ドイツ調査 7
2012年11月1日() 7日目 <ベルリン(調査、ベルリンの壁、ブランデンブルク門)>


<終日ベルリンをうろうろ>

 6時半起床。昨日は長時間の移動の上に寝たのが深夜3時半だったので、眠くてしょうがない。昨日は深夜にチェックインしたので外の様子が良く分かりませんでしたが、夜が明けたことで外の様子が良く分かります。


<ホテルの部屋からの眺め>

<ベルリン市街の南西に位置している>

 さて、胃もたれの方は日本から持ってきた胃薬を飲んで何とかしのいでいましたが、ベルリンに来てついに限界を迎えたようで、朝食を受け付ける状況ではなくなりました。一応朝食会場に行ったけれど、並んでいる料理を見ただけで胸やけがするので、ひたすらお茶を飲んでいました。多分、この日が一番苦しかった。


<通りを見ながら朝食>

<ついにお茶しか飲めなくなった>

 朝食(というかお茶を飲んだ)後、出発まで少しだけ時間があったので、ホテルの周りを散策しました。ホテルはベルリン市街の南西に位置しており、地下鉄のベルリナーシュトラーセ駅が最寄りです。中心部に行くにはは最低でも1回は乗り換えないといけないため、観光客には少し不便な場所です。

 今日はベルリンの中心地であるウンター・デン・リンデン付近で午前・午後1か所ずつの調査だったので、タクシーに乗ってベルリン中心地へ。タクシーはベルリンの観光名所を通る形になり、僕は助手席に乗ったので、上手い具合に写真が撮れました。


<紅葉している通りを走る>

<戦勝記念塔>

<6月17日通りとブランデンブルク門>

<連邦議会議事堂>

 最初の訪問先であるReinhardt通りに到着し、約束の時間まで少しだけ時間があったので、周囲を散歩しました。初日からずっと思っていたことですが、ドイツは落書きが本当に多いです。街中のいたるところに落書きがあります。単なる落書きではなく、少しアートのようなものもあります。ベルリンの壁にもアートのような落書きがあったようなので、そういう文化なのかもしれません。

 そんなこんなで2時間程度で午前中の所用を終えた後、午後の訪問先場所の確認と昼食場所を求め、歩いてウンター・デン・リンデン方面へ。


<Reinhardt通り>

<フリードリヒ通り>

<シュプレー川と遠くに議事堂>

<青い管は下水道管らしい>

 ウンター・デン・リンデンに出た頃になると雨が降り出しました。ウンター・デン・リンデンは日本語で「菩提樹の下」という意味だそうで、通りには菩提樹が植えられています。昼食を求めてずっと歩いて行くと、終点に有名なブランデンブルク門。通りにあるマダムタッソー蝋人形館ドイツ支店(?)には長い行列ができており、これだけ並んでいるのだから何か面白いものでもあるんじゃないかとは思いましたが入っていないので分かりません。どうやらヒトラーの蝋人形もあって物議を醸しているとのこと。


<ウンター・デン・リンデンを歩く>

<ブランデンブルク門の近くまで行く>

 昼食場所を求めてうろうろしたものの、「これは!」という良い店が見つからなかったので、通りにあった「ベルリンレストラン」のような場所で妥協することにして入店。最初は他に客が誰もいなかったので心配になりましたが、徐々に客が入ってきてそこそこ繁盛した状態になったので安心しました。「客が入っている」というのは大きなバロメーターになります。

 昼食は12ユーロのランチセット。パンとスープとメインのリゾットで、疲れた胃にはちょうどよい量でした。これまでのドイツ料理の量に比べると本当に大人し目。スープと茸のリゾットという肉が使われていない料理だったので助かりました。あと、もしかしたらトリュフを食べたの初めてかも。


<「ベルリンレストラン」みたいな店で昼食>

<パン>

<ロシアの有名なスープのような>

<トリュフのリゾット>

 食後、午後の用務先に移動して2時間程度のヒアリングを行った後、地下鉄に乗ってホテルに帰還。フリードリヒシュトラーセからポツダマープラッツ、ヨルクシュトラーセと2回乗り換えてホテルに戻りました。本来なら1回乗り換えの30分程度で戻れることができるところが、いろいろな出来事が重なって1時間以上かかってしまったことを僕は決して忘れません。5時前にはホテルに戻ってゆっくりできるはずだったのになあ・・・。


<フリードリヒシュトラーセ駅>

<車内に自転車を持ち込める>

<ポツダマープラッツ(ポツダム広場)の高層ビル群>

<ポツダマープラッツで乗り換え>

 ホテルについて少し休憩した後、6時半から夕食へ。先生方もドイツ料理にはほとほと疲れてしまい、中心地に出る元気もあまりないということで、ホテルの近くにあった中華料理屋で中華ということに。ドイツで中華というのもかなりおかしいですが、これも経験です。


<夕食はまさかの中華>

<やっぱりアジア系の客が多い>

 中華料理屋でもドイツなので、ビールはドイツの生ビールが置いてあります。ここまで来てチンタオビールを飲むのも何なので、飲み物だけはドイツのビールにしました。今日はケーニッヒピルスナー1Lとケストリッツァー500ml。ビールは本当においしいです。


<ケーニッヒピルスナー>

<ケストリッツァー>

 ビールは本場ドイツのものなのでおいしかったですが、それ以外は本当にびっくりでした。先生方が注文した紹興酒はどういうわけか日本の徳利と御猪口で出てきて、しかもそれが全然おいしくないとか、バイキング形式だった火鍋の具が冷凍庫から出したばかりのカチカチ状態であったり、極めつけには常時無数のショウジョウバエが飛んでいたりと、言葉にできません。味も全体的に微妙だった。中華なのにドイツ風の濃い味付けなので、もう無茶苦茶です。味が駄目なのは百歩譲ってよいとしても、ショウジョウバエだけはいかん。ただ胃の調子が悪かったため、食欲が減退する効果があったのは逆に良かったかもしれません。


<カチカチのまま提供される火鍋の具>

<微妙だった火鍋>

<微妙だった餃子>

<微妙だった炒飯>

 食後、若手でベルリンの壁を見に行くことに。せっかくベルリンに来ているのに、ベルリンの壁を見ないのは悲しい。ということで夜9時半を過ぎてはいましたが出かけました。ガイドブックによるとベルリンの壁が大きく残っているのは市内に3か所で、そのうち夜10時まで博物館が営業しているというチェックポイント・チャーリー周辺を目指しました。ホテル最寄りのベルリナーシュトラーセ駅から地下鉄9号線に乗って終点のラートハウス・シュテーグリッツ駅まで行き、そこでS1号線に乗り換えて夕方に立ちよったポツダマープラッツ駅へ。どうでもいいけど、ベルリンの駅名は長くて覚えてにくいです。


<夜の地下鉄に乗る>

<Rathaus steglitz(ラートハウス・シュテーグリッツ)駅>

<実際に自転車を載せる人もいる>

<ポツダマープラッツに到着>

 ポツダマープラッツ(ポツダム広場)はちょうどベルリンの壁があった場所に当たり、東西分裂当時は開発から取り残されていたエリアだったようです。壁が取り壊された後に再開発されて、ソニーセンターやドイツ鉄道本社などの高層ビル群が立ち並んでいます。


<夜のポツダム広場。左のビルはDB本社>

<赤いパイプのところにベルリンの壁があった>

 ポツダム広場から少し歩くと、当時の監視塔が残っており、その近くのビルにはアートが描かれたベルリンの壁が保存されています。


<監視塔が残っている>

<保存されているベルリンの壁>

 少し歩いて ニーダーキルヒナー通りへ。地図によるとこの通りの上にベルリンの壁があったということなので、何か目印になるものはないかと探して見ると、道路の上に当時壁があった場所を示すレリーフがはめ込まれていました。そのレリーフを辿っていくと、ある地点から先は当時のベルリンの壁がそのまま残されています。ついにベルリンの壁とご対面。


<ニーダーキルヒナー通りと壁の後の直線>

<ベルリン州議会がある>

<壁の跡>

<少し行くと壁が残っている>

 壁崩壊から20年以上経っているので、1960年代に急造された壁はかなりボロボロになっていますが、それでもこういった形でずらっと残されています。


<結構ぼろぼろのベルリンの壁>

<壁が続く>

 最初はベルリンの壁をこの目で見ることができて感動していましたが、歴史的価値はあるとしても所詮はコンクリートでできた壁なので、しばらくすると飽きてしまいます。ベルリンの壁を味わうには、東西分裂していたころのドイツを思い起こす絶大な想像力が必要になりそうです。今回はあまり下調べをしてきた訳ではないので、その点が少し弱くなってしまいました。大体壁を見たからといって、すぐに左折してブランデンブルク門方面へ向かったのも良くなかった。もう少し真っすぐ進むと、有名なチェックポイントチャーリーだったのに、そうだと気が付いたのは翌日改めてガイドブックを見てからでした。やっぱり下調べは重要です。


<ドイツのマスコット?>

<こちらは単なる普通の壁>

 ブランデンブルク門に向かう途中、アジア系の店主がやっている御土産屋があったので入ることに。いろいろなドイツ土産が売られている中でも、特にベルリンの壁のかけらが売られていたのは驚きました。昔売られていたという話を聞いたことはありますが、未だに売られているとは。しかも大きいのだと13ユーロと結構な値段がします。D1I君は3ユーロ程度の小さなものを買っていて、それを見て僕も一瞬欲しくなりました。しかしここで「いかんいかん、騙されるとこだった」と我に返り、水だけ買って我慢。ただの壁をちょっと加工して売るなんて、何て阿漕な商売なんだ。騙されるところだった。ベルリンの壁には大量のアスベストが使用されているということなので要注意です。


<さっきのドイツ熊のいろいろなバージョン>

<まさかのベルリンの壁販売>

 さらに歩いてブランデンブルク門へ。昼間は近くまで寄って見られなかったので、近くによってまじまじと眺めました。東西分断当時はブランデンブルク門の前を壁が通っていて、一般市民は近寄ることもできなかったそうなので、平和な時代になって良かったと思います。


<夜のブランデンブルク門を遠くから>

<少し寄ってブランデンブルク門>

<さらに寄ってブランデンブルク門>

<真下からブランデンブルク門>

 帰りはブランデンブルク門の前のブランデンブルク門駅から近郊電車に乗ってホテルへ。地下鉄の窓はブランデンブルク門がデザインされていて、若干目がちかちかします。この目に優しくないデザインはない方が・・・。


<U9番線終点のラートハウス・シュテーグリッツ駅>

<地下鉄の窓にブランデンブルク門>

 ホテルに戻ったのが12時前。かなり遅くなりはしましたが、やっぱり街は歩くに限ります。ベルリンの壁を見ることができてよかった。


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