言えず、ああそうですかとでも言いたげな様子でそそくさと退散。。

 急ぐ用はなかったけど、おれの15分を返せ!

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 明日から少しばかり北京に行ってきます。修論関係のことがしつこい油汚れのように頭にこびりついていて、正直テンションを上げるのが難しいのですが、行くからには吹っ切れて楽しんできます。故宮に万里の長城に北京ダック。そして初の時差。もしかしたら向こうからブログは更新できるかもしれません。

 では、また、しばしさらば。


8月25日(金)〜30日(水) 【北京旅行】

 詳しくは 旅行記のページ をどうぞ


8月30日(水) 【帰国】

 無事、北京から帰ってきました。

 マルコフ教祖のパソコンを使って、最初のうちはブログやミクシイを更新してましたが、何と三日目にパソコンが壊れてしまいました。(壊れたのは僕のせいではありません、多分。。)だから三日目から更新ができなかったのよ。決してサボってたわけじゃなくて。

 書きたいことはいろいろありますが、それはいつものように旅行記に譲ります。宿を提供してくれた上に、ずっと付きっ切りでお世話してくれたマルコフ教祖に大感謝。あと、テロの危険性や悪天候に負けずに運んでくれたノースウエスト航空にも少しだけ感謝。

 それにしても、北京から戻ってくると、東京の空気ですら綺麗に思えるから不思議。


8月31日(木) 【ストレスフルなサービス業】

 今日の午前中は旅行で溜まった洗濯物とか家の掃除とか。

 夕方、駒場に用事があったHY君が我が家へやってきました。今日は休みらしい。土日が休みではない仕事って大変だよなぁと思います。そして仕事の話なんかを聞きながら、まだ院生の僕は、働くということがどれほどストレスのたまることかを思い知らされた次第です。院生でも研究が進まないとか論文が書けないとかストレスはあるけど、それは全て自分が何とかできる範囲のこと。対して社会人は、特にサービス業だったりすると、訳のわからんお客様(クレーマー)と対峙しないといけないわけで、それは本当にストレス感じるだろうなぁ。理不尽なことに頭を下げることが、どれほどストレスの溜まることか・・・。社会人の宿命なのでしょうが。

 HY君、変な客に負けずに頑張って。


モドル

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