このページは、2019年3月に保存されたアーカイブです。最新の内容ではない場合がありますのでご注意ください

東京見聞録  
2006年8月26日() 
 <王府井、天安門広場、胡同を歩く、北京ダックを食べる>


北京の繁華街、王府井>

 9時起床。僕はリビングのソファーで寝たのですが、このソファーが寝心地抜群でした。このソファー、備え付けの家具なんだと。他にも備え付け家具がいっぱいあって、羨ましい限りです。

 シャワーを浴びてから外出。いよいよ本格的な北京観光がスタートです。マルコフ教祖の家は快適ですが、家から一歩出るとやはり排気ガスと生ごみの臭いが鼻を突いてきます。昨日は深夜でよくわからなかった街の様子も、手に取るようにわかります。この日は土曜日ということもあってか、人通りが多いし、何より車の運転が荒い。歩行者も自転車も慣れたように車の間をすり抜けていくけど、見ているこっちはぶつかるんじゃないかと思って冷や冷やします。

 さて、まずは昨日できなかった両替をしに近くの銀行(中国工商銀行だったかな?)へ。手持ちの3万円を両替しました。1元=約15円のレートで、手にしたのは約2000元。中国の紙幣は1元・5元・10元・20元・50元・100元の6種類ですが、どの紙幣にも毛沢東の顔が印刷されていて、まるで昔の聖徳太子のようです。ちなみに日本ではほとんど使われていない2000円札ですが、中国では20元札は結構使われているそうです。この2000元を使って、北京を観光します。

 その後近くにある、マルコフが通う大学の側にある大衆中華料理屋で早めの昼食を・・・と思ったら、何と店が潰れていました。マルコフもこれにはびっくり。仕方がないので北京の中心部に出ることにします。

〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜

 マルコフ教祖の家がある「五道口駅」から、地下鉄13号線に乗車。途中で乗り換えるので運賃は5元。13号線は地下鉄と謳っているものの地下を走ることはなく、「看板に偽りあり」です。

 地下鉄13号線の車内もこれまた変な臭いがして唸ってしまったのですが、それよりも車窓の景色がすごかった。至るところが工事中なのです。2008年のオリンピックに向けて、急ピッチで工事が進んでいるとは聞いていたけれど、まさかこれほどまでとは。。しかも工事している側には昔ながらの古い建物も残っていて、当然そういった建物が崩されるのは時間の問題なんですが、何だか切なささえ感じさせる風景です。北京はあまりにも成長を急ぎすぎているのではないでしょうか。

 13号線に揺られること約15分。終点で今度は地下鉄2号線に乗り換えます。ところがこの乗換えが非常に効率が悪い。距離的にも遠いけど、何と言っても人が多すぎるのです。ここはサンダーマウンテンを待っている行列か!と思うくらいに、人々が列をなしています。まさか地下鉄の乗換えで並ぶことになるとは思わなかった。

 行列の末何とか乗り換えて、さらに途中で地下鉄1号線に乗り換えてようやく北京の繁華街、王府井に到着。「北京の銀座」と呼ばれるだけあって、かなりの賑わいを見せています。


<賑わう王府井の繁華街>

<王府井表通り>

<王府井路地裏>

 王府井のメインストリートはビルが立ち並んでいて、百貨店からマクドナルド、ケンタッキーといった外資(?)までが顔をそろえています。しかし一歩路地に入ると昔ながらの屋台風の店があったりして、なかなか面白いところです。昼食を探しに路地に入ってみると、なかなかよさそうな店があったのでそこにピットイン。古井食堂という店。

 とりあえずビール。昼間っからビールなんてなかなか後ろめたさがありますが、北京の人は昼間からよく飲むそうです。中国といえば青島ビールが有名ですが、北京でもっぱら飲まれるのは「燕京ビール」というビール。燕京というのは北京の古い名前で、いわば北京の地ビールみたいなもんです。東京でいうなら「江戸ビール」という感じかな?

 ビールを飲んでいると、ぞくぞくと料理が運ばれてきます。セロリの油炒めに豆腐のゴマ油かけ、肉とピーマンときのこの炒め物。待ちに待った本格中華料理をおかずに、ご飯をばくばくと。本場で食べているということもあるんでしょうが、どれもこれも皆おいしい。油の量がすごいのと塩辛いのが若干気になりましたが、本場の中華というのはこういうものなのでしょう。ビールとご飯が進みました。

 食後はデザートに「亀ゼリー」を注文。漢方でもよく使われる亀の甲羅の粉末入りゼリーですが、見た目はコーヒーゼリーのようでおいしそうです。しかし食べてみると、味があまりしない上に苦い。ハチミツをかけてもらったから少しはよかったものの、ハチミツがなかったら苦さ倍増だったに違いありません。日本だったら「デザートなのに甘くないじゃないか!責任者呼べ!」みたいなことにもなりかねませんが、これも経験経験。体にはよさそうな気がする。


<古井食堂>

<なかなか繁盛している店内>

<北京の地ビール・燕京ビール>

<肉とピーマンときのこの炒め物>

<セロリの油炒め・豆腐の胡麻油がけ>

<謎のおやつ(左)と亀ゼリー(右)>

 ということで、おいしいものをたらふく食べて、最初の大衆中華料理に満足したのでした。ちなみにお値段は一人約30元(450円)。安いよなー。

 食後もしばらく王府井の路地を散策。王府井という地名のいわれになった井戸を見たり、どの店も「トモダチ!トモダチ!」と声をかけてくる露天街を通り抜けたり、TAITOが運営するゲームセンターを見てみたり。

 露天街では「トモダチ!トモダチ!」と声をかけられるならまだしも、強引に腕をつかまれて「ミテ!カッテ!」なんてのもありました。あまりの中華パワーに弱気な日本人の僕は脱帽です。というか何で日本人とわかったのでしょうか?あまりにうるさいから聞こえても聞こえない振りをしていると、今度は「チング!チング!」(韓国語で「トモダチ」の意)と言い出す始末。商魂逞しいよ、ほんと。

 ゲームセンターは日本のタイトーが運営しているようで、中はほとんど日本のそれと変わりません。というかゲームがほとんど日本製で、文字すら日本語のものも多数。「太鼓の達人」も全て日本と同じで、中国人にウケるのかどうか未知数です。外国語でしか表示されないゲームをやってて面白いのかな??おまけにドラゴンボールの亀胴着を着てるやついるし、よくわからん。


<王府井のいわれとなった井戸と裏路地>

<ゲーセンでクリリンを発見!>

<天安門と天安門広場>

 王府井を散策したあとは、歩いて天安門広場へ。中国といえば天安門広場。天安門広場といえば中国。そんな中国の象徴でもある天安門広場にいよいよ足を踏み入れます。

 王府井から歩いて15分で天安門に到着。いよいよ待望の天安門とご対面〜と思ったら、何と天安門は改修中でした。「中華人民共和国万歳、世界人民大団結万歳」という文字がネットで覆われているではないか!何というタイミングで北京に来てしまったのか・・・。


<まさかの改修中・天安門>

 改修中とは残念ですが、せっかくなので天安門に上ってみることにします。荷物を預けて入場料15元を払って門の上へ。門は予想以上に大きく、そこから一望する天安門広場の眺めは格別です。そりゃここに人民を集めて演説を行いたくなる気もするわ。毛沢東の気持ちがちょっとわかったような気分。

 門の中にある部屋では、中国共産党と天安門に関する展示があったのですが、全て中国語の解説だったので何をいっているかさっぱりわかりません。ただ中国共産党が天安門事件を亡き物にしようとしている意思だけは感じられました。「天安門の歴史」でそこだけ全く記述がなかったからねぇ。


<毛沢東の肖像画だけは覆われてない>

<門の上はこんな感じ>

<天安門から天安門広場を眺める>

 天安門を降りて、南に広がる天安門広場へ。天安門は「世界一の広場」を自称するだけあって、さすがに広いです。観光客から物売り、軍人、たこを揚げようとする子供まで、老若男女でごった返しています。天安門広場の周りには国家博物館、人民大会堂(日本の国会に相当)、毛主席紀念堂(毛沢東のホルマリン漬け遺体が安置されている)といった、中国の主要施設がずらり並んでいます。なぜか連凧を揚げようとしている人が多いのが気にかかったけど。


<中国国家博物館>

<警備中の軍人>

<人民英雄記念碑と毛主席紀念堂>

<人民大会堂(日本で言う国会)>

<たこを揚げようとする子供>

<広場の中心から天安門方面>

<毛主席紀念堂>

<正陽門と広場>

 一通り天安門広場の雰囲気を感じ、その後南の端にあたる正陽門・前門などを見て(これまた二つとも改修工事中・・・)、とりあえず天安門広場の散策は終了。やはり国家の威信をかけている広場だけあって、相当に作りこまれています。

<胡同(フートン)を散策する>

 天安門広場の散策後は、広場の近くにある閑散とした携帯電話ショップを見たり、路地裏の店を見たり。携帯電話ショップはビルの3階に集中して近代的な場所ではあったものの、電気がほとんどついてなく、おまけにテナント募集中の区画がほとんどだったりと、本当に寂しいところでした。携帯電話は中国でも広がりつつあるそうですが、その値段は日本と同じかそれよりも高い4万円程度だとか。一般市民の平均月収の3倍もするんだから、ショップが閑散としてしまうのも分かる気がします。

 街歩きでちょっと疲れたので、近くのマクドナルドで休憩。マクドナルドも最近中国に上陸した企業の一つですが、マクドナルドはマクドナルドでした。中国的なメニューを頼もうかと思ったけど、あまり腹も減ってなかったので結局コーラ。値段は日本よりもまぁ安い、という感じ。コーラを飲みながらこれからの作戦会議をしていたのですが、冷房が寒くてたまらなくなりました。冷房がほとんどない中国で急に冷たい風に当たったもんだから、体が拒否反応を示したようです。冷房の当たりすぎはよくないね。

 さて、会議の結果次に行くことになったのは、北京地下城。この北京地下城、「地球の歩き方」を始めとして、日本人が一般的に手にするようなガイドブックには全く載っておりません。ぼくもマルコフから話を聞いて初めてその存在を知りました。北京地下城とは、60年代に毛沢東の指示によって建設された地下防空壕のようなもので、北京市内の地下を通路が網目のように走っているそうです。毛沢東はアメリカやソ連の攻撃を恐れていたんですね。その遺構の一部が最近公開されているというので、行ってみることにしました。

 マルコフのかすかな記憶を頼りに、天安門広場近くの裏道へ。するとそこは胡同(フートン)と呼ばれる北京の古い町並みが残っている路地でした。

 胡同というとガイドブックには「古きよき町並み」というように紹介されて、観光名所になっていたりもしますが、僕が足を踏み入れた胡同は少なくともそういうものではありませんでした。ごみは散乱し、家屋はボロボロ。最初は歩くのをためらってしまったくらいです。こういうのを見ると観光地として持て囃されている胡同は、観光地として綺麗に整備されている一部のものとしか思えなくなります。特に今回歩いた胡同は再開発の真っ最中で、どんどんと建物が取り壊され、残っている家にも人民政府による「早く家を出て他の場所へ引っ越すように」という警告文がでかでかと貼られている状態です。

 最近の急激な再開発によって市内各地の胡同はどんどんと取り壊されており、もしかしたら数年後には胡同がなくなっているかもしれない、と言われています。「古きよき北京の街並みを残そう」と、その動きに反対する人もいます。僕は正直なところ、どちらがいいのかわかりません。急激な開発を進めるのがよくないことくらい分かります。しかし、こういう胡同の存在が中国自身が望んでいる経済成長にとって決してプラスでないこともわかります。さらに環境の観点から言っても胡同は酷いです。ここに住む人の中には、環境云々の前に、まず明日の生活を考えなければいけない人も多くいます。

 今の中国のやり方は、日本が戦後60年かけてやってきたことを、わずか数年で強引にやり遂げようとしているように見えてしまいます。実際この旅行中も、最初見たときには何もない更地だったのに、三日後には道路が既に半分建設されているなんて光景を目の当たりにしました。ただ、それでは絶対にボロがでてしまう。いくら表面を超高層ビルのハリボテで固めても、ごまかしきれないところが絶対に出てきます。マルコフが言っていた「2008年のオリンピックは絶対失敗する」というのも、もしかしたら有り得なくはないかもしれない。

 だからといって胡同をそのままにして残しておけばいいかというと、それもまた違う問題のような気がするのです。何ていうか、自然なスピードでの「変化」(決して「進化」ではなく。)は必要なものだと思うから。その場所で歩みを止めているのは、既に退化しているのと同じことのように思えるのです。たかだか観光で見ただけだから詳しくはわからないけど、何となく胡同には退廃的な雰囲気が漂っていた気がしたので。ただ胡同に住んでいる個人個人をよく見てみると、彼らは街中で見かける人たちよりも生き生きとしているようにも見えます。こういうのを見ると、この胡同も捨てたもんじゃないのかもしれない、と思ったり。

 胡同を歩きながら、とりとめもなくそんなことを考えていました。 


<ごみが散乱する裏路地>

<胡同と呼ばれる街並み>

<街を取り壊して道路を建設中>

<「早く引っ越せ」という意味の政府の貼紙>

 感想が長くなってしまいましたが、再び胡同自体の話に戻ります。胡同には各家にトイレがないので、100メートルごとくらいに設けられた公衆便所で用をたすことになるそうです。実際トイレに入ってみると、何と噂の「ニイハオトイレ」でした。便器の周りに壁のないあれね。さすがにこれじゃあなぁ・・・。恥ずかしいわ。僕がトイレに入ったときも、既に先客のオジサマが大きな方をされていて、思わずびっくり。何か見ちゃいけないものを見てしまった気がしますが、逃げちゃ失礼なので、冷静を装った振りして手だけ洗って出て行きました。

 そんな胡同の中に北京地下城の入り口を発見!都市伝説ではなかったね。しかし開館時間が午後5時までということで、5時を過ぎていたこの日は残念ながらアウト。また後日出直すことにします。待っていろ、北京地下城!

<北京ダックを食べる>

 再び天安門広場周辺へ。しかし中国の中心部からわずかしか離れてないところにさっきのような胡同があるなんて、考えてみると本当に異質です。だからこそ政府はこの胡同を潰そうとしているのだとは思いますが・・・。

 さて、夕食は「北京に来たら北京ダック!」ということで、北京ダックの超有名店、全聚徳へ行ってきました。何店舗か店があるみたいですが、その中で一番天安門広場に近い店へ。迎賓館御用達の燕京ビールを飲み、アヒルのハムを食べながら、北京ダックが登場するのをしばし待ちます。すると、シェフと思われるお兄さんがこんがりと焼けたアヒルと共に登場し、目の前でさばき始めました。

 よく見るとお兄さんは何となくぎこちない手つきです。横にいたお姉さんから、「厚く切り過ぎ!」と怒られていたとか(マルコフ談)。新米さんなのね。頑張ってください。

 そんな新米さんが切り分けてくれたアヒルの皮と肉を、専用の味噌と薬味と共に小麦粉ベースの生地で包んでいただきます。あぁ、うまい。好き嫌いはあるかもしれませんが、個人的には好きな味です。お父さんお母さん、僕は今、北京で北京ダックを食べているよ。どうだい、いいだろう。本場で北京ダックを食べるという夢が叶った瞬間でした。以前横浜の中華街のフードコートで安い北京ダックを一切れだけ食べたことがあったけど、あれとは全然違うなぁ。はぁ幸せ。

 と、最初はかなりの幸福感に包まれていたのですが、段々と腹が膨れてきて苦しくなってきました。というのもアヒルの量が多いのです。これほど大量だとは思わなかった。おまけに余った骨(+わずかな肉)の部分は、醤油味で味付けして改めて出してくれます。まさに、アヒル一匹丸ごと食べつくし。二人ともお腹一杯になってしまったので、残ったお肉はお持ち帰りさせてもらいました。お持ち帰り用に包んでくれるところが有難いところです。ご馳走様。


<全聚徳正陽門支店>

<なかなか高級感のある店内>

<北京ダックをさばくシェフ>

<切り分けられた北京ダック>

<薬味と味噌と共につつんでいただきます>

<残った骨は醤油で味付け>

 北京ダックはアヒル丸ごと一匹で168元なので、日本円にすると約2500円。東京で食べたら一人1万円は下らないところでしょう。なのに北京では高級店でこのお値段。日本人としてみれば破格です。しかし北京の物価で考えてみると、平均月収の5分の1から6分の1という超高級品。日本の感覚で物事を考えてはいけませんね。

<夜の天安門・王府井>

 食後はライトアップされた天安門広場を周辺を散策。昼とはまた違った雰囲気で、なかなかいい感じです。

 続いて歩いて王府井へ。王府井では夜の屋台が名物だということで、それを覗いてみることにしました。王府井自体は夜もにぎやかで、人通りが絶えることがありません。


<北京のホテル第1号、北京飯店>
 
<夜もにぎやかな王府井>

 王府井の北側にある夜の屋台街では、定番の料理類からイナゴ・サソリ・蛇といったゲテモノ類の串焼きまで、様々なものが売られています。さすがにサソリを食べる勇気はなかったので、変わりにちょっと変わったジュースを購入。「泡泡茶」なるもので、右下の写真がそうです。まあこれ、紅茶の中にドライアイスをいれただけの代物なんですが、興味本位で買ってみました。味は至って普通。


<王府井夜市>

<泡泡茶(3元)>

<王府井の屋台街>

<夜も明るい>

 ということで今日はこれにて帰宅。帰りはタクシーでマルコフ宅へ。既に時間は12時近かったのですが、軽く飲んで寝ることにしました。今日一日、いろいろと文化の違いを垣間見たなあ。


←一日目へ   三日目へ→

旅行記トップにモドル

このページは、2019年3月に保存されたアーカイブです。最新の内容ではない場合がありますのでご注意ください