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北京・西安調査 4  
2009年11月5日(木) 四日目   <北京→西安→咸陽、咸陽(西北農林科技大学)>


<飛行機に乗って西安・咸陽へ>

 四日目は午前中飛行機・バス移動と午後ワークショップということで、今回の調査の中では一番ハードな日です。6時に起き、早目に朝食を食べてからチェックアウトし、7時40分にロビー集合。そのまま貸切バスに乗って北京空港へと向かいました。ちなみに今日の朝食は昨日に続いて洋風で、シリアルも付けてみました。ただあまりに早い時間に朝食を取ると、まだ準備が出来てないのか選べる品目が少なくて残念です。


<本日の朝食>

<北京の朝ラッシュ(午前8時)>

<高層ビルが立ち並ぶ>

<同じような高層ビルが立ち並ぶ>

 多少朝のラッシュに巻き込まれながらも、8時半に北京首都国際空港第3ターミナルに到着。今回は北京から陝西省の西安へのフライトで、利用するのは中国国際航空便。個人的には初の中国籍航空会社です。国内線なので搭乗手続きは楽かと思いましたが、パスポートによるチェックイン、出国手続きのような検査、入念な手荷物検査と、国際線に乗るのと変わらない煩雑さでした。日本の国内線がいかに楽かということが分かります。

 ただ煩雑な手続きを経ても、空港に早く着いていたために、搭乗口に着いたのは9時。出発が10時半なので、1時間半も時間が余ってしまいました。暇なのでターミナルをぶらぶら。国際線ターミナルと比べ、国内線ターミナルは比較的人が少なくて静かです。搭乗口がターミナルの端だったので、さらに向こうを見ると国際線ターミナルが見えます。でも国内線も国際線も同じ第3ターミナルという位置付けで、両者の間には無料のシャトルが行き来しています。これだけ離れていたら別ターミナルと言っても過言ではないのだけれど。

 ターミナルをうろうろしていると、前回の北京では見かけることがなかった自動販売機を発見しました。ついに北京もここまで来たようです。水は560mlで5元(=75円)ということで、相場よりも若干高いですが、小銭を処理するために買いました。しかし探せばもっと安い水はあるもので、修士のN君が売店で買ったミネラルウォーターは一本1.5元(=22円)。対して特講Yさんがカフェで買ったエビアンは何と22元(330円)。この価格差はどこから来ているのか。可処分所得が高い者が高価なものを買えるというのは、れっきとした資本主義経済じゃないか。


<北京空港第3ターミナル>

<広いので場合によってはカート移動も>

<CA1209便に乗ります>

<広々とした出発ロビー>

<向こうに国際線ターミナルが見える>

<自動販売機を発見>

 そんな感じで時間を潰し、10時頃搭乗開始。出発は10時30分のはずでしたが、乗客が早く集まったのか、何と10時10分にはさっさと離陸してしまいました。恐るべき中国の国内線。中国の飛行機というと、旧ソ連払下げのツボレフとかそういうオンボロ機体かと思って心配していましたが、最近ではほとんどがエアバスやボーイングで、心配は杞憂に終わりました。機内も至って普通です。


<CA1209便>

<機内は至って普通>

 西安咸陽国際空港までは約2時間。国内線なので機内食は出ないものと思っていましたが、何と機内食が出るようで、その匂いに中国国際航空の機内食はどんなもんかと期待して待っていました。聞いていると、ビーフオアチキンではなくて、ライス(肉)オアヌードル(海鮮)の二種類から選べるそうです。せっかくだしヌードル(海鮮)にしようと思っていると、何と僕の一つ前でヌードル(海鮮)は終わってしまい、後は自動的にライス(肉)に。残念だけど仕方がない。飲み物はアルコール類がないということで、トマトジュースにして早速ライス(肉)の機内食をいただきました。

 しかし、これが不味い。一口食べてがっかりです。作ったものを一旦冷凍して、さらにそれを直前に加熱したみたいで、ご飯も何もかもが熱々でした。肉には味がないし、ニンジンに至っては生焼けだし、もう勘弁してくれと。トマトジュースも甘いようなしょっぱいような他の味が付いたような変な感じで、いかに日系航空会社の機内食が美味しいかということが分かりました。こんなんで今日の昼食がふいになってしまうなんて。。通路を挟んで隣に座っていた留学生のFさんは海鮮を食べていましたが、それも全然美味しくなかったそうです。どっちもハズレ。

 それでも僕はまだよかった方で、隣に座っていた修士のN君のご飯からは、何と紙切れが出てきました。これは日本なら責任者出てこい!の事態ですが、ここは中国。泣き寝入りするしかありません。さすがのチャイナクオリティです。


<まずかった機内食>

<ご飯中から紙切れが出てくるという…>

 定刻より10分早く、12時10分に西安咸陽国際空港に無事到着。


<西安咸陽国際空港に到着>

<空港の前>

<祝建国60周年>

<空港の周りはこんな感じの景色が広がる>

<西北農林科技大学とのワークショップ>

 空港からは貸切バスで今日のホテルへ。空港のある咸陽市は、西安の北に位置し、秦の始皇帝が首都と定めた歴史ある都市です。ホテルはその咸陽市内の、楊凌区(もしくは楊陵区)にありますが、そこまでバスで1時間半もかかるそうです。さすがに中国は都市の大きさが違う。ちなみに調べて見ると、楊凌区は咸陽市内にありながらも、楊凌農業高新技術産業示範区の管轄であるため、咸陽市の管轄ではないと、若干複雑な立ち位置になっています。この辺は中国の制度に詳しくないので良く分かりません。

 楊凌までの道は舗装されていても相当ガタガタで、そこをバスは高速ですっとばすので車内は物凄く揺れます。でもこの揺れが、ああ地方に来たんだなという実感になるから不思議です。車窓に目を向ければ黄土高原が広がり、煉瓦造りでどう見ても所得が低そうな農村があり、たまに街っぽい場所があっても田舎だなぁという感じ丸出しの雰囲気です。でも僕は中国と言えばこういう雰囲気を持っていたので、北京や上海では見られなかった古きよき(かどうかは分からないけど)中国の姿を見た気がして、少し嬉しくなりました。

 2時に今晩のホテル、「楊凌国際会展中心酒店」に到着。なかなか立派なホテルです。部屋も北京のノボテルシンチャオより広く、余裕がある作りになっています。国際会展中心(国際会議センター)の名の通り、この日も国際会議が開かれており、白人黒人の宿泊客も多数見かけました。しかしこう言っては悪いけど、交通の便が悪い地で国際会議が開かれるのが不思議です。


<楊凌国際会展中心酒店ロビー>

<本日の部屋>

 ホテルに一旦荷物を置いてから、再びバスに乗って出発。車窓からは楊凌の街や人々の様子が見えます。アジア的な雑踏の中で、人々の来ている服も北京や上海に比べるとどこかしら質素です。あと、赤い幕に白文字で書かれたスローガンを至る所で見かけました。地方は大都市よりも社会主義・共産主義思想への共鳴が強いということでしょうか。

 目的地は西北農林科技大学。バスは楊凌の街中を進み、高架下というかトンネルのようなところをくぐろうとしました。車高制限があり3.4mとなっています。ちょっと心配になりましたが、バスはお構いなしにそっちに向かっているので大丈夫だろうと思っていました。ところが通ろうとした次の瞬間、天井から「ガリガリガリガリバリバリッ!」というでかい音がして、バスが急停止してしまいました。何と、まさかの車高オーバーでひっかかってしまったようです。

 中国とは言え、まさかこんなことになるとは。しかし運転手は諦めきれなかったようで、一呼吸置いて少しバックした後、力いっぱいアクセルを踏んで無理やり通ろうとしました。そして案の定、「バリバリバリバリバリッ!」と、さっきよりも大きな音がしました。いや、今度はメキメキという音もしたかもしれません。諦めずに進もうとするなんて、無謀というかもうめちゃくちゃくです。日本では「押して駄目なら引いてみる」ですが、中国では「押して駄目なら、さらに力強く押してみる」なのかもしれません。しかしこれでバスは完全に挟まってしまい、どうしようもならなくなりました。バスの後ろからは無数のクラクションが聞こえます。


<バスが看板にぶつかって挟まる>

<バスの後ろ大混雑>

 このバスの運転手はサングラスをかけていましたが、さすがにそれどころじゃなくなったのか、サングラスを外しました。というか外すのが遅い。さすがにこれ以上力任せに進むのは諦めたようです。しかし今度は、力一杯のバックで挟まった車体を引っこ抜かなければなりません。でも後ろは車やバイクで大渋滞。力一杯バックするのも危なすぎる。ということで、一人降りてバスの後ろでオーライオーライと誘導することになりました。

 誘導役を買ってでたのは、いつの間にかついてきていた謎の中国人。二日目に訪れた中国農業大学の博士課程の学生だそうですが、ここでは仮に「純一」と呼ぶことにします(理由は後で分かります)。純一がついてきた理由は、実は卍先生も良く分かってないご様子でしたが、とりあえずバスの後ろに回ってオーライオーライとやっていました。ところがバスの死角で、のほほんとした感じでオーライオーライやるもんだから、運転手に見えないどころか自分が轢かれそうになっています。結局バスの中で、日本勢が日本語で「オーライ」だの「危ない」だの声を出しながら、何とかバックして、車体を引っこ抜きました。本当に後数センチで後ろにぶつかりそうになっていたそうで、かなりの冷や冷やものでした。あと、純一の存在意義が良く分からん。

 と、そういうこともあったために若干遅れたものの、何とか目的地の西北農林科技大学に到着。3時20分から5時半まで、約2時間に渡って黄土高原の退耕還林政策に関するワークショップを行いました。西北農林科技大学は、農業系大学としては中国農業大学の次に位置するトップレベルの大学だそうです。そして何より退耕還林を行っている黄土高原に実際に位置する大学であり、フィールドワークで本格的な調査をしています。あと対応した教授が日本に留学していたこともあり、そういう意味では今回の聞き取りで一番有益な情報が得られたのではないかと思います。やっぱり中国農業大学で聞いた、「政策にデメリットはなく、皆ハッピー」なんて結論はありえないわけです。


<西北農林科技大学>

<ワークショップ会場>

<かなり近代的な建物>

<建物前の広場>

 ワークショップ中、僕はパソコンで速記録をとっていましたが、隣に座った純一がおもむろに携帯をいじり始めました。中国にはマナーモードという概念がないらしく、操作音がピコピコ聞こえてきます。先生方が意見交換しているところに鳴り響く電子音。シュールです。たまに僕が取っているログを覗くし。メモを取っているようでもないし、あんた一体何をしに来たんだ。

 ワークショップ後は一旦ホテルに戻ってから夕食に出かけることに。ワークショップ後、相手方のY先生の日本留学時代の指導教官が、卍先生とIさんの大学時代のクラスメイトであるM先生だったことが明らかになり、卍先生やIさん、Y先生は大盛り上がりでした。このプロジェクトに金を出しているところの担当であるIさんと卍先生が大学のクラスメイトだったことも偶然だったのに、さらに遠い中国の地でその関係者と会うことになるとは、偶然とは言え凄いものです。


<夕暮れ時のホテル前>

<ライトアップされたホテル>

 つながりがあることを知った先生方のテンションが高いまま、再びバスに乗って夕食へ。「神農度假村」という場所で、全員でくるくるテーブルを囲んで食事になりました。しかし本当に、この土地は共産党色が強い。


<神農度假村>

<毛沢東の大きな絵が飾られている>

 料理はこの地方のものということで、いつものように大量に出てきました。ただ今日は昼が残念な機内食だったので腹は減っています。そのせいもあってか、どの料理も美味しく感じられました。空腹は最大のスパイスとはよく言ったものです。特にB7はホイコーローだと思いますが、日本人にぴったりの味付けで、白いご飯が欲しくなる一品です。すると最後に白いご飯が出てきたので、行儀が悪いと思いつつも、白いご飯にホイコーローを乗せてホイコーロー丼にして食べました。ああうまい。

ABC
1
2
3
4
5
6
7

 つながりを知った先生達の興奮はまだ覚めやらぬようで、一旦ホテルに戻ってから二次会を行うことに。希望者だけでということでしたが、空気を読んで参加です。事実、卍先生も「最近はこう言う場所に積極的に参加しない学生が多い」とお嘆きです。本来ならY先生行き付けのバーにということでしたが、今日はそのバーが貸切で使えないということで、ホテルのレストランのようなところでビールを飲みながら1時間半程。おつまみにフライドポテトが出てきて、個人的には狂喜乱舞でしたが、やや残念なポテトでした。


<ホテル1階のレストラン>

<フライドポテト>

 2次会後は部屋に戻ってちょこちょこインターネットをしたあと、12時に就寝。


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