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北京・西安調査 2  
2009年11月3日(火) 二日目   <北京(中国農業大学、鳥の巣スタジアム、北京料理)>


<中国農業大学という名の総合大学と鳥の巣スタジアム>

 前日は飲んでいる途中でいつの間にか寝てしまっており、朝4時頃寒さでハッと目が覚めました。ベッドの上で何もかけず寝ていたので、寒いったりゃありゃしない。風邪を引いたら困るのに、なんてことをしてしまったか。布団を被って再び寝て、起きたのは7時前。部屋に充満する白酒の臭いで目が覚めてしまい、若干気持ちが悪いです。ホテルの部屋からは朝日が昇るのが見えます。

 朝食は1階のバイキング会場で。フランス資本のホテルだけあって、作りが無駄にお洒落です。宿泊客も白人が多かったように思います。どうも昨日の酒が残っているようで、少し頭痛がします。そしてゴマ団子を食べ過ぎたために、若干胃が痛いです。そういうこともあって今日は割と少なめに、体に優しそうな粥かスープを主体にしてみました。巻き寿司があったのがびっくりです。おいしくなかったけど。


<北京に朝がやってきた>

<ノボテルの朝食>

<バイキング会場は欧州風>

<フランス資本だけあって白人が多い>

 今日から本格的に調査開始で、初日は中国農業大学の農村政策研究センターでのワークショップ。7時50分にロビーに集合して、マイクロバスで中国農業大学へ。中国農業大学は北京市街地の北の端、以前マルコフが住んでいた五道口の辺りにあるということで、マイクロバスは北京の南東から北西へと大移動です。朝の渋滞にひっかかり、なおかつ運転手が中国農業大学の西キャンパスと東キャンパスを間違えたというハプニングもあり、到着まで2時間もかかってしまいました。

 中国農業大学は、「農業大学」と銘打っていながらも、農業に関連する様々な領域を扱う総合大学だそうです。法学、政治学、経済学といった社会科学系の学問領域も扱っていており、日本でいうところの農学部的な位置付けとは若干異なります。北京大学・清華大学の両トップ大学に農学部がないため、中国における農業系の大学としてはこの中国農業大学がトップという位置付けになりそうです。元々は北京大学農学院という位置付けだったそうですが、扱う範囲が増えたからなのか、独立して一つの大学になっています。

 10時過ぎから2時間程度のワークショップ。僕は当たり前のように議事録メモ係です。主に退耕還林政策への取組みの話でしたが、発表者の先生が理系だったこともあり、内容がややテクニカルなものに偏っていました。まあそれは仕方がないにしても、退耕還林政策によってどういうデメリットが生じたかという日本側の質問に対して、「デメリットは全くない。この政策で皆ハッピー」という返答を聞いた時は、さすがにこりゃとんでもない人にぶち当たってしまったと思いました。まさか、研究者に社会主義万歳みたいな回答をされるなんて。このような回答に部屋が寒いことも重なって、ワークショップでは全くテンションが上がってきませんでした。


<中国農業大学五号楼>

<会議室で>

 12時過ぎにワークショップが終わり、その後はしばし中国農業大学のキャンパスを案内してもらうことに。さすがに総合大学だけあって、キャンパスが広く落ち着いた雰囲気を持っています。


<中国農業大学の目抜通り>

<何とも立派な女子寮>

<銀杏の絨毯が広がる>

<慢心するなということか?>

 中国農業大学の体育館は先のオリンピックでも使用されたということで、体育館には五輪マークが、広場には開催された競技を示すオブジェがあります。レスリングとバスケットのようです。ああ、ここでアニマル浜口が「下ろせ!」「下ろさない!」と係員と揉めたわけね。


<オリンピック会場にもなった体育館>

<レスリングとバスケの会場だったらしい>

 昼食は学内にある食堂で、となりました。中国農業大学の学食は中国でもレベルの高い学食ということでしたが、日本で一番レベルの高い学食と言われる龍谷大学でも学食は学食でした。なのであまり期待せずに食堂へ行くと、中には専用の個室があってびっくりです。なるほど、確かにレベルは高いかもしれません。まずは昼間からビールで乾杯。


<学食にこんな場所がある>

<昼間からビールを飲む>

 料理も学食のレベルを超えているものばかり。まあ市中の豪華レストランに比べれば若干劣るかもしれませんが、学食でこのレベルの料理が出てくるなら凄いです。ただ、たまに良く分からない料理もありました。C1は山芋に駄菓子屋のブルーベリーソースをかけたような味で、気持ち悪い甘さが口の中に広がります。C2は肉が柔らかく、独特の匂いと食感だったので羊かヤギか何かかと思いましたが、聞いてみると牛肉のようです。でも牛肉っぽさがないんだよなあ。謎だ。最後にB5のお決まりスイカデザートが来て、これでフィニッシュと思ったら、それ以降にも腹にたまりそうな炭水化物類が出てきて、料理を出す順番が違うんじゃないかと。C5はトウモロコシのパンケーキで、日本では食べたことない味がして不思議な感じでした。

ABC
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 昼食は2時に終了。たっぷり1時間半かかりました。写真を見てもらえば分かる通り、量がものすごく多く、昼からこれでは胃が大変です。調査で向こう側との交流の意味もあるから昼食は重要なのだけど、もっと安くてさっと食べられるものだったどんなに楽か。こういう食事は一日のうち、昼か夜のどちらか一回だとありがたい。

 食後は再びマイクロバスに乗って市内見物ということで、どういう理由かは分かりませんが、オリンピックのメインスタジアムだった通称「鳥の巣」を見に行くことに。余談ですが卍先生がしきりに「鳩ノ巣」とおっしゃっていて、それだったら奥多摩の渓谷になってしまうと突っ込みたくて仕方がありませんでした。もちろん当たり前ですが、突っ込むことなんてできません。

 大学から40分くらいかかって鳥の巣に到着。オリンピックは終わっているというのに、大勢の観光客でごった返しています。スタジアムに近付くには手荷物検査が必要で、オリンピック開催中ならいざ知らず、閉会して1年以上も経過した今、なぜ手荷物検査が必要なのか正直分かりません。テロ防止にしても、ただの競技場を爆破したところでねえ・・・。鳥の巣を見た感想としては、「ああテレビで見たことある」くらいでした。まあ当たり前か。それよりも近くに立っている奇抜な形をしたビルが気になりました。上部がくねくね曲がっていて、スネ夫の頭みたいになっています。

 しかし最近の中国は、鳥の巣といいスネ夫ビルと言い、デザインばかりに目が向いていて、使う人のことをあまり考えていない独り善がりの建築物が多い気がします。バス駐車場にのそばにトイレがあるのに、入り口はゲートで閉じられ、そのトイレに行くには再び手荷物検査を経てぐるりと回って5分くらい歩かないといけないのも良い例です。本来物は人間が使いやすいようにされるべきであって、人間が振り回されるのは本末転倒だと思うのだけど。もう少し人の動線というものを考えてほしいものです。


<メインスタジアムの通称「鳥の巣」>

<スネ夫の横顔みたいなビル>

<僧侶も鳥の巣を見る>

<多分地方から出てきた観光客の一団>

 結局良く分からないまま、3時にバスに乗ってホテルへ。45分くらいかかりました。 

<マッサージをして出し物を見ながら夕食を食べる>

 一旦ホテルに戻ったあと、有志でマッサージに行くことになり、部屋に荷物を置いてから再びマイクロバスに乗ってマッサージ店へ。朝陽区のビル2階にある、「雅宝櫻子」というマッサージ店へ行ってきました。この辺りはロシア語の看板や料理店が軒を連ねており、少し恐ろしい感じがしますが、ウイグル族が多数住んでいる地区だから(多分)ロシア語が多いそうです。


<ロシア語が並ぶ少しおっかない地区>

<マッサージ店>

 今回は全身マッサージ60分で100元。最初お姉さんが来て準備をしてくれたので、このお姉さんが担当してくれるのかと思っていたら、お姉さんは僕にタオルをかけてからどこかへいってしまいました。代わりに入ってきたのは20歳そこそこの男で、この男性が担当するようです。若干がっかりしましたが、男の方が力が強いので文句は言いますまい。

 ちょうど眠かったので、マッサージを受けつつ気持ちよく寝ようと思っていました。しかしこの男性、片言の日本で話しかけてきます。御存じのように、僕は話しかけてくる散髪屋とかそういうのが嫌いです。できれば静かに一人にさせておいてほしい。しかしこの男性はしきりに「イタイ?」「イタクナイ?」「モットツヨク?」と聞いてくるので、毎回答えなければならず面倒なことこの上ありませんでした。あと、骨の部分をごりごりやらないでちょうだい!痛いんだから。まあそれでも、トータルとして気持ちよくなったので良しとします。

 夜は再びマイクロバスに乗り、今日のレストランへ。レストランの場所は先程訪れた鳥の巣にも近く、鳥の巣からのホテルへ戻る時に場所が発表されたときには全員が「えぇ〜」と反発の声を上げたのは言うまでもありません。長い時間かけてホテルに戻るのに、またそっち方面に出かけるのかと。まあこればっかりは仕方がないですが。6時にホテルを出発して、レストランに到着したのは7時でした。。

 レストランは「大宅門(朝陽店)」。卍先生の学部ゼミの卒業生で、現在某大手商社の北京支社長を務めている方を交えての食事になりました。この店ではステージ上で出し物があり、京劇風歌謡あり、雑技あり、手品ありの1時間がちょうど始まるところでした。僕らが案内されたのはちょうどステージの目の前で、VIP席ではありますが、音楽がうるさくて話が出来ません。おまけにシニア組末席の僕はステージに背を向ける位置だったので、みるためには体を180度回転させなければならず、面倒なことこの上ありませんでした。なので途中からからは見るのを諦めてひたすら食べることに集中することに。


<大宅門朝陽店>

<煌びやかな店内>

<出し物がある>

<ツボの中には人がはいっている>

 昼食がやや遅く、さらに量が半端なかったので、全員一致で夜はかなり軽めに抑えました。ここの料理は日本人にとってどれも食べやすく、特にB3の醤油炒飯は絶品。卍先生もこの炒飯は美味しいと言ってお替りされたほどです。あとはA3の茄子の味噌炒めも。茄子はおいしくてハズレがありません。C3は今日が誕生日だった修士のN君へのサプライズということで、舞台のお姉さんの生演奏つきでお祝いしました。おめでとう。

ABC
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 食事は9時半に終わり、今日は早く寝られそうだと思っていると、支社長さんが2次会でカラオケにいかないかと。僕はお断りして帰ろうかと思いましたが、卍先生が「すぱくり君も話のネタに行ったらいい」と勧めるので、行かざるを得なくなりました。まあこれは、先生は行かないから生贄として僕を差しだしているのだろうという判断なわけです。社会的付き合いで、僕と修士のN君K君、さらには女性陣3人も行くことに。

 僕ら男性陣は支社長さんの車に乗って、女性陣はタクシーで「カラオケ」へ。さすがに支社長だけあって、お抱え運転手が付いており、車も大きく綺麗です。予想はしていましたが、「カラオケ」とは一般的なカラオケボックスでワイワイというのではなく、お姉さんが隣にいてついでに歌いましょう、というものでした。支社長さんが車の中で「分かりますよね」とか言うんだもの。女性陣が来るからあまり過激な店には行かず、キャバクラ寄りのスナックへ行くようでしたが、はっきり言うと僕はこういうの苦手です。まあこれも、社会勉強というか大人のお付き合いというか。。卍先生に変な格好はさせられないので。

 男性陣の方が早く着き、あるビルの39階にある「カラオケ」へ。奥の個室に通され、一人ずつにお姉さんが付くスタイルでした。というかこれはもう、キャバクラみたいなもんじゃないか。お姉さんは皆中国人でしたが、そこそこの日本は話せるようです。というか、そういう訓練を受けているらしい。こういうところで働くのも大変だと思います。


<本日は満月>

<某ビル40階からの眺め>

 僕はこういうのが本当に苦手ですが、一応お付き合いなので頑張ってお姉さんと話して、精一杯の努力をしてみました。途中に現われた女性陣の、部屋に入ってきたときの驚いた顔ったらありません。特に唯一の日本人であるM1のHさんの固まった表情といったらもう。。純粋な子には刺激が強すぎたでしょうか。

 結局女性陣は空気を読んだのか30分程度の滞在で先にホテルに戻り、再び男だけに。いつ帰れるのかと思って時計をちらちら見ていましたが、お姉さんがどんどんカラオケの曲を入れまくるので、なかなか終わりません。明日があるから遅くとも12時前には終わるだろうと思っていましたが、それは許されないようです。結局支社長の「明日もあるから帰りましょうか」という言葉が出たのは1時過ぎでした。会計は全て支社長に御馳走になりましたが、メニュー表を見たら中国とは思えない高さだったので、相当な金持ちが来るところなんだろうと思います。生き方は人それぞれなので、別に文句があるとか言う訳では全くありませんが、僕とは生き方が違うんだなぁと思いました。

 再び支社長の専用車でホテルまで送ってもらい、寝たのは深夜2時過ぎ。若干の疲れを感じつつ就寝。


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