2011年 夏の韓国調査 4
2011年8月11日(木)  <長水(農村の取り組み視察)、光州(光州事件墓地、国立博物館)>


<長水郡の取り組みを見学する>

 固いオンドルの床に直に寝たにしては思ったよりもぐっすりと寝られて6時過ぎに起床。さあ朝だ、と思って窓を開けると畜舎の臭いが存分に入ってきて、起きぬけからやられてしまいました。ここは田舎の中にぽつんと立っているモーテルだということを忘れていた。支度をして8時にロビーに集合。昨日は暗くて良く分からなかった景色も、朝になると良く分かります。本当に山と緑に囲まれている集落の中にぽつんと立ってるモーテル。外装も少しはげてます。どういう人が泊まるのだろうか。


<モーテルスンマ概観>

<モーテルの前の通り>

 モーテルなので朝食は付いてなく、全員揃ったところで朝食を取りに街中の食堂へ移動。長水の街の中心部は比較的栄えていて、これだったら街中にも泊まる場所はあったのではないかと思ってしまいます。朝食はポゴチリ(フグ鍋)でした。朝からフグ鍋とは贅沢です。そんなに高級なフグではないと思いますが、フグの出汁が出たスープは朝食にはぴったり。唐辛子が入っているのでほんのり辛く、発汗作用があるのも良いです。ただ、ついてきた山葵の人工的な色はちょっとなあ。以前フグ鍋を食べたときもこういう色の山葵が出てきたので、もしかしたら韓国のフグ鍋にはつきものの山葵なのかもしれませんが、でもなあ・・・。


<ポゴチリ(フグ鍋)の有名な?店>

<朝からポゴチリ定食>

<ポゴチリ(フグ鍋)>

<山葵の色が人工的>

 食後、今日の行程スタート。まずは長水郡の郡庁へ行き、郡守さん表敬訪問。韓国の郡は日本でいうところの町に相当する基礎自治体で、郡守は町長のようなものです。長水郡は農業に関して先進的な改革を行っているということで、まずは郡守さんを表敬訪問するとのこと。しかしさすがに基礎自治体の首長だけあって忙しいらしく、「会談時間は20分」と指定されたため、結構慌ただしい面会になりました。


<長水郡庁舎>

<郡守さんを表敬訪問>

 表敬訪問後はバスに乗って農業に関する長水郡の取り組みを視察。GDPに占める貿易依存度が極端に高い韓国はいろいろな国とFTAを結び、その結果として国内農業は影響を受けるので、それへの対処として国が補助金なり何なりの政策をいろいろと打ち出しています。長水郡はその国の政策を利用して農業改革を行っていると、簡単に言えばそういう話です。

 まずはリンゴやパプリカ、トマトなどを農家から買い取って集約し出荷しているというSAPCへ。担当者から話を聞いた後、実際に選別の様子を見学させてもらいました。この建物も国からの補助金で作ったらしい。


<リンゴやパプリカを集約して選別するSAPC>

<リンゴが選別されている>

 二か所目はTMR工場。TMRとはトータルミックスドレーション、つまり混合資料の略で、簡単に言えばいろいろなものを混ぜて牛の飼育にあった餌を作るということころでしょうか。ここはコンピュータによる自動管理でTMRが作られているそうです。TMRと言えば去年鹿児島の畜産業者を訪問した時にも同じようなことをやってそれを思い出しました。実際に工場自体は鹿児島の畜産業者さんがやっているのとよく似ています。工場内には何とも言えない甘酸っぱい匂いが漂っていました。


<TMR工場>

<できた飼料が並ぶ>

<こういったものをバランスよく配合する>

<飼料の中身>

<飼料を作る>

<全てはこのコンピュータで制御>

 三か所目は山の中腹にある巨大なパプリカ農場。麓から見上げると、山の中腹に白いビニールハウスが連なっているのが見えます。道が狭くバスでは行けそうもないということで、郡の方の車に分乗して行くことになりましたが、若手に相当する僕たちはそんなものに乗れるわけがなくてくてくと歩きです。太陽も出てきたので汗をかいてしまった。でものどかな田舎の風景を堪能できたのでよかったとも思います。


<中腹にあるパプリカ工場>

<田んぼが広がる>

<リンゴかな?>

<のどかな風景>

 で、てくてくと歩いて(最後ちょっとだけ車が迎えに来てくれて)皆さんより遅れてパプリカ農場に到着。麓から見ても巨大だったけど、実際に入ってみるとかなり巨大です。ここでパプリカだけを作っているなんて。働いている人も東南アジア系の人達が多く、さながらプランテーションといったおもむきがあります。経営は民間だけど国からの補助金が入っているそうですが、にしてもすごいなあ。ここで作られたパプリカは日本にも入ってきているそうで、国産のものの半額から3分の1以下の値段で売られていうそうです。

 足元はコンクリートで、ECOと書かれた栽培パックでパプリカが作られています。同行しているT講師によると、もし日本でこういうことをすると農地法で農地と認められないらしく(つまり足元が土ではないから)、かなりの額の固定資産税が取られてしまうそうです。だから日本ではこういった形の費用を抑えた農法を用いることができないと。国家間で競争する場合、その辺りの法的・制度的な違いも多分に効いてくるのだと思います。個人的にはこういったパプリカには味気なさを感じてしまいます。大地から育ってないような気がして、根底にある自然との関わりとかが見えてこないことへの違和感というか。産業としての農業と、生業としての農業の違いでしょうか。まあ、試食したパプリカはおいしかったんだけど。


<巨大なパプリカ工場>

<ECOパックでパプリカを育てる>

<採れたパプリカ>

<パプリカを試食する>

 以上で長水郡の取り組みの見学は終了。産業として農業を成り立たせることの難しさの一端が良く分かりました。

<光州事件の足跡をたどる>

 元々の計画では午後は長水郡の農協などを訪問する予定になっていましたが、先方の都合がつかずに取りやめになったということで、午後はフリーに。明日は帰るだけなので、実質調査部分はこれで終了です。今回は日程がみっちりと詰まっていて大変だった。ただここからフリーと言っても、今晩の宿泊地である光州(クァンジュ)まで行かなければならないので、団体行動は団体行動のまま。まずは昼食ということで、長水の市街地にあるレストランへ。店の名前は良く分かりませんが、英語で「Happy Farmar」と書いてあります。入り口に「韓牛」の文字が見えたので、これは期待せざるを得ない。

 でも昼間から焼肉は重いということだったのか、既にテーブルに並べられていたのはユッケビビンバ。ビビンバの具は葉物野菜が中心で割とあっさりしています。そこにご飯を入れてぐちゃぐちゃとかき混ぜて、好みでコチュジャンを入れると。コチュジャンを入れないで食べるとかなりあっさりしてヘルシーに感じましたが、コチュジャンを入れると一気に韓国っぽくなって俄然おいしくなりました。ここのコチュジャンはそんなに辛くないので、たくさん入れても大丈夫。そもそも今の日本では生肉が食べられない状況なので、ユッケが食べられるだけありがたい。もちろん品質はどうか分かりませんが。これで一人当たり約800円。韓国の田舎にしてはちょっと高いかもしれないけれど、ちょうどよい分量でおいしかった。


<昼食のレストラン>

<本日の昼食が並ぶ>

<ユッケビビンバ>

<ご飯を入れてひたすら混ぜる>

 長水の街の中心部は思ったよりも都会で、日本で言うところの一般的な田舎町の国道沿い中心部、といった感じです。一歩裏通りに入ると、昔ながらの家が立ち並び、今回泊まったモーテルの辺りのように農村地帯になります。街中がこれだけ栄えているなら、今回の宿泊場所もラブホテル一直線みたいなモーテルじゃなくて、街中にいくつかなかったのだろうか。


<長水の街並み>

<漢牛の肉が売られている>

<街中を流れる川>

<こういった古い家屋も>

 長水の最後は論介祠堂(ノンケサダン)という場所へ。秀吉の朝鮮出兵の際の義士、朱論介(シュノンケ)を祀った堂です。1593年の朝鮮出兵の際に釜山の西にある晋州城が陥落し、陥落を祝い日本軍の祝宴が開催されました。そこに接待係として集められた朱論介。彼女は夫を今回の戦いで亡くしており、復讐する機会をうかがっていました。彼女は毛谷村六助に酒を飲ませ泥酔させ、海岸沿いの岩まで誘い出し、六助を抱きかかえたまま海に飛び込んだ、という話。暴れる六助が離れないようにするため、彼女は10本全ての指に指輪をはめ、しっかりと手を組んでいたそうです。このとき彼女は若干19歳。

 晋州にはそのときの会場や飛び込んだところにあった岩があるそうですが、長水は朱論介の生誕地ということで、生誕地跡がこのような祠堂になっているということです。ほとんどの日本人はこの話を知らないと思いますが、韓国人だったら誰でも知っている話らしく、義士としては安重根と並ぶ程の人気を誇るそうです。韓国はそういう話が好きだからなあ。

 祠堂は一部工事中でしたが、敷地は結構広く、高台には朱論介を祀る堂があります。そこには朱論介の肖像画が祭られていて、良く見ると確かに全ての指に指輪をしているのが分かります。


<朱論介を祀る義巌祠(論介祠堂)>

<一部工事中だった>

<朱論介を祀る祠堂>

<祠堂からは長水の街並みが一望できる>

 論介祠堂を見学しているときにもぽつぽつと雨が降り出していましたが、バスに戻ると一気に土砂降りになりました。タイミングがよかった。今回の韓国はずっとこんな感じの天気なので、さっきまで晴れていたとしても油断ができません。

 ここからはバスに乗って一路最終目的地の光州へ。長水から南に約2時間で、思ったよりも距離があります。光州は全羅南道(韓国の左下)に位置する人口140万人の広域市。韓国ではソウル、釜山、仁川、大邱に次ぐ5番目の大都市です。今回特に光州では用事はありませんが、最終日の宿泊地は光州になっていました。光州に泊まって明日の朝ソウルにとんぼ返り。長水から見るとV字ターンになって意味がなく、今日中にソウルに戻った方が、自由時間が多く取れるんじゃないかしらと思っていました。しかしこれには理由があり、あの「光州事件」の現場である光州は一度訪れておかなければならないだろうという卍先生のご判断によるものだということで、そうだったのなら光州には是非行かなければなりません。この場合、先生が雲は赤いと言えば赤になります。。

 長水から約2時間程で、光州郊外の5.18墓地に到着。光州事件の犠牲者を埋葬している場所です。まずはここの資料館で、35分程度の日本語による光州事件解説ビデオを視聴しました。


<民主墓地と書いてある>

<墓地>

<竹島のことを何か言っている>

<敷地には資料館も>

 光州事件についてはウィキペディアの解説でも見てもらった方が早いですが、簡単に言うと1980年5月に起こった民主化運動で、民主化を求める大学生をはじめとする光州市民と韓国軍が衝突し、多数の死者が出た事件です。1980年5月は、ちょうど僕が生まれた頃の話。光州事件という単語はぼんやりと知っていましたが、恥ずかしながらどんな事件かということはほとんど知らなかったので、解説ビデオは勉強になります。光州事件は直接の結果として韓国の民主化をもたらしませんでしたが、当時軍政から抹殺されそうになった金泳三、金大中が後に大統領になったことを考えると、光州事件も決死で無駄ではなかったのだろうと思います

 解説ビデオを見た後は資料館を見学。韓国語での解説しかなかったので詳しい内容は良く分かりませんが、展示品から雰囲気は良く伝わってきます。


<資料館>

<殺害されたときに止まった時計>

<使用された弾>

<実際の様子を再現>

 最後はモニュメントとその後ろにある墓地を見学。


<決起する当時の民衆の様子>

<当時の様子を表すレリーフ>

<後ろは光州事件で亡くなった人達の墓地>

<モニュメントと墓地全景>

 本当はもっとじっくりと墓地やその周辺にあるモニュメントなどを見学したかったところですが、次に行く予定の国立光州博物館の入場時間に間に合わないということで、かなり急ぐはめになりました。調査自体は終わっているのにこのタイトなスケジュールとは。。ということで、急いでバスに乗って光州の街中へ。

 5.18墓地は光州郊外に位置していて、そこからバスで15分くらい行くと国立光州博物館。韓国湖南地方の歴史と文化に関する展示が充実しているとのことです。夏の期間の入場は5時まで(見学自体は6時まで)で、到着したのが4時55分。本当にぎりぎりだった。入場料は一人400ウォンということで、全体をまとめて払おうとすると、コーディネーターの会長が何やら係の人と話して交渉しています。そしてその結果、入場料は全員無料に。博物館に入っても支配人のような人が出迎えてくれるし、この会長は一体何者・・・?実は韓国を裏で牛耳るくらいの偉い人だったりして。


<国立光州博物館>

<展示品が並ぶ>

 博物館自体は最近改装されたようで、内部はかなり綺麗です。ただ、展示物は古代から中世の芸術品が主で、歴史系博物館を期待していた僕には若干の期待外れでした。僕は歴史好きですが、その中でも古代とか美術品とか文化関連にはいまいち興味が湧きません。結局興味があるのは、誰がいつ王朝をたてて、誰が反乱をおこして、誰がどのような政策を作ったかといった、いわゆる政(まつりごと)系統。しかも石器時代の文化は日本と本当に良く似ているので、出土品を見ても日本のものとどこがどう違うかが全然分からず。自分の不勉強を恥じるばかりです。あと館内がかなり蒸し暑かった。ということで、最初のほうはササッと見物するだけになってしまいました。


<採集時代の様子>

<アイヌに似ていなくもない>

 美術品もやはり日本のものとよく似ています。まあ中国文化圏の上に、湖南地方は日本とも結びつきが強かった百済王朝が合った場所なので、当たり前と言えば当たり前です。残念なのは最初は英語解説があったのに、途中から飽きてしまったのか韓国語解説のみしかなくなってしまったことでした。もしあれば日本語解説機でも借りたかったけどなあ。良く分からないながらも写真撮影はOKだったので、何枚か撮った美術品の写真をどうぞ。こういうのを見て、ふむふむと感じられる大人になりたいけれど、まだ無理そうだなあ。

 少し早目に見終わったので、自動販売機でジュースを買いつつまだ見ている方々を待っていました。韓国ではミニッツメイドが600ウォン(45円)。日本のものと比べると缶自体が一回り小さいですが、それでもお得です。この他にもファンタやクーも一回り小さいサイズで売られています。

 僕がミニッツメイドのグレープ味を飲んでいると、ミニッツメイドの「Minute Maid」という表記を見たD2Y君が「これはマイニュートと書いてあるから韓国の偽物ですよ!」と言い出しました。それを聞いて、僕もその場ではああ確かに偽物かも、と思ったのは事実です。韓国は偽物が多いので、そういう先入観もあったかもしれません。ただ冷静になってよく考えると、当たり前だけど「Minute」は英語で「分」、読みはミニッツ。こんなの中学1年生で習う単語じゃないか・・・。そんな一番基本の英語を忘れてしまうとは我ながら情けない。先入観はいけませんね。

 閉館時間の6時に博物館を後にして、今夜の宿泊場所である光州プラドホテルへ。チェックイン後、ここで今回の借り上げバス運転手への支払いなどを済まし、一旦部屋で休憩。地方都市にしてはまあまあの部屋です。ただ、窓の下には隣のモーテルが見えます。韓国ではモーテルがラブホテルとシティホテルの役割を兼ね備えているとはいえ、眼下に見えるのはちょっとなあ・・・。屋上に洗濯物も干してあるし。


<光州プラドホテル>

<質素なツイン部屋>

<窓からはとなるのラブホテル(モーテル)が見える>

<別の窓からの眺め>

 10分だけ休憩してそれからすぐに皆で食事に出かけることに。ホテルは光州中心地から少し離れたところにあったので、再びバスに乗り20分くらいかけて市街地へと向かいました。中心地に近付くと、光州が都会であることが分かる商店街が多くなってきます。


<光州川>

<光州の繁華街を通過>

 韓国最後の夕食は、主に若者のリクエストによってがっつり焼肉ということに。光州事件の主舞台であった旧全羅南道庁の側にある、「民俗村」という店です。チェーン店のようですが、中に入るとかなり広い店なのにもかかわらず既に客で一杯。これはかなり期待が持てます。メニューも肉類はテジカルビ(味付き豚カルビ)・センテジカルビ(味が付いていない豚カルビ)・ヤンニョンカルビ(味付き牛カルビ)の3種類という潔さ。値段もテジカルビが9500ウォン、牛カルビが17000ウォンで、日本円にするとそれぞれ約700円、1270円と、かなりお得です。

 ということで最後の夜は焼肉大会。全て骨付きで出てきて、良く焼けた頃に店の人が細かく切り刻んでくれます。テジカルビ、牛カルビともに柔らかいのに味が濃厚でいくらでも食べられそうな雰囲気でした。慣れてくると日本のカルビよりもおいしいかも。細かく切り刻んでくれるのもありがたいですが、一度大きな肉をそのまま食べてみたいという欲望があったので、従業員に内緒で大きめに切って食べました。大きめだと歯ごたえが出てきてよりおいしい。これだけでまた韓国に行きたくなってしまいます。


<今日の夕食は民俗村で>

<味付けテジカルビ>

<大ぶりのテジカルビを焼く>

<テジカルビが良い色に焼けてきた>

<特大の味付け牛カルビ>

<最後は石焼ビビンバ>

 今回の食事が最後の夜ということで、今日は先生方を含めて焼酎を飲むことになり、このお陰で僕は途中から記憶が断片的にしかありません。何せ「乾杯は杯を乾かす」とか言う人もいたので。。手元に領収証があるので、きちんと店のお会計をしてタクシーに乗ったみたいですが、この辺り何が何だか。今回は大丈夫だったものの、お金を預かるものとしては本当に気を付けないといけません。今回は次の日に周りの人に聞いても粗相はしてなかったようだし、そもそも眠そうには見えたけどそんなに酔っぱらっているようには見えなかったということなのでよかったか。まあ焼酎(チャミスル)を16人で16本も空ければそうなるか・・・。

 ホテルに到着後、最後の夜なので最年少部屋に集まって二次会ということで最初は僕も参加していましたが、途中あまりにも眠くなってどうしようもならなくなったので、部屋に帰って寝させてもらいました。この辺りの記憶も既に結構曖昧で、この時深夜12時半。2時過ぎに何か部屋がうるさいなあと思って目が醒めると、二次会が終わっても飲み足りない数名が僕の部屋になだれ込んで来て少し飲んでいる・・・。このときには酔いも大分醒めて正気に戻っていましたが、酒の飲み過ぎで頭が痛くてどうしようもなりませんでした。それでも楽しい(?)最後の夜は更けて行き、深夜3時過ぎに再び就寝。


←三日目へ  五日目へ→

旅行記トップにモドル