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東京見聞録  
2006年8月27日() 
 <北京郊外(明十三陵、万里の長城)、北朝鮮国営料理店>


<游バスに乗る>

 頑張って5時起床。シャワーを浴びて出かける支度をします。今日は北京バス会社の「北京旅游バス」に乗って、郊外にある二つの世界遺産、「明の十三陵」と「万里の長城」を巡る旅に出かけます。ただしガイドは全て中国語。日本語ガイドのツアーバスもあることにはあるのですが、値段が一日1万円と激高です。対して中国人対象の游バスは一日50元(=750円)。激安です。ならばマルコフが中国語できるんだし、こっちに乗らない手はないじゃないの。

 五道口バスターミナル(のようなところ)から出る游バスは、「6時半〜9時半」という風に、結構曖昧なものでした。これはつまり、人が集まった時点で出発するということに他なりません。今日は日曜日だし人が多いかもしれないと思い、頑張って早起きしたのです。ということで、バス停には7時前に到着。

 バス停の前には既に游バスが停まっていて、何人かの先客もいます。しかししばし待って見たものの、一向に出発する気配がありません。痺れを切らして職員らしき人に聞いて見たところ、「8時半くらいに出発する」とのこと。まだ1時間半もある・・・。

 というわけで、朝食を食べに行きました。近くにあったお粥屋で胃にやさしい朝食を。人気店のようで、朝にも関らず人が結構入っていました。おかゆもおいしかったけど、BGMがカーペンターズの「エブリシャラララ〜」(題名失念)のボーカル付とインストロメンタルのヘビーローテーションだったのはどうかと思う。


<チェーン店のお粥屋>

<野菜粥。ヘルシーでおいしい>

 さて、何だかんだ言って時間を潰して8時半。人もそれなりに集まってきて、バスに乗り込みます。34人乗りの狭く古汚いマイクロバスはちょうど満員になりました。リクライニングはないし窓は汚いしハエは飛んでるしでなかなかなバスではありますが、値段が安いので文句は言いません。僕とマルコフ以外はみんな中国人。日本人2人と中国人32人を乗せて9時前に出発。

 バスの中ではしばし寝ようと思っていたのですが、ここで大きな落とし穴が。ガイドのおじさんが一人でぺらぺらとずっと話続けるのです。日本語だったら聞いたかもしれないけど、残念ながら全て中国語。僕は「ニーハオ・シェイシェイ・イーアーサースーウーロンチャ」の三種類の中国語しかわかりません。だからほんとにおじさんの声は申し訳ないけど耳障りな雑音にしか聞こえず、僕の眠りを妨げてきます。まぁ頑張って寝たけど。。

 結局ガイドさんは最初の目的地に着くまでずっと喋り続けていたようで、ここまでくると「よく喋るなぁ」と変な感心をしてしまいました。

<マネキンの世界>

 最初に訪れたのは「北京明皇宮」。明の十三陵の近くにある資料館で、明の歴史をマネキンを使って解説しています。ここでは職員さんがガイドをしてくれたのだけど、中国語のわからない僕は一人英語の解説を読み、わからないところはマルコフに解説してもらうことにしました。

 マネキンで明の歴史を解説してくれるのですが、見ていると妙にリアルです。ここでは左下の写真は母親が乳を出しているし、ここには載せなかったけど矢が当たって死んでいる兵士がいたり、切られて血まみれになって倒れている兵士がいたかと思えば、男女がベッドに入って××と子供の教育上非常によろしくないマネキンまでありました。まあ見ている分には迫力があって面白いです。中国語か中国の歴史が分かってたらもっと面白かっただろうけど・・・。とりあえず数枚の写真をどうぞ。


<北京明皇宮>

<指示を与える皇帝>

<飢えでにっちもさっちもいかない親子>

<モンゴルからの貢物を献上>

<なぜか遊園地>

 マネキン博物館を見た後は再びバスに乗っていよいよ明の十三陵へ・・・と思ったら、明の十三陵の入り口を過ぎるには過ぎたものの、バスはどこか他のところへ向かっている様子です。何か嫌な予感がするな・・・と思ったら、着いた先は何と遊園地。「北京九龍遊園地」という名前の場所でした。なんで北京まできてこんな遊園地に連れてこられなければならないのか??以前このバスに乗ったことがあるマルコフも、「前はこんなところ来てない」と言うし。しかしガイドさんは、「皆さん北京に観光に来ても、こんなところまでは来ないでしょ?」と、「おれはいい場所を紹介してやったっ!」とでも言いたげな様子です。そんなのはいいから早く万里の長城に連れて行ってよ!

 ・・・との願いも虚しく。この遊園地で11時40分まで自由時間となりました。1時間半もどうやって潰せというのやら。他の中国人観光客の皆さんは4種類のアトラクション券がセットになった入場券を65元という大金で購入してましたが、僕らはささやかな反抗として入場料の15元だけで済ませることにしました。

 確かに遊園地の中身が面白そうだったら65元払います。でもね、どう見てもつまらないものばかり何だもの。ジェットコースターとか大きな観覧車とか、そういったものは皆無です。規模としては浅草の花やしきか、下関のマリンランドを一段しょぼくした感じ。よく見てみるとこの遊園地は中国政府によって国家的な観光地である「カルテットA」の称号を与えられていましたが、どう考えてもこれはカルテットAじゃないだろ、と日本人の僕は思ってしまいます。裏を返せばそれだけ中国には遊園地というものがないのだろうけど。ほんと、中国の人にディズニーランドとか富士急ハイランドとか見せてあげたいよ。。

 やることもないので、マルコフと2人でダム湖である十三湖を眺めて時を過ごしたり。それでも暇なので遊園地内を散策してみたら、やっぱりここは凄い遊園地でした。輪投げの商品が生きたうさぎであったりとか、ゴーカートに大行列ができていたりとか、著作権完全無視のアトラクション(というのには程遠いけど)ものがあったりとか。うーん、中国テイスト満載。これはこれで見る分には面白いかも。


<著作権まるで無視>

<平和な園内>

<ダム湖を眺める>

<ウサギが輪投げの景品>

 何とか時間を潰して11時40分。しかし、指定されたバスの前に誰も来ません。運転手も、ガイドすら来ません。これは一体どうなっているのだ??最初10分くらい遅れるのは仕方ないと思っておとなしく待っていたのですが、さすがに30分を超えた辺りからイライラしてきました。ようやく12時半近くになってガイドとその他の中国人客が戻ってきたのですが、どうやら僕ら以外は集団でびっくり科学館に入っていたようです。赤の他人同士が、遊園地まで来てみんなで一緒に行動するなよ・・・。しかもガイドは謝罪の言葉一切なし。ここら辺で僕のイライラはピークに達してしまったのでした。

<翡翠博物館と昼食>

 マルコフと二人でイライラする中、次に向かったのは翡翠博物館。この期に及んでまだそんなところに行くなんて・・・。しかも翡翠博物館とくれば、最後に翡翠を買わされるに決まってます。僕らはこの辺りで、「まさかこのバスは悪名高いニセ游バスなのでは?」という疑念を抱き始めました。しかし参加してしまった以上、もうどうすることもできません。ひたすら耐えなければいけません。

 もともと僕は翡翠とかいった宝石類には全く興味がない上に、何で中国まで来てこんなもん見せられんといかんのじゃ?と、イライラが怒りへ変わって行きました。説明係のお姉さんが、偽物と本物の翡翠の見分け方を伝授しているときも、「偽物でも本物でもどっちでもええわい!」なんてイライラしていたのでした。一通り見学が終わるとやはり待っていたのは翡翠売り場コーナーでの買い物タイム。やっぱりか・・・。もうここまで来ると怒りを通り越して哀しさが漂ってきます。そんな僕らを見かねたのかどうか、ガイドさんが寄ってきて、「先に食堂で昼食を食べていていいですよ」と。おぉ、あなたなかなか親切じゃないの、と若干ガイドさんを見直したのでした。

 昼食は翡翠博物館の近くにある食堂で。食堂とは言っても設備は本当に古く、提供される食事もバイキング形式の本当に質素なものでした。僕は疲れであまり食欲がわかずにあまり食べられなかったけど。中国の田舎を感じるという点ではよかったかな。


<田舎の食堂>

<食堂の周りの桃畑>

<ようやく明の十三陵>

 昼食後、再びバスに乗り込んでいよいよ明の十三陵へ。ようやくここから始まります。こんなことなら半日コースにしてしまえばいいのに、と思うのは僕だけでしょうか?

 しかし一難去ってまた一難。バスに乗ったら隣の親子がおもむろに持参したゆで卵を取り出し、むしゃむしゃと食べ始めました。きれいに食べてくれるならいいけど、小さい子供はぽろぽろこぼすし、殻は元からこぼし放題だし、何より暑い車内にずっと置いてたもんだから、たまごが傷んで臭くなってるし。しかも食堂の近くで売っていた桃までも車内でむしゃむしゃと食べだして汁はこぼすし、子供は水をこぼすしでもう阿鼻叫喚。勘弁してくれよ・・・。それでも何とか我慢しつつ、ようやく明の十三陵の一つ、定陵に到着。

 明の十三陵は世界遺産にも登録された明代皇帝の陵墓群で、13人の皇帝と23人の皇后、1人の貴妃の陵墓が集まっています。今回はその中で最初(1954年)に発掘された定陵を見学することになりました。ちなみにこの定陵の主である14代皇帝の神宗万暦帝、地球の歩き方の説明によると「10歳で即位したが凡庸であった。統治期間は48年と長く、明王朝衰退の遠因を作ったとされる。」と散々な書かれ方をしています。自分が皇帝になったとしても、将来こんな書かれ方をされたらなぁ・・・。

 そんな凡庸な皇帝でも墓だけは立派ということで見学。


<定陵入り口>

<定陵の御門。この下に地下宮殿が>

 定陵には見学可能な地下宮殿があるというので、そこに入ってみました。内部は涼しいです。内部には定陵と皇后の棺があった部屋や定陵のための椅子なんかがあって、権力者の墓であることを思わせます。


<地下宮殿出口>

<定陵が使用する台座>

<定陵とその皇后の棺があった部屋>

<地下宮殿内部はこんな感じ>

 そういうわけで、権力者の墓を堪能してきました。権力者というのはどこの世界でも墓を大きくしたがるのでしょうか。定陵はこの墓の造営のために資金をさいたため、豊臣秀吉の朝鮮出兵に対抗する資金を十分提供できなかったそうです。死んでも権力を保ちたいのはわかるけど、何か本末転倒だよな。

 ちなみに日本に帰ってから分かった話ですが、地下宮殿の中は撮影禁止らしい。。今回はそれを知らないでバシバシ撮りまくってしまいました。すみません。よい子はまねしないでね。

<万里の長城>

 明の十三陵を見て、ようやく万里の長城へ。このメインイベントに辿り着くまでに長い長い時間がかかりました。ただし当初は一般的に有名な「八達嶺長城」に向かう予定だったのに、時間が押しているために「居庸関長城」という八達嶺よりも近くの長城へ行くという予定変更がなされてしまいました。これも全ては変な遊園地に行ったり、いつもバスの集合時間を守らない中国人乗客のせいだ!

 というわけで4時過ぎに居庸関長城に到着。5時半まで自由時間となりました。この居庸関長城周辺は秦代には既に着工されていたそうです。歴史がありますねぇ。そしてここは「燕京八景」と呼ばれ、北京でも風景が素晴らしいところの一つだそうです。入場料40元を払って長城へ。

 見上げるとかなり高い位置まで続いている長城。実際に登ってみるとなかなかの急勾配で、途中で息が切れてしまいました。心臓はばくばくいってるし、汗はだらだら。だけどその分高い位置から見下ろす万里の長城の眺めは壮大です。向こうの稜線をどこまでも続いている長城。こういうものを作ろうと思ったのがすごい。


<「天下第一雄関」の楼閣>

<楼閣のまわり>

<これを登っていく>

<かなり急な階段>

<「万里の長城に登らざるは男にあらず」by毛沢東>

<出発地点から池と山を眺める>

<高い地点から向こうの山に続く長城を望む>

<出発地点から>

 1時間半の登山を終え、再び地上へ。地上の出発地点からの眺めも湖とのコントラストがなかなかです。ということで万里の長城を堪能しました。今度はできることなら八達嶺に行ってみたい。

 さて、帰りのバスの出発時間は5時半。しかし予定時間には半数の人しか戻ってきていません。何と言う時間感覚でしょうか。二〇三高地みたいな髪型をしたおばさんや大学生の集団、人前でもいちゃいちゃしているバカップル達がまだ帰ってきていない。結局全員揃って出発したのは6時前。。

 バスが出発して後は北京市内に戻るだけですが、出発してすぐにガイドさんの説教が始まりました。おそらく彼も堪忍袋の緒が切れたのでしょう。中国語だったので僕は何ていっているか全くわからなかったけど、マルコフの話によれば遅れた人たちに対して結構怒っていたそうです。いいぞガイド、もっとやれ。いや、しかし待てよ・・・?ガイド自身も遊園地で30分近く遅れたよな・・・?そこはいいんかいな??

 とにかく、今まで正直者が馬鹿を見る国だと思っていたので、最後にがっつり怒ってもらって何となくすっきりした気がします。中国の皆さん、時間を守ってよい国をつくってください。

<北朝鮮国営のレストラン>

 バスは7時に五道口へ到着。いろいろ不満はあったものの結局偽物バスではなかったことがわかったし、最後にガイドさんが笑顔で見送ってくれたのでまあよしとしましょう。外国人である僕らには親切にしてくれたし。

 さて、夕食。今日はマルコフお勧めの北朝鮮料理を食べようと、タクシーに乗って北京の東方面へ。30分程で某ホテルの1階にある「平壌館」に到着。この平壌館、何と北朝鮮国営のレストランで、従業員も本国からの命令により北京のこの店に来ていたりするという、正真正銘現在の北朝鮮体制下にあるレストランです。北朝鮮の兄貴分である中国だからこそ、店を開くことが出来るんですね。まさか中国で北朝鮮人民と触れ合うことになるとは夢にも思っていませんでした。入る前から期待が膨らみます。

 そうはいってもやはり北朝鮮。現在日本と北朝鮮の関係派は最悪。そんな中で中国とはいえ、北朝鮮のレストランに入って大丈夫だろうか・・・と若干憂慮しつつ店内に足を踏み入れます。足を踏み入れると、店内ではちょうどショーの真っ最中。店員のお姉さん達が、前のステージで声を張り上げてカラオケを歌っておられました。よくテレビで見るように、女性といえども腹式呼吸がしっかりしていて、太く綺麗な声が出ています。ここはこのショーも有名で、これを目当てにわざわざ足を運ぶ韓国人も多いそうです。

 席に案内されてしばらくするとショータイムは終了。胸に金日成バッチをつけた店員のお姉さんがやってきました。そして何と、マルコフと仲よさそうに話し始めたのでした!お姉さんは屈託のない笑顔をしています。マルコフは常連なのでお姉さんと仲良くなったそうですが、北朝鮮人というと笑顔がなくとっつきにくいという固定観念を持っていた僕にとって、これは衝撃的でした。あぁ、北朝鮮の人もやっぱり一人の人間なんだなぁと・・・。

 何品か注文して料理を待っていると、頼んでもいない「ナムル盛り合わせ」と「たまご野菜炒め」の二品が出てきました。何事かと思ったら、マルコフがいつも来てくれてるからサービスだって!おぉ、嬉しいねぇ。

 頼んだ料理はテジカルビや平壌冷麺、海鮮チヂミなどなど。韓国で食べられるものとあまり変わらないものを頼んでしまいましたが、北朝鮮料理のほうが味付けがさっぱりして辛くないので、個人的にはとても食べやすく感じました。韓国料理から塩分とキムチを抜いたらこうなるのか、という感じかな。本当においしい。キムチキムチしてなくて辛さがないという点で、僕の理想の朝鮮料理を発見したような気がします。

 ビールは燕京ビールだったものの、平壌焼酎なるものがあるというので注文してみることに。値段はちょっと高いですが(確か720mlで80元くらい)、マンギョンボン号の入港が禁止されている今の日本ではまず手に入らない品です。味はチャミスルよりもさっぱりしていて、なかなか飲みやすい。お土産で買って帰ろうかとも思ったけど、下手したら税関で没収される恐れがあるかもしれないので、残念ながらやめておきました。

 〆に本場の平壌冷麺を食べて、店員のお姉さんに「写真を撮ってもいいですか?」とお願い。そしたら快くOKしてくれました。ありがとうございます。ということで、右下の写真が北朝鮮のお姉さんです。なかなかキリッとしていて、でもほのかに青臭い感じも漂わせているお姉さん。素敵です。

 ちなみにこのレストランは韓国人が北朝鮮人と触れ合える場所の一つということで、韓国人にとって中国観光の目玉の一つとなっているようです。実際に今回も韓国人客が多かったし、韓国人男性が店員のお姉さんにしきりに話しかけているなんて光景も多々見かけました。同じ民族なのに中国という異国に来ないと触れ合うことができない辛さ。そう思うと国家分断というのは恐ろしいものです。

 さて、僕ら気がつくと最後の客になり、申し訳ないので11時前に店を出ました。結構居座っていたのに、笑顔で見送ってくれる従業員のお姉さん。こんなささいなことなのに、僕の中の北朝鮮観が少し変わったような気がします。ありがとう平壌館。北京に来ることがあればまた来ます。


<ホテル一階にある平壌館>

<カラオケを歌うお姉さん>

<サービス品:たまごと野菜炒め>

<チヂミ>

<テジカルビ>

<本場仕込の平壌冷麺>

<平壌焼酎>

<よくしてくれたお姉さん>

 平壌館のあと洋風バーに行って飲みなおそうかという話もあったけど、お腹いっぱいで苦しかったので申し訳ないけれどもパス。家に戻って静かに飲むことにしました。帰り際、レストランの近くにあったセブンイレブン(まだ北京には珍しい)で酒やおつまみを購入して、タクシーでマルコフ邸へ。

 マルコフ邸について平壌館の余韻に浸っていると、マルコフのパソコンがなぜか起動しない。困ったことが起きました。パソコンはたまにこういう原因不明の故障を起こすから困ります。ということで、少しだけ酒を飲んだ後、マルコフはネットカフェへ。僕は就寝。いろいろとあったけど、楽しい一日だった。


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