ドイツ調査 8
2012年11月2日() 8日目 <ベルリン(テーゲル湖、調査、ベルリンの壁)>


<今日も終日ベルリンをうろうろ>

 明日は帰るだけなので、今日が実質調査最終日。昨日の雨が一転、今日は良く晴れました。胃の調子はまだ全然戻らないので、今日の朝食もクリームオレンジティーを2杯だけ。


<今日はよく晴れた>

<今日も朝食はお茶のみ>

 ベルリンの通訳さんの話だと、午前中の訪問先はホテルから結構離れているということだったで、約束は9時半だったけれど8時過ぎに出発。地下鉄を乗り継いで、9時過ぎに地下鉄6号線の終点であるアルトテーゲル駅に到着しました。アルトテーゲルはベルリンの北に位置し、テーゲル湖に近く、駅からテーゲル湖までは洒落た通りになっています。


<U6号線の終点 アルトテーゲル駅>

<アルトテーゲルの街並み>

<テーゲル湖方面に向かって歩く>

<湖の側にある教会>

 しかしどういうわけか通りに訪問先が見つからず、テーゲル湖まで来てしまいました。そもそもこんな洒落た通りにオフィスとか研究所とかがあるような感じではありません。テーゲル湖は大きくて眺めもよかったですが、んん・・・?


<テーゲル湖>

<鴨が寄ってきた>

 あれ、おかしいなとなったところで、通訳さんが訪問先に電話したところ、通訳さんが住所を間違っていたことが発覚。訪問先は普通にベルリンの街中にあるらしく、来た道を急いで戻ることになりました。何ということでしょう。住所は一度だけでなく、きちんと確認しないといけません。しかも本来の訪問先はホテルから地下鉄1本でかなり近くまで行ける場所だったので、9時過ぎに出れば間に合っていました。朝の貴重な1時間が・・・。多分、プロジェクトの若手がこんなことをしでかしたら首になってしまう。

 もう完全に時間に間に合わないので、謝りの電話を入れてもらってから地下鉄6号線に乗って再び中心部方面へと戻り、途中駅でバスに乗り換えてから訪問先まで。バスは2階建てで、2階の先頭席(俗に言うかぶりつき席)が空いていたので、そこに陣取ってはとバス的なベルリン市内観光を堪能しました。結局訪問先には約束の時間から1時間強ほど遅れて11時前の到着になってしまいましたが、テーゲル湖とベルリンバス観光ができたのでまあいいか。


<2階建てバスに乗り移動>

<2階建てバス先頭からの眺め>

<絶賛工事中のベルリン中央駅付近>

<紅葉の通りを抜ける>

<アルト=モアビット>

<訪問先付近>

 午前中の訪問を1時前に終え、次の訪問先の約束時間まで時間がないということで、昼食はバスまでの時間を利用して訪問先の近くにあったパン屋のパンで適当に済ますことに。僕はシンプルなハムチーズエッグにしました。お値段1.3ユーロ。僕にはこういう安い食事がお似合い。温めてもらったので十分おいしいです。ただ、急いで食べたので弱っている胃にさらなるダメージを与えてしまったのは確かです。


<おいしそうなパンが並ぶ>

<本日の昼食(1.3ユーロ)

 午後はベルリン中央駅の近くにあるフンボルト大学ベルリン(ベルリン大学)での研究交流。


<フンボルト大学ベルリン>

<フンボルト大学ベルリンその2>

<フンボルト大学ベルリンその3>

<なかなか味のある研究棟の建物>

 研究棟の外見はなかなか味のある雰囲気でしたが、中は日本の大学にあるような古い講堂の造りとよく似ていて、日本の大学が西欧諸国から学んで講堂を建てたということが良く分かります。階段の作りとか、本郷にある古い研究棟とそっくり。


<研究棟内部>

<日本の大学の古い研究棟もよく似ている>

 フンボルト大学ベルリンでの研究交流を終え、これでドイツにおける調査は全て終了。あとは明日帰国するだけです。夜は「最後の晩餐」ということで旅行社が事前に手配していたレストランでの食事になっていました。一旦ホテルに戻る時間もないということで、予約の時間までは全員でベルリンの壁に関する資料館に行くことに。「また壁?」と思いましたが、昨日の夜訪れたニーダーキルヒナー通りではなく、別の場所の方が近いらしい。ということでフンボルト大学から歩いて、壁の一部が残されて当時の緩衝地帯が広場のようになっているベルナウアー通りにやってきました。昨日のニーダーキルヒナー通りの壁はフェンスで囲まれて触れることができまかったけれど、ここの壁は自由に触ることができます。


<ベルナウアー通りの壁跡地>>

<壁の一部が残されている>

 通りを挟んで「ベルリンの壁記録センター」があります。入館無料で、いろいろな資料があるけれど、全部ドイツ語で理解できないので残念です。放送されていたフィルム映像を見ると、壁建設当時や崩壊当時どんな様子だったがある程度分かります。

 記念館の屋上は展望台になっていて、そこから残されている壁と緩衝地帯、遠くにテレビ塔が見えます。周囲に高い建物がないので、遠くまで見渡せます。ベルリンはドイツの首都と言っても、人口は350万人程度。人口密度も1平方km当たり3900人と、東京23区の4分の1程度です。東京のようにいろいろなものが密集している訳ではないので、街を歩いていても人の多さでストレスを感じることがありません。


<ベルリンの壁記録センター>

<いろいろと残されている>

<壁があった場所。上の凹んだ場所が現在地>

<屋上からベルリンの壁と緩衝地帯を眺める>

 時間になったので地下鉄と近郊電車を乗り継いでレストランに移動。日本では午後6時半は帰宅時間に相当するので、電車はかなり混んでいるのかと思いましたが、思ったよりも混雑はしていませんでした。昨日、午後5時前に乗った時の方の混雑は半端なかったので、ドイツ人はもしかすると日本よりも早く帰宅するのかと思ってドイツに留学しているWさんに聞いてみると、実際にそうらしい。大学の研究室でも大体5時には切り上げて帰宅するそうで、夜8時まで残っていると心配されるそうです。僕だって8時なんてざらなので、日本人は働き過ぎなのかもしれません。

 あと、今回はスーツとはいかないまでも、ネクタイなしのワイシャツにジャケット、その上に黒いコートという出で立ちを基本に行動していましたが、ドイツではそんな恰好をしている人はほとんどいません。普通に企業に勤める人でもあまりそういう格好はせず、仕事のしやすいラフな格好をするらしい。そういう訳で、僕ら日本人集団は電車に乗るとかなり浮いていました。まさに黒一色。あとは安定の眼鏡率。


<Sバーンのフリードリヒシュトラーセ駅>

<アジア何でもありの屋台>

<さむい??>

<「ダイトカイ」は老舗高級日本料理店らしい>

 ツォー駅で降りてへんてこなアジア料理屋台(主に日本料理)を眺めながら、ヨーロッパセンター地下にあるBavariumへ。


<Bavarium>

<最後の晩餐はここで>

 ドイツ最後の夜はビールと白ワインで迷いました。でも迷ったら二つとも頼んでしまえばよい、ということで、まずはヴァイツェンのフランツィスカーナー1Lにし、二杯目は白ワイン。ヴァイツェンを1Lジョッキで飲めるとは。胃の調子が悪くてあまりものが食べられない時でも、「液体のパン」と呼ばれるほど栄養価の高いビールだけは喉を通るので助かります(という言い訳)。


<フランツィスカーナー1L>

<ドイツの白ワイン>

 食事は牛肉ステーキを中心にコースで一通り。ラビオリスープはびっくりするほど塩辛い。でもたっぷりの生野菜と柔らかい牛肉ステーキ(300gくらいあったけど)で元気がでました。


<ラビオリスープ>

<サラダ>

<牛肉ステーキ シュペッツレ添え>

<アップルシュトルーデル>

 ホテルに戻って先生方を別れた後、ドイツ最後の夜なので飲もうかとなり、近くのマーケットのようなところでビールやワインを買って僕らの部屋で飲みました。今回のドイツでは終始白ワインだったなあ。


<ドイツは寿司屋が本当に多い>

<最後の夜は白ワイン>

 明日は帰国するだけですが、朝が結構早いので12時過ぎにお開きにして就寝。


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